すべての人々を一瞬で虜にしてしまう宝石。
宝石ははるか昔から美しさの象徴でもあり、忽然と輝く光に私たちは魅了されてきました。
結婚式で渡す婚約