病院と言えば、風邪を引いた、骨を折ったなど日常の様々なアクシデントでお世話になる施設です。
しかしそれだけに非日常感が強く、いざ廃墟となると恐ろしい施設のひとつではないでしょうか。
実際に、廃病院は数々のホラー映画やゲーム、小説などの舞台として利用されています。
今回は世界の廃墟となった病院を紹介します。
レンウィック天然痘病院
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レンウィック天然痘病院は、ニューヨーク市のルーズベルト島南端にある廃病院です。
建築家のジェームズ・レンウィック・ジュニアが設計し、1856年に開業しました。
現在のルーズベルト島はマンハッタンから近いために地価が上がっており、高級住宅地として開発が進められていますが、かつては「ブラックウェル島」といわれ、天然痘患者を隔離する病院や刑務所、精神病院などがある、流刑の地に近い島でした。
1798年にエドワード・ジェンナーが種痘の方法を広く公表したことで天然痘の治療法は確立されましたが、アメリカでは天然痘に罹患した移民を隔離するために病院を建てたのです。
ただ1875年に病院は閉鎖、それ以後は看護師の訓練施設として使われ、1921年にブラックウェル島が「ウェルフェア島」と改称されると共に閉鎖しました。
その後は廃墟として放置されましたが、1972年には国立史跡に指定され、施設が補強され、ニューヨークのランドマークのひとつとなりました。
ダンバース州立精神病院
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ダンバース州立精神病院は「北米で最も恐ろしい廃墟」とまで言われる、有名な廃墟です。
1878年にアメリカ合衆国マサチューセッツ州のダンバースで開業し、病棟に加えて院内で生活が完結するようキッチンやランドリー、教会などが作られたうえ、トンネルを張り巡らせて従業員用の寮や院内各所をつないでいました。
冬季には病院内で自給自足ができるようにしていたのです。
建設当初は最大でも500人までしか収容ができないよう設計されていましたが、最盛期には2000人を超える患者が収容されるなど完全な過密状態にありました。
加えて看護師の訓練機能や院内学級に対応できるよう増改築を繰り返したことで、ただでさえ複雑な病院は更に混雑することとなります。
そういった逼迫した状況下において、ダンバース州立精神病院では院内を管理するためにロボトミー療法やショック療法、違法薬物、拘束衣などの非道徳的な手段を用いて患者へ治療行為を施しました。
このことが明るみに出ることでダンバース州立精神病院は患者数や予算が減り、1960年代から段階的に閉鎖され、1989年に閉鎖しています。
ダンバース州立精神病院は1984年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に選ばれましたが、2007年には施設の大半が取り壊されました。
リンダ・ビスタ・コミュニティ病院
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リンダ・ビスタ・コミュニティ病院は、アメリカのカリフォルニア州ロスアンゼルスにかつてあった病院です。
1904年にサンタフェ鉄道の鉄道員向けの病院として建設されました。
当初は入院患者向けに、新鮮な食材を提供するための農場などが作られていました。
1920年代にはサンタフェの海岸線が拡張したことで鉄道員が増え、その分患者が増えたことで、現在の形となりました。
ですが鉄道員も既存の保険を利用し始めたことで鉄道員向けの病院の需要が下がったうえ、世界恐慌が起きたことで利用者が減り、なおかつ死亡者が増えています。
1970年代にはロサンゼルスの治安が悪く、院内で銃撃戦が起きるほどの事態に発展し、1991年に閉鎖されています。
閉鎖後は心霊スポットとして有名になり、心霊番組のロケ地にも使われました。
2006年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録され、2011年には集合住宅へ改築されています。
ハドソン川州病院
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19世紀中盤、精神病院などの施設を立てるための建築思想として「カークブライドプラン」と言われるものが提唱されました。
これは建築物を自然と調和させることで、精神疾患の治療に好影響を与えると考えたものです。
ハドソン川州病院は、ニューヨーク州のポキプシーという街にかつて存在した病院です。
1868年にカークブライドプランに従ってハドソン川州精神病院として建設されました。
建築に際してはどうしても当初の予算をオーバーしてしまい、現地の材料や職人を建築に使う、女性用の病棟を減らすなど懸命にコスト削減に努めましたが、結局建設途中に40人の入院患者を受け入れた状態でオープンしています。
病院はたびたび建設のために閉鎖を繰り返しながら営業を続け、1952年には6000人もの患者を受け入れていました。
しかし医療技術が進歩することで精神病院にそこまでの大規模施設が不要となり、1960年代には大規模火災が起きたため、1970年代には規模を縮小、2003年には別の病院と統合する形で閉鎖されました。
ウェイバリー・ヒルズ・サナトリウム
