都市伝説 オカルト

日本の歴史にまつわる都市伝説19選

都市伝説其の10 人斬り浅と肝薬

引用元:https://matome.naver.jp/

山田浅右衛門(やまだ あさうえもん)、通称『人斬り浅』はアウトローなどではなく、れっきとした世襲制の刀剣鑑定士です。

彼の役職は公儀御様御用(こうぎおためしごよう)と呼ばれ、将軍ほか身分ある武士や金持が購入した刀の試し切りをする仕事でした。

当時の試し切りはとてもシビアで、刀は人を斬るためのものだから、試すなら実際人間斬ってみるのが一番と恐ろしく合理的です。

しかし、いくらなんでも平和な江戸時代に辻斬りをして試すわけにもいかないので、試し切りは囚人の死体や斬首刑によって行われました。

山田家はこの試し切りを専門とし依頼料を得て生活していましたが、その腕を見込まれ町奉行同心などに代わり斬首刑の執行を依頼されるようになります。

この依頼を受けることは、山田家にとって依頼料+試し斬り用の死体が容易に手に入り一石二鳥でした。

こうして山田家は斬首刑専門職としての地位を確立したのです。

 

浅右衛門の副業

山田家は公儀の仕事をする国家公務員的立場でありながら、その身分は浪人(フリーター)でした。

『浅右衛門』の名を代々屋号のようにして世襲するなど、一見武士のようでありながら浪人とは不思議ですが、これには諸事情がありました。

そうした事情の一つが、浪人であれば副業が許されることです。

 

副業①:処刑人

彼らの本業はあくまで公儀御様御用であって処刑人は完全に副業です。

 

副業②:薬の販売

浅右衛門丸という労咳(肺結核)の薬でちょっとした大名並の収入を得ていました。

この薬の製法が現代人の感覚だと恐ろしいのです。

何せ原材料が死体を切り刻んで取り出した人間の臓器なのですから。

 

副業③:死体の販売

自分で試し切りをしたいお武家さんに、適当な死体を見繕って販売します。

 

副業④:小指の販売

小指だけ売ってどうするんだと思われましょうが、当時の遊女たちの間では需要がありました。

『リアル指切りげんまん』では遊女の真を語りましたが、営業活動として太い客に渡したいだけの遊女は一々リアルに自分の指なんぞ切っていられないのです。

 

 

都市伝説其の11 一つ目小僧と唐笠お化け

唐笠お化け

元来多神教国家である日本にはたくさんの神様『八百万の神』(やおろずのかみ)がいます。

中には付喪神のような小さき神々もいれば疫病神のような祟り神もおり、彼らは決して優しく慈悲深いだけの存在ではありません。

こうした神々の中で興味深いのが、神でありながら妖怪と混同されている者が少なからずいることです。

さらに彼らの一部は、実在する身体的奇形をモデルとしていると考えられます。

これは差別的な話ではなく、古代においては良くも悪くも『他と違うもの』は神や悪魔、あるいは特別な使命を帯びた英雄として奉られてきたのです。

 

唐傘お化け/一つ目小僧

一つ目小僧

引用元:http://www.geocities.co.jp/

どちらも鬼太郎などでお馴染みのメジャーな妖怪ですね。

唐傘お化けは一つ目に舌をベロンと出したユーモラスな姿の妖怪で、片足でピョンピョンと跳ね少しばかり人を驚かす程度で酷い悪さはしません。

一つ目小僧はお寺の小僧さんの姿をした妖怪で、やはり1つ目に舌をベロンと出していて、唐笠お化けどうよう凶悪な悪事は働きません。

傘(無機物)と小僧(有機物)というかけ離れた存在でありながら、片目に舌を出した悪戯妖怪と言う彼らのキャラクターは類似していると思いませんか?

それもそのはず、彼らのモデルとなる神は共に天目一命(アメノマヒトツノミコト)鍛冶屋たちが祀る鍛冶の神様なのです。

しかし、本来ありがたく尊い存在の神が何故片目片足と欠損した姿で描かれているのでしょうか?

