必要最低レベルの生活を維持する所得を得られていない「絶対貧困者」。
2015年度の国際復興開発銀行・IRBDの調査では全世界に7億3600万人の人が絶対貧困者であり、1日2ドル以下のお金で生活をしているとされます。
そのような貧困者が寄り集まって暮らしているスラムとは、いったいどのような場所なのでしょうか。
世界に存在する巨大スラム街を紹介していきます。
スラムはどうして生まれる?
スラムに暮らす人々はほとんどが地方出身であると言われています。
特に途上国では地方の暮らしが厳しく、自然環境が過酷であったり戦争の舞台になることも多く、ぎりぎりの状態であった人々の暮らしはいとも簡単に壊されてしまいます。
そして故郷を捨てて、都市部に仕事を求めて移動して行くのです。
しかし都市部にも十分な雇用があるわけではありません。
一説には南アフリカの失業率は30%、ジンバブエに至っては80%にも上ると言われており、そこに外部から訪れた人間が職にありつけるかというと非常に難しいと言えます。
そして職を探しながら路上に寝泊まりしていた人々が、やがてトタンやベニヤなどの廃材を使ってバラック小屋を建てるようになり、この小屋がどんどん集まって形成されたのがスラムなのです。
バラック小屋と言っても、好きな場所にどんどん建てて良いわけではありません。
小屋を取り壊される恐れがない場所を選んで小屋を建てていくため、川べりや鉄道沿い、ゴミ集積所の近く、下水の溢れる場所、人気のない街区など、危険であったり不潔であったりして人が寄り付かない付近に集落ができていきます。
これを繰り返すうちにどんどんスラムは巨大化していき、貧民窟は貧民街へと変化していきます。
スラムが肥大化すると住民を相手に商売を始める住民などが生まれ、スラムの中に店や会社ができて住民の間に雇用関係が生まれ、家や土地の貸し借りも行われるようになるのです。
スラムで真っ先に造られるのが、生活必需品である食べ物を売る八百屋や肉屋、そして雑貨店です。続いてできるのが酒屋や賭博場とされます。
さらにスラムの中で商売に成功した者が現われると、会社が作られます。新しくスラムにやってきた貧困者を使って事業を始めるのです。
アジア各地で見られるのが人力車や自転車の貸し出し会社で、このような簡素なビジネスが根付いてくるとスラム街に売春宿ができます。
こうして人が増えるに従って、スラムそのものも生き物のように成長していくのです。
世界の巨大スラム①ムンバイ・ダーラーヴィー地区 / インド
インド最大の商都であるムンバイ。
インドの国勢調査によると、ムンバイの人口の約54%がスラム街であるダーラーヴィ地区に住んでいるとされます。
ダーラーヴィ地区の面積は3平方kmはあるとされ、アジア最大のスラム街です。
ダーラーヴィ地区はは映画『スラムドッグ・ミリオネア』の舞台にもなっています。
『スラムドッグ・ミリオネア』の中で子供を拉致して目を潰すというショッキングなシーンがありますが、これは実際にダーラーヴィ地区を始めとするスラムではよく見られる犯罪です。
スラムでは物乞いに階級があり、同情を引けるような外見をしている程お金が稼げるのです。
ノンフィクション作家の石井光太氏の現地での取材によると、インドのスラム街で障碍者や病人が物乞いをした場合、一番稼げるのがハンセン病患者、二番目が象皮病、三番目が四肢欠損、四番目が全盲、知的障碍というショッキングな結果が分かっています。
また、健常者が物乞いをした場合は幼児や子供、次いで老人、乳児を抱いた母親が物乞いで稼ぐことができると言います。
そのため、映画であったように誘拐した子供の目を潰して物乞いをさせて稼ぐという違法ビジネスが、ダーラーヴィ地区では現実に横行しているのです。
さらに恐ろしいことに、このような目に遭った子供たちは違法組織のこと恨まないどころか、命の恩人のように思うケースさえあると言います。
スラムに生きる孤児たちにとって、自分達だけの力で生活するよりも障碍を負わされて組織で物乞いをした方が、喰いっぱぐれることなく稼げるからです。