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ウェイバリー・ヒルズ・サナトリウムは、アメリカ合衆国ケンタッキー州にある、アメリカでも有名な心霊スポットのひとつです。
1900年代初頭、ケンタッキー州ジェファーソン郡では結核が流行し、新しいサナトリウムの建設が求められており、1910年にウェイバリー・ヒルズ・サナトリウムが作られました。
ですが1943年に結核の治療薬となる抗生物質ストレプトマイシンが導入されたことで結核は治らない病気ではなくなり、サナトリウムの需要は低下、ウェイバリー・ヒルズ・サナトリウムは1961年に閉鎖されています。
その後1962年には老人ホームとして再利用されましたが、人手不足に陥り1982年に閉鎖、続いて刑務所や宗教法人の施設の建設などが計画されましたが、いずれも頓挫しています。
廃墟となったウェイバリー・ヒルズ・サナトリウムはアメリカでも有名な心霊スポットとなり、ホラー映画にも使われました。
また当時のウェイバリー・ヒルズ・サナトリウムには亡くなった患者を墓地まで運ぶためのトンネルが掘られていたことも話題を呼んでいます。
チャールズ・カムセル病院
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チャールズ・カムセル病院はカナダのアルバート州エドモントンにかつて存在した病院です。
院名は、同名の地質学者に由来しています。
1946年に結核の治療を目的に建設され、1996年に閉鎖、以後は廃墟化しています。
この病院は主に先住民族イヌイットに対しての治療と結核の研究、実験を行っていたほか、先住民族の混血を進めて先住民族の文化を破壊する試みもされていたと言われています。
当時、オーストラリアの先住民族であったアボリジニの子どもたちの養子縁組を探す「シックスティーズスクープ」と言われるものに関与していたと言われています。
このような経緯から、1990年代後半には当時のチャールズ・カムセル病院で行われていたことに対し、集団訴訟が起こされました。
バーリの聖ニコラス病院
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ドミニカ共和国の首都であるサントドミンゴにあるバーリの聖ニコラス病院は、「新世界」と称された時代のアメリカで作られた、アメリカでも最初の病院です。
スペインの騎士であるニコラス・デ・オヴァンドの指示のもと、1508年に建設されました。
病院名と建設者の名前が同じですが、病院名は聖人に由来しており、単なる偶然の一致です。
ニコラスは後に「征服者(コンキスタドール)」として悪名を馳せるフランシスコ・ピサロら2500人と共に現在のドミニカ共和国に入植し、イスパニョーラ島の知事として原住民を支配しました。
バーリの聖ニコラス病院は350年以上も操業を続け、1911年に閉鎖されます。
その際に倒壊の危険性をなくすために施設の大部分が撤去され、現在は一部が残されるのみとなっています。
ケーンヒル・アサイラム
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ケーンヒル・アサイラムは、イギリスのロンドン郊外サットンにかつて存在した精神病院です。
第一次世界大戦によって精神疾患を抱えた軍人を受け入れていました。
貧困層向けに建設された精神病院を母体として、1930年にケーンヒル・アサイラムに改称しています。
1983年にメンタルヘルス法が制定されることで、精神医療の重点が精神病院から自宅や地域に切り替わることで患者数が激減し、1991年に閉鎖されました。
2010年までには一部の施設を残して解体され、残った施設も火災によって破壊されてしまいました。
チェリイ・ノウル病院
引用元:https://co-curate.ncl.ac.uk/
チェリイ・ノウル病院はイギリスの北東部、タウンアンドウェアという地域のライオープにある病院です。
1895年に営業を開始し、1902年と1930年代、更に第二次世界大戦期に増改築が続けられ、入院用の施設に加えて回復期に療養するための別荘や緊急医療用の設備などを備えました。
1948年には「国民保健サービス」と言われる、日本で言う国民皆保険制度に近いものに加わりますが、1980年代には患者数が減少を始め、1998年には閉鎖されました。
2011年には取り壊され、住宅地として再利用されています。
ベルギー感化院
引用元:https://hiveminer.com/
「感化院(Tuchthuis)」という施設については、日本人にはなじみが薄いため説明が必要でしょう。
これは16世紀ごろに作られた施設で、貧しい人や犯罪者、犯罪者とまでは行かずとも様々な要因から問題行動を起こす人を収容し、社会復帰ができるよう労働やワークショップを提供しました。
つまり現在の刑務所や少年院の起源となっているような施設です。
この感化院の中でも特に有名なものが、俗に「ベルギー感化院」と言われるものです。
ベルギー感化院はベルギーのブリュッセル郊外のビルホールデに1779年に作られた、ベルギー最大の感化院です。
19世紀ごろには軍事刑務所、、兵学校や病院としても使われ始め、第二次世界大戦中にはナチスドイツの占領下に置かれました。
1950年に一度閉鎖されましたが、現在では都市開発計画の一端として改装が進められ、開放されています。
小湯山SARS医院