そこには当時の辛く厳しい作業事情がありました。

当時の鍛冶現場は、火傷その他のリスク溢れる劣悪ともいえる環境だったのです。

炉の温度管理のために、ゴーグルもなしに片目を閉じて日がな一日炎の色を見続けていれば必然的に片目が悪くなります。

火の粉が入れば失明することもあったでしょう。

さらに片足であることに関しても、『もののけ姫』のタタラ製鉄所を見ればわかるように、重いタタラを毎日休みなく長時間片足で踏み込んで炉を熱く保つのだから大変な重労働です。

中には足腰を悪くして身体が不自由になる者が出ても不思議はありません。

そうした厳しい作業現場で働いた末、片目・片足となった労災者(先天的奇形ではないが当時の感覚では『不具』)の姿が神の姿として描かれ、やがて妖怪へと転じたのが唐傘お化けであり一つ目小僧であるとする説があります。

 

鍛冶製鉄の神秘

古来日本において製鉄は海外から輸入された異能とも呼べる技術でした。

そして製鉄所はたいてい山の中にあり、技術者たちも山に住んでいたのです。

異能を操る山の民は当時の人々の畏怖を集めました。

その謎めいた空気が妖怪を生んだとする説があります。

 

片目の聖性

柳田邦夫曰く、片目の存在は神聖です。

彼は神官がわざと片目を潰すことから、『片目にした人でなければ神の霊知は映し出しえぬ』と言っています。

ちなみに、柳田邦夫によると妖怪とは神が零落したものと定義されています。

 

先天的奇形説

一つ目小僧には神様とは関係なく胸の痛む説があります。

先天的に目や足に障害のある赤ん坊や幼児を、親が諸事情から育てられずに寺の前に捨てた――

ほんの百年前にはどこの国でも見世物小屋が大衆娯楽であり、地域によっては酷い迫害・差別の対象であったことを思えば、異形の我が子を親が寺の前に捨てていくことは充分に考えられます。

ただし、現代医学をもってしてもサイクロップス(単眼症)は産まれてもすぐに死亡してしまうとされているため、当時の医療で寺の小僧が務まるまで健康に育つとは思えません。

実際には片目が不自由な子供をひっそりと育てているのを誇張して語ったのではないでしょうか。

 

生贄目撃説

恐らく最恐なのがこれです。

柳田邦夫によると、山に生贄を捧げる際に生贄の目印として片目を潰し、逃げられぬよう片足の腱を切っていたそうです。

たまたま迷い込んだ山の中でうっかり聖域に迷い込んだよそ者が、こうした生贄の姿を目撃したのが唐笠お化けや一つ目小僧ではないかと言う説です。

 

 

都市伝説其の12 キリストの墓

引用元:https://matome.naver.jp/

思わず二度見して事故りそうなこの標識は、悪ふざけでも何でもなく青森に実在するものです。

青森にはなんと、キリストの墓があります。

遠い異国のゴルゴタの丘で処刑されたイエス・キリストの墓が何故日本の青森にあるのでしょう?

 

死んだのは弟?!

処刑されたのはキリストの影武者である弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に難を逃れて辿り着きました。

そして名を十来太郎大天空(とらいたろうだいてんくう)と改め、ユミ子と結婚し三女をもうけ、106歳の大往生を遂げて青森県新郷村(元・戸来村)に葬られました。

この荒唐無稽とも言える伝承は、竹内巨麿が公開した『竹内文書』に記されています。

 

伝承の真偽

まず、これらの伝承の大本が※『竹内文書』なるトンデモ日本史を綴った古文書を竹内巨麿が解読したものであることを前提として、この先のお話を読んで下さい。

※『竹内文書』:6世紀頃武烈天皇により長年秘密裡に保管され、天津教の教祖・竹内巨麿によって公開された秘伝の歴史書。

裁判所で真偽が取り沙汰され、謎を残したまま東京大空襲で焼失。

 

戸来村

新郷村の昔の名前は戸来村。

このヘライという風変わりな響きはヘブライから来ていると言われ、この村にはユダヤ風の風習が残る。

 

《ヘライ村の習慣》

・父をアヤ(ダダ)、母をアパ(ガガ)と呼ぶ。

・赤ん坊を初めて外に出す時に、額に十時を描く。

・キリストの娘が嫁いだ沢口家の家紋がダビデの星。

・農民の服装がユダヤの農民のそれと似ている。

 