引用元:https://www.youngisthan.in/
ダーラーヴィ地区の物乞いの手段として、もう一つ知られているのが”レンタルチャイルド”というものです。
乳児を連れて物乞いをすると実入りが良くなることから、昔からスラムでは赤ん坊の貸し借りというのは頻繁に行われていたことだと言います。
そしてこれに目をつけたのがレンタルチャイルドというビジネスで、違法組織が病院の新生児室や路上生活者から乳幼児を誘拐し、この乳幼児を物乞い達に貸し出すことで収入を得るのです。
最も利用価値があるのは新生児から3歳程度までの年齢で、組織は貸し出した子供を連れた物乞いの稼ぎからピンハネをして利益を得ます。
小規模な組織がレンタルチャイルドのビジネスを手掛けた場合はこの程度で済みますが、より大きな犯罪組織、例えばマフィアなどが介入した場合は誘拐した子供が6歳程度になると1人で物乞いをさせ、その儲けを全て奪うことも少なくないのだと言います。
物乞いでそこまで稼げるのか?と日本人の感覚では不思議になりますが、ヒンドゥー教では物乞いに対して金品を恵むことで徳が積め、幸せな来世が約束されるという教えがあり、物乞いに喜捨することはごく当たり前のことなのです。
引用元:https://www.youngisthan.in/
とは言ってもダーラーヴィ地区に暮らす人の全てが犯罪者や犯罪に巻き込まれているというわけではなく、昼間はムンバイに働きに行き、仕事が終わるとスラム街に帰宅するという暮らしを行っている人も大勢います。
ダーラーヴィの住居のほとんどが賃貸であり、ここを出て行った人たちが月1500~3000ルピー程度で貸し出しているそうです。
ムンバイで仕事を得ても都市の不動産は高いため、まずはスラム街に住居を定めてお金を貯めるという人も多いのだと言います。
また古くからダーラーヴィの主要産業とされてきた陶器や縫製、革製品などをオンラインで販売することで作家として成功を収めている職人も出始めており、ダーラーヴィは経済成長が見込まれる地区としても注目されているのです。
世界の巨大スラム②ナイロビ・キベラスラム / ケニア
キベラスラムは東アフリカ最大のスラム街で、人口は60万~100万人と言われています。
このスラムは1000年前にケニアを統治していたイギリスが、スーダンのヌビア族をこの土地に住まわせたことに端を発するとされ、その後に鉄道開業などの働き手として集まったルオー族などがキベラに住み着いたことで、徐々にスラム街が形成されていったと言います。
引用元:https://nairobinews.nation.co.ke/
ナイロビにはキベラスラムを含めて大小およそ200ものスラムがあり、全人口のおよそ50%がスラムで生活していると言います。
ナイジェリアの治安は極めて悪く、宗教や民族間での対立によるテロ事件が頻発しており、スラムの中には路上生活を余儀なくされているストリートチルドレンも多く存在します。
キベラスラムを含むアフリカのスラムではHIV感染やマラリアで両親を立て続けに失くした孤児も多く、彼らのほとんどが少なくて4人程度、多い場合は20人以上の集団を作って一緒に生活をします。
彼らがグループを作るのは危険から身を守るためや寂しさを紛らわすため、路上生活のノウハウを伝えると言った理由からです。
路上での生活は数えきれないほどの危険があるために、子供が一人で生きていくのは不可能ともいえるのです。
引用元:https://edition.cnn.com/
本来ならば大人に守られて生活している年齢の子供たちにとって、スラムのストリートチルドレンとしての生活は過酷です。
そのため辛さから目をそらすために薬物やシンナーにはまってしまうケースも少なくありません。
そしてシンナーやドラッグ欲しさに自ら売春や強盗などの道に進んでしまうのです。
ところで上の画像のようなストリートチルドレンを撮影した写真を見ると、ストリートチルドレンの大半が男児であり、女児のストリートチルドレンとというのはほとんど見られません。