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小湯山医院は中国の北京市昌平区にある総合病院です。
2003年に中国でSARS(重症急性呼吸器症候群)で流行した際には、小湯山病院の隣接地にSARS対策のためにわずか7日で専用の小湯山SARS医院が建設されました。
1000人以上の収容ができ、診察室や専用の通路、酸素室、汚水処理施設などの設備を備えた本格的な病院で、SARSの封じ込めに一役買いましたが、流行の終息後は放置されます。
そのため小湯山SARS医院は荒れ果て、「恐怖の小湯山病院」、「中国版サイレントヒル(サイレントヒルとは、コナミの発売する同名のホラーゲームの舞台)」などと言われるようになったため、2010年に撤去されました。
しかし2019年末から中国の武漢から流行を始めた新型コロナウイルスへの対策のため、2020年1月に復建されました。
チャンギ病院
引用元:https://mapio.net/
チャンギ病院は、1935年にイギリス政府により「王立空軍病院」として設立されました。
イギリス空軍の軍事病院として機能しましたが、太平洋戦争時に日本軍によって占拠され、日本軍の兵士や連合軍の捕虜を収容する病院や刑務所として使われます。
当時の連合軍の捕虜は病院の一室が拷問室として利用されたとも供述しています。
太平洋戦争後、1947年に再び病院として利用され、1971年にはANZUK病院(オーストラリア軍、ニュージーランド軍、イギリス軍による合同部隊のための病院)、1975年にはUK Military病院に改名します。
更に同年12月にはイギリス軍が完全にシンガポールから撤退したためにSAF(シンガポール軍)病院となり、1976年にチャンギ病院となりました。
1997年には別の病院と合併してチャンギ総合病院となりますが、その際に古い施設が使用されなくなり、廃墟となりました。
シンガポールでは有名な心霊スポットとなり、落書きの被害などが相次いでいます。
2008年には解体してリゾート開発を進める計画も立てられましたが、頓挫しています。
洲原村診療所
引用元:https://ruins-cat.com/
洲原村診療所は岐阜県美濃市にある、木造の診療所です。
来歴は定かではありませんが、明治時代に開院し、昭和20年ごろには閉院されていたと考えられています。
木造だけあってかなり建物自体は傷んでおり現在はほぼ原型を留めていません。
ですがかつては内装などはほぼすべてそのままとなっており、明治時代ごろの日本の病院の様子を窺い知ることができました。
中でも有名なのが、明治天皇の勅語をしたためた看板であり、この看板から「健全ナル国民ノ診療所」というあだ名がつけられています。
聖仁会小川病院
引用元:https://pouchs.jp/
聖仁会小川病院は「小川脳病院」、「小川精神病院」などと言われる茨城県でも屈指の心霊スポットです。
院内には精神疾患を抱えた患者が書いたものと思われる意味不明の文章が綴られた紙が散乱し、女性のうめき声が聞こえたなどの心霊現象が報告されています。
来歴は不明ですが元々は精神病院、中でも精神病患者を隔離するための病院だったらしく、患者が出られないように鉄格子をかけた窓のある部屋があるという噂があります。
また聖仁会小川病院には遺体をホルマリン漬けにして保存していたという噂があり、病院の地下にはホルマリン処理を施すための水槽があると言われています。
元々隔離をするための病院だったため、田園地帯の森の中に建てられた建物は、放置された今では森林に埋没するようになっているため、見つけるのは非常に困難な状況です。
更に本来病院の入口として整備された道は現在では封鎖されており、通れなくなっています。
信愛病院
引用元:https://stories-of-scary-spiritspot.com/
熊本県熊本市にある信愛病院は「しらぬい荘」とも言われる、熊本県でも代表的な心霊スポットです。
白衣を着た看護師が歩き回る、鳴るはずのない電話が鳴る、などの心霊情報が報告されています。
関係者が自殺した、高齢の患者が自殺したなどのいわくがあるとされていますが、その実、信愛病院がどういった用途で作られ、現在に至るのかという点は謎が多いです。
医療機器が運び込まれ、レントゲン室のような部屋があることから病院であるとも言われますし、老人ホームだったとも言われます。
また心霊スポットとして語り継がれるよな事件は起きておらず、そもそも開院前になんらかのアクシデントにより開院が取りやめられ、そのままになっているとも言われています。
もしそうであれば、先に述べたようないわくはそもそも起きようがなく、心霊情報もかなり眉唾ものになってしまいます。
かつては窓ガラスが割れるなど荒れ果てていたほか、サバイバルゲームの舞台としても使われていたようですが現在は私有地となっており、立ち入りはできないようになっています。
まとめ
今回は廃墟となっている世界の病院について紹介しました。
病院は死期が近い人が多く、人の生死にまつわるいわくが絶えない場所です。
特に精神病院などは、普段の私たちの生活では理解ができないような行動をする人が多いというイメージがあるのか、恐ろしい噂が流れます。
非日常感を味わいたい人は訪れてみてもいいのではないでしょうか。
ただ今回紹介した廃墟は劣化が進んでおり、足を踏み入れるのが危険なものもあります。
くれぐれも気をつけてください。