《青い目の当主》

キリストの娘が嫁いだとされる沢口家の、昭和10年時当主は目が青く鼻が高く、非常に背が高かった。

ただし、近年の研究でキリストは金髪碧眼ではなく、アラブ系の顔立ちもしくは黒人であったとも言われています。

 

それっぽいような気もするユダヤとの接点が多々あります。

しかし、残念ながら沢口家には現在キリスト教徒はいないようです。

キリストの墓の話が出たのも、竹内巨麿が戸来村を訪れ昭和10年10月10日にキリストが日本で没したと発表した後であり、それ以前は村にはキリストに関する伝承などはなかったといいます。

 

 

都市伝説其の13 コケシ

引用元:http://kougeihin.jp/

コケシは江戸時代末に東北地方の温泉地で湯治客向けの土産物として作られたと言います。

伝統的なスタイルが確立しており、それぞれの地方によって顔や身体つきが微妙に違うのが特徴です。

ところで、皆さんはコケシにまつわる怖い由来を知っているでしょうか?

 

コケシの怖い話

まだ日本が貧しかった時代、貧しい農民は生活苦から授かった子供を中絶したり、既に産まれている子供を間引いていました。

惨い話ですが、そうせねば家族全員が飢えてしまうのです。

そうした歴史から、我が子を殺めた親がその供養のためにコケシを飾る――つまりコケシとは子消し・子化身である説が1965年ごろから流布しました。

 

コケシの怖い話の真偽

この説を裏付けるものは何もなく、民俗学的には根拠のない俗説とされています。

詩人である松永 伍一(まつなが ごいち)が創作童話の中で書いたもので、これが引用されあちこちで書かれるようになり、テレビでも取り上げられました。

印象に残りやすい悲しい物語であったため、広がってしまったと言われています。

 

現実にあった間引き・子捨て

コケシの怖い話は事実ではなかったようですが、我が国において過去間引きや子捨てが成されていたことは厳然たる事実です。

飢饉や干ばつの歳に身ごもった女性が冷たい川に浸かって流産を誘発したり、産まれて来た子供を産婆に頼んで産声を上げる前に始末してもらったり、すでに産まれている7歳までの子供を山に置き去りにしたり、人買いに娘を売って女郎にしたり。

コケシの怖い話は事実ではないようですが、人々を納得させるだけの説得力があったことは間違いありません。

 

 

都市伝説其の14 七五三の怖い意味

引用元:https://www.hareginomarusho.co.jp/

日本人の多くが七五三を両親から祝ってもらった経験があることでしょう。

七五三はもともとは宮中や公家が子供が健やかに育っていることを感謝して祝い、次の節目も無事に迎えられるように願う様々な儀式から生まれたものです。

これが江戸時代になると武家や裕福な商人も行うようになりました。

今で言う『七五三』というスタイルが定着し、庶民の間にも広がったのは明治時代からです。

 

華やかな行事に秘められた悲しい歴史

子供の成長はいつの時代でも喜ばしく、親は我が子の健康と幸福を願うものです。

しかし、かつて日本は私たちの暮らす社会ほど豊かではありませんでした。

そこではたくさんの幼い子供たちが病気や事故、貧困を理由に亡くなっていたという現実があります。

7歳まで無事に生き延びる。

そんな現代では半ば当たり前のことが難しかった時代であったため、節目を迎えるごとに祝うのです。

男の子は女の子よりも弱いから、三歳ではまだまだ安心できないとして五歳でお祝いをしました。

女の子は三歳までで一安心、七歳になったらもう一度神様に『あの小さかった子もこんなに大きくなりました。もう大丈夫です』とお礼参りに出かけます。

 