これはグループで固まっていたとしても、女児が犯罪に巻き込まれる可能性が非常に高いことから児童福祉施設に保護されたり、犯罪から身を守るために男装していることが多いためと言われています。
そのためほとんどのストリートチルドレンは男児同士で固まって暮らすこととなり、同性愛行為が横行。
結果HIVなどの感染症で、命を落とす子供が増えてしまうのです。
またアフリカのストリートチルドレンにとって恐ろしいのが、戦争やテロへの強制加入・少年兵にさせられるという問題が挙げられます。
引用元:http://dailynewsagency.com/
キベラスラムのような場所に暮らすストリートチルドレンの中には、自ら傭兵として参加する子供も存在します。
ゲリラ組織などが兵士集めにスラムを訪れた際に自分からコンタクトを取り、連れて行って欲しいと頼むのです。
彼らはストリートチルドレンでいる限り、誰にも必要とされることがなく、いつ命を落としてもおかしくない状況です。
しかし戦争に参加すれば普通以上の収入が手に入るうえ、組織の中では兵士として、大人同様の扱いをしてもらえます。
ゲリラ組織やテロ組織では人を殺せば殺すほど、高い評価をしてもらえます。
大人から褒められ、贅沢ができる程のお金も貰えるため、少年兵の中にはまさに虫を殺すような感覚で、何の躊躇いもなく殺人ができる子供が少なからず存在すると言うのです。
悲しい話ですが、孤独や絶望を埋めるために率先して少年兵になる子供も珍しくないとされます。
引用元:https://www.one.org/
一方で現在ケニア政府は、2030年までにキベラスラムの環境を整備して普通の都市にするという計画を推進しています。
そのため、現在は上の写真のようなアパートが数多く建設されていき、バラック小屋の住民が移住する準備を進めています。
私たち日本人の感覚では、スラムにいる人は一様に貧しく、一様に危険な目に遭っているというイメージがあります。
しかしキベラスラムのように巨大なスラム街では、その中でもスラムの中心部に店や会社を構えて家族で普通に暮らしている人々と、人権すら危うい暮らしをしている人々の二極化が進んでいるのです。
世界の巨大スラム③カイロ・マンシェット・ナセル地区 / エジプト
マンシェット・ナセル地区は、カイロに位置する全長1.5km、幅1km程度のエジプト最大のスラム地区です。
ここは“死者の街”と呼ばれており、お墓の建造物の中で住民が遺体と一緒に暮らすという他に例を見ないスラムです。
この死者の街がスラム化したのは1960年代前後からとされ、墓地そのものが造られたのは14世紀程度と言われています。
この一帯に建設された数百の墓地は大きく豪華で、家族が宿泊する部屋や中庭、従者の控室もありました。
そこに1970年代からカイロに人口が集中するようになり、死者の街に住み着いて行ったのです。
カイロに人が集まった理由というのはエジプトの農村部の出生率の高さと人口過剰が理由で、最初は田舎から出てきた人々も死者の街の墓の権利者の許可を得て住まわせてもらっていました。
しかし人が増えるにしたがって不法占拠者が増え、勝手に掘っ立て小屋を建てる者なども現れました。
このような経緯でスラム街が作られていき、現在の人口は2万人程度に上ると言われています。
引用元:http://mantraycobertor.blogspot.com/
現在のマンシェット・ナセル地区は、死者の街というよりも“ゴミの街”という様相を呈しています。
スラム街ではゴミが山積している光景が良く見られますが、途上国では人々がゴミを投げ捨てて、廃品業者にゴミをくれてやっているという意識があるのだそうです。
これをスラム街の住民が拾って集めて仲介業者の元に持っていき、キロ単位で買い取ってもらいます。
ゴミは紙屑、プラスチック、鉄くずなどのジャンルごとに値段が分かれ、仲介業者は買い取ったゴミを工場などにまとめて流すのです。
ごみのポイ捨てや不法投棄がスラムの人々の生活を支えているために、政府がゴミ問題に積極的に乗り出すことができないという背景もあると言います。
引用元:https://www.thecairoscene.co/
そういった理由からマンシェット・ナセル地区にはカイロ中からゴミが運ばれており、住人はゴミ拾いで生計を立てています。
景観が醜いと言われるマンシェット・ナセル地区ですが、2016年にはこのスラム街に巨大壁面アートが現われて話題を呼んだことがありました。
この壁画を描いたのはチュニジア系のフランス人アーティスト、エル・シードが率いるグループで、コプト教の司祭の言葉が用いられています。
世界の巨大スラム④マニラ・トンド地区/ フィリピン
フィリピンのトンド地区は世界有数の貧民地区で、市内にはスモーキー・マウンテンの名称で知られる巨大なゴミ集積場が存在したこともあります。
現在でも地区内には数多くのスラムが存在し、中でも有名なのが東洋一巨大なスラムと呼ばれるハッピーランドです。
このハッピーランドは、かつて東洋一のスラムと呼ばれたゴミ山・スモーキーマウンテンを1995年にフィリピン政府が閉鎖した時に新しくできたスラム街で、フィリピン語で「ゴミ」を指す「Hapilian」という単語から派生した名前で呼ばれています。
引用元:https://www.reddit.com/
トンド地区では、昼間から何をするでもなくブラブラしている大人が多く見られる傾向があります。
フィリピンでは国民の1割が出稼ぎ労働者と言われており、GDPの約1割が出稼ぎ労働者からの仕送りということになります。
つまり出稼ぎ労働者の送金で生活ができるため、働かずに暮らしていかれるという世帯が存在するのです。
フィリピン人の出稼ぎの中で有名なものが、日本でも多く見られるフィリピンパブなどで働く水商売の女性達でしょう。
出稼ぎに来ているフィリピン人女性達は故郷のゴミ拾いなどの仕事では考えられないような大金を家族に送るため、このお金に親族も多く集まってきます。
そのため働いても財産が残せるということはなく、働けば働くほど養う人数が増えて一層苦しくなるということも少なくないのです。
このような事情から日本で大金を稼いでいるように見えるフィリピンパブで働く女性も、歳を取って故郷に帰っても家族は相変わらず路上で暮らしていて生活レベルは向上しておらず、自らも路上生活者になるしかないというケースも数多く存在すると言います。
一方で出稼ぎ労働をすることで立派な家を家族に建てることができた、というフィリピン人女性もいて、彼女たちが建てた家はスラムの人々から“ジャパニーズハウス”や“アメリカンハウス”といった呼び方をされることもあるそうです。
中にはトンド地区を出て都市部に家を構え、子供もきちんと教育を受けて見事に貧困の連鎖を断ち切れたという家族もあり、国外で働くフィリピン人女性の逞しさを感じさせます。
フィリピンやタイには日本などの先進国から来た滞在者をターゲットにしたナイトクラブも存在しますが、あのような場所で働けるのは主に女子大生などの教養のある富裕層の娘だけとされ、スラム出身の女性が出入りできるような場所ではありません。
ナイトクラブを訪れる客は富裕層であることから、客の会話について行かれるほどの知識が女性側にも求められるのです。
そのため、トンド地区の女性が風俗で家族を養おうとした場合、マニラなどの売春宿で働く必要があります。
スラム出身の女性は読み書きができないことも多く、客となるのも同じくスラム出身の男性となるため、やることだけやったら最低限のお金をもらうという仕事が一般的なのだそうです。
同じことを日本などの先進国に渡航して行えば100倍以上のお金が稼げるわけですから、海外で風俗業に従事する女性が数多く存在するのも当然と言えるでしょう。
引用元:https://www.reddit.com/
またフィリピンのスラムで有名なのが“パグパグ”と呼ばれる、貧困フードです。
日本では食材や調理人の腕前、店のロケーションなどで価格に差はあるものの、お金のある人もない人も白米や味噌汁、肉料理や魚料理と大まかなくくりでは同じ食事をしています。
しかし、途上国では生活レベルによって食べられるものが全く異なり、スラムにはそこで暮らす人しか食べないような食事が存在するのです。