七歳までは神の内

最近ではあまり聞かない言葉かもしれませんが、かつて子供は七歳になるまでは人間の世界の住人ではなく、神の世界に属する存在とされていました。

つまり、『まだ人間ではないから、いつ何時神に召されても仕方がない』ということです。

当時の親たちが本当にそう思っていたかはわかりませんが、そうでも思わないとやりきれないほどに乳幼児の死亡が多かったことが窺えます。

また、死亡の原因は病気や不幸な事故だけではありませんでした。

一家全滅を免れる最終手段としての間引き。

貧しさ故の非情の決断を迫られる家も少なくなかったのです。

間引きでなくても奉公や里子に出したり人買いに売ったり、神への生贄として捧げたりと、当時の子供たちは大人になるまでに幾度となく生命と人生の危機に晒されました。

七つまでは神の内とは、人間扱いは七歳からという意味をも含んでいるのです。

俗にいう『神隠し』に合うのも大抵は七歳以下の子供であり、これも幼さ故の無分別から危険な場所に入り込んでという他に、親が売ったのを『神隠し』という表現で丸く納め、村の秩序と平穏を保っていたという説が見られます。

 

 

都市伝説其の15 とおりゃんせ

引用元:https://wajikan.com/

童謡『とおりゃんせ』をご存じでしょうか?

信号が青になった時に流れる、ちょっと寂しいような不気味なメロディのアレです。

この歌は子供の遊び歌として親しまれていながら、よくよく歌詞を見ると辻褄が合わないと言うか非常に違和感があることに気づきませんか?

門番と母親の掛け合いで進む歌詞は次のようなものです。

 

とおりゃんせ とおりゃんせ
(通りなさい 通りなさい)

ここはどこの細道じゃ
(この細い道はどこに行く道ですか?)

天神様の細道じゃ
(天神さまの神社に続く細道です)

ちょっと 通してくだしゃんせ
(ちょっと通して下さいな)

ごようのない者とおしゃせぬ
(用のない人は通せません)

この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります

行はよいよい 帰りは怖い
(行くのは簡単だが帰りは暗くて危ないよ)

怖いながらも
(危なくてもいいのです)

とおりゃんせ とおりゃんせ
(通りなさい 通りなさい)

 

ごらんの通り、言葉の解釈は見たままに受け取るならばすこぶる簡単です。

子供向けの童謡とあって、難しい言葉もこれと言って使われていません。

しかし、内容的には矛盾が多いと思いませんか?

まず門番、『通りなさい通りなさい』と大らかな感じで人を通しておきながら、子連れの母親に妙に厳しいです。

用がないから通せないって、神社に来てるんだからお参りでしょ普通。

次に母親、子供の七歳のお参りに来ているのに『ここはどこの細道じゃ』……場所もわからないとはぼんやりし過ぎです。

そして帰りは(暗くなるし)危ないよ!と親切に教えてくれているのに、『危なくてもいい』とは子連れで言うセリフとは思えません。

そもそも、小さな子供を連れて帰りが危なくなるような時間に、母子二人で神社に行くこと自体かなり不用心で不自然です。

何も考えずそうなったとしたら、危機管理能力が低過ぎて門番が危機感を持つレベルです。

そんな危なっかしい母子連れであるにもかかわらず、何故か母親が『かまわない』と意思表示した途端『どーぞどーぞ』と通してしまうザル門番。

むしろそういう母親だからこそ止めてやれよ子供のために!と思うのですが、妙に物わかり良く通してあげます。

 

子供は生贄?

一連の母親が取った不審な行動から、ある仮説が唱えられています。

母親は神社の奥に子供を置いて来る(単純な捨て子、もしくは生贄)つもりだったのではないか?

七歳に拘ったのは、七歳前までならばギリギリ『人間ではない』から子捨ての罪も赦される。

といった説です。

確かにこれならば、わざわざ帰りが暗くなるような時間帯を選び、危なくても構わないと強行する姿勢に一応の説明が付きます。

そういった母子連れが一定数訪れることに慣れているならば、門番も覚悟の決っている者にはそれ以上止め立てせずに通してやるのではないでしょうか。

 

 

都市伝説其の16 花いちもんめ

引用元:http://www.sugawara.ac.jp/

『とおりゃんせ』と同じく『花いちもんめ』も子供の遊び歌の一つです。

写真のように手を繋ぎ一列になって向かい合った子供たちが歌を歌いながら交互に『あの子が欲しい』と指名し合い、指名された子同士がジャンケンをして負けた方は勝った片の列に加わり遊びを続行します。

実に他愛のない子供の遊びですが、この歌の歌詞にも不穏な説があるのです。

 

人身売買が歌の元?

勝って嬉しい花いちもんめ

負けて悔しい花いちもんめ

とないのおばさんちょいと来ておくれ

鬼がいるから行かれない

――中略――

あの子が欲しい

あの子じゃわからん

この子が欲しい

この子じゃわからん

相談しよう

そうしよう

 

隣のおばさんは鬼がいて怖いから行かれないと言っているのに、勝って嬉しいだの負けて悔しいだのと随分と呑気です。

少なくともこの鬼は無差別殺人をするタイプではないのでしょう。

それは後に『相談しよう、そうしよう』と言っていることからもわかります。

鬼なのに会話によるコミュニケーションどころか、相談・交渉の余地があるというのはえらく人間的です。

それもそのはず。

ここで言う鬼とは子供を買う人買いや女衒(遊女にする娘をスカウトして買いとる男性)を指しているとしたら?

貧しい村に子供を買いに来た人買いと、子供を(どうせならより高く)売りたい親のやり取りを、面白おかしく歌ったものだという残酷な説があるのです。

花いちもんめとは漢字で花一匁と書きます。

花とは子供(特に遊女になれそうな見た目の良い女の子)、一匁はごく軽い重さ(3.75g)を意味します。

当時の売っている花の価格基準は重さの単位『匁』であったようです。

このことから、当時子供がいかに安く売買されていたかが窺えます。

 

花いちもんめの本当の意味

買って嬉しい花いちもんめ
(いい買い物が出来てツイてる)

まけて悔しい花いちもんめ
(値切られ買い叩かれて悔しい)

あの子が欲しい

あの子はまけられないよ

この子が欲しい

この子も安くはできないよ

相談しよう

そうしよう

(商談開始)

これが花一文めの本当の意味だとする説があります。

『わからん』=『まからん』、脈絡なく隣のおばさんを呼ぶなど些か強引さもありますが、指名して人をやり取りする遊戯スタイルと合わせて考えると妙な説得力があります。

 

 

都市伝説其の17 おじろく・おばさ

基本的人権の保護による宗教・信条・職業選択の自由、男女平等。

私達の社会で当たり前になっていることが、根底から無視されていた時代が日本にもありました。

これから紹介する『おじろく・おばさ』はその最たるものの一つではないでしょうか。

長野県の南部にある上原村(現・天竜村)は、寒さ厳しく山に囲まれ、かつては外界と隔絶しがちな貧しい村でした。

そうした村が存続するためには、『産めよ増やせよ』というわけにはいきません。

そこで結婚を制限し、人口を制御するためには生まれた制度が『おじろく・おばさ』です。

まともな人間として扱われるのは一家の長男のみ(男子がいなければ長女)で、それ以外の子供は男は『おじろく』女は『おばさ』と呼ばれ、戸籍にも『厄介』とだけ記されました。

『おじろく・おばさ』は家長である兄のために一生タダ働きをします。

最低限の衣食住は与えられるものの、結婚や祭りへの参加を禁じられていました。

彼らの家庭内での身分は下男下女であり、長男の妻子からもそのように扱われます。

彼らのほとんどは子供の頃は普通の子でありながら、成長するにつれて自我や思考力を失い、二十歳になる頃には言われたことを無感情・無感動に行うロボットのような人間になり、将来への夢や希望どころかちょっとした趣味や楽しみすら持たなかったといいます。

おじろく・おばさが生きて家から解放されるのは、長男が子を残さずに早逝した場合の次男・望まれて婿養子(長男は自家を継ぐからそれ以降の男子)・嫁に貰われる場合のみです。

貧しい時代の隔絶した山村が生き延びるためとは言え、こんなことが16〜17世紀から何百年も続いていたというから驚きではありませんか。

明治5年で190人、昭和35年にすら二人の『おじろく』一人の『おばさ』がいたそうですが、生きていれば58〜59歳の彼らはこの自由な世界でどのように生きているのでしょう……穏やかな余生であることを願うばかりです。

 

 

都市伝説其の18 人造犬神


引用元:http://usi32.com/

犬神には実は二種類あることを御存じでしょうか?