パグパグはマニラの人々が食べ残したものを再加熱したもので、ゴミ捨て場などにある残飯を水で洗って火を通したというものです。
もちろん衛生的に問題があり、フィリピン政府はパグパグを口にしないように働きかけていますが、ハッピーランドなどのスラムで暮らす人にとっては命を繋ぐ貴重な食糧と言えます。
パグパグもそうですが、貧困フードには火を通したものや油で揚げたものが多く、これは鮮度の悪いものを食べられるようにするための工夫です。
このような貧困フードから生まれて世界的な料理となったものの1つに、フライドチキンがあります。
実はフライドチキンはアメリカの黒人奴隷が生みだした食事で、白人が口にしなかった鶏の足の部分をハイカロリーになるように油で揚げて調理したことがきっかけとなり、誕生したレシピなのです。
貧困フードには、限られた食材から最大限のカロリーをとろうという共通点があり、それ故にスラムには意外と肥満体の成人が多いと言われています。
世界の巨大スラム⑤リオデジャネイロ・ホシーニャ / ブラジル
ブラジルにはファベーラと呼ばれるスラム街が数多く存在し、大都市の周囲には必ずファベーラがあります。
ファベーラは1888年に奴隷制度が廃止された時に行き場を失くした奴隷が都市に流失し、そのまま住み着いたのが始まりであったとされ、リオデジャネイロ周辺には1000を超えるファベーラがあるとされます。
引用元:https://rocinhafavela.weebly.com/
リオデジャネイロ周辺のファベーラの中でも最大とされるのがホシーニャで、現在約8万が暮らしています。
映画『シティ・オブ・ゴッド』のモデルともなった場所のため、ギャングの抗争が激しく著しく治安が悪い地域という印象がありますが、現在はホシーニャに移住してくる人が増えているのだと言います。
ホシーニャはマフィアが厳重に管理していることから、ルールさえ守れば税金も払わずに済み、安全に暮らすことができるのです。
マフィアは収益の一部をスラムの子供の教育費に充てることもあり、苦しみながら都市で暮らすよりもホシーニャに逃げ込んだ方が余程安定した生活ができると言われています。
引用元:https://rocinhafavela.weebly.com/
マフィアが慈善事業のようなことをするのは何故かと不思議になりますが、この背景にはマフィアの幹部達もスラム出身のストリートチルドレン、という事情があるようです。
彼らにとって貧困にあえいでいるスラムの住人は仲間であり、家族であるため、ホシーニャのようにスラムの住人にお金を出すマフィアというのは少なからず存在します。
同じ場所で育ったから仲間・兄弟という考えが根付く理由として、実際にスラム街では異父兄弟、異母兄弟の子供が大勢いるという事情が関わっているという考察があります。
貧困層の女性は結婚と離婚を繰り返すことが多く、その都度新しい夫との間に子供を設けることから、生涯で少なくとも6人程度は父親の違う子供を出産します。
そのため血が繋がっているから家族という意識がスラムの子供にはあまりなく、一緒に生活をすれば誰でも家族という考え方になると言うのです。
このような考え方が、ホシーニャのマフィアが住人の生活を守る背景にあるのでしょう。
まとめ
現在、世界各国の巨大スラムの中にはキベラスラムのように政府が介入して、生活の改善や住人の保護のための動きが見られている場所も多くあります。
良かったではないかと思ってしまいがちですが、日本のホームレスの人でも行政が保護を呼びかけても辛い路上生活を続ける人が多くいるように、スラムから離れられない、より危険な場所に流れて行ってしまう住人も少なからず発生することが予見されています。
特にストリートチルドレンの中には保護をされた後、麻薬やシンナーを取り上げられたことでこれまでのトラウマが蘇り、保護施設で自殺や自傷行為を図るケースも後を絶ちません。
ただ住居や仕事、教育などを提供するだけではなく、スラムを取り壊した後にそこにいた最下層の人々のメンタルケアをどうするか、というのも大きな課題とされているのです。