一つは源頼政(みなもとの よりまさ)が打ち取った鵺の肉体が四つに分かれてできた狗神。

これは四国で祀られ・畏怖され・疎まれるいわば天然の狗神です。

狗神憑きの家は守られ繁栄する一方、共同体の中で忌み嫌われてきました。

しかし、今回此処でご紹介するのは有名なそちらではなく、ややマイナーな呪術用犬神とその作り方です。

 

犬神の作り方

これもいくつかやり方があるのですが、代表的なものを三つあげます。

1)飢餓状態の犬の首を斬り落とし、それを辻道に埋める。

人の往来で踏みつけられ怨念の高じた霊を呪物として使用。

 

2)生きた犬を首だけ出して土中に埋める・もしくは柱に繋ぐ。

犬から見えるが届かない場所に食べ物を置き、犬が餓死する寸前に首を斬り落とす。

すると首は飛んで食物に齧りつくから、これを焼いて骨にして壺に納める。

 

3)獰猛な犬を数匹戦わせ、勝ち残った者に一匹の魚を与える。その犬の頭を斬り落として魚を食べる。

 

全てに共通するのは、犬を飢えさせ最後には殺してしまうことです。

 

禁止された呪術

犬の霊を用いるこの呪術は平安時代に酷く恐れられ、蟲毒と同様禁止令が出されるほどでした。

 

 

都市伝説其の19 馬車道・神奈川県立歴史博物館

引用元:https://blog.goo.ne.jp/aurora2014/

赤レンガ倉庫に山下公園と、デートスポットとして有名な異国情緒漂う港町、それが馬車道です。

その馬車道駅を降りてすぐのところに、今回ご紹介する横浜歴史博物館は建っています。

デザイン・様式こそ古臭いものの、ガッチリとした石造りの建物には威厳と風格が今なお漂います。

横浜歴史博物館は、元々は明治37年(1904年)に横浜正銀行本店として創建されました。

そしてこの博物館には、様々な心霊現象の噂があるのです。

 

歴史博物館の噂

・夜な夜な呻き声が聞こえる。

・壁をひっかく音がする。

・地下のホールに出る……らしい。

・三階に開かずの間がある。

・関東大震災の日に亡者が徘徊する。

 

などなど、非常にわかりやすい心霊現象の起きるスポットと言われています。

そしてこの博物館には、こうした現象が起きてもおかしくない歴史があるのです。

 

関東大震災と大火災

大正12年(1923年)9月1日、関東大震災と大火災が首都圏を襲いました。

横浜も例外ではなく、多くの家屋が倒壊し、大火災が発生して甚大な被害を被りました。

そんな中、正銀行は堅固な『補強煉瓦・石造』のおかげで倒壊を免れ、地震直後に外から逃げ込んで来た人々や行員など340人を守り抜きました。

逃げ込んだ人々は、鉄扉・窓のシャッターを閉め切り内部への延焼を防ぎ、互いに励まし合いながら地下室にこもって鎮火を待ったのです。

その結果、正銀行に避難した人々は一人の死傷者も出すことなく全員無事に生還を果たします。

しかし――鎮火後に扉を開けば、そこは地獄絵図でした。

『丈夫な建物に避難しよう、この辺りなら正銀行だ!』考えることは皆同じだし、判断としてそれは間違っていません。

ただ、鉄扉・シャッターが固く閉ざされる前か後かで人々の命運はハッキリと二つに別れました。

閉め切り後に到着した人々は悲惨です。

命からがら辿り着いた鉄壁の要塞は頑なに閉ざされ、開けてくれと叫んだところで声は届かず、後ろからは逃げて来た業火が音を立てて迫って来るのです。

正銀行の外には140体の焼死体が転がり、損壊が酷く身元の特定も不可能であったと言います。

当時のものがそのまま残る鉄扉や窓の鉄格子を、逃げ遅れた人々が叩き揺すぶり『開けてくれ!中に入れてくれ!』と叫びながら死んでいった可能性も決して低くありません。

 

 

まとめ

今回は日本の様々な時代の歴史にまつわる都市伝説を集めてみました。

今では平和な我が国も、ほんの百年前後昔には戦争をしていたのですから、案外曰くつきの場所や不可思議な現象はあなたの隣にもあるかもしれませんね。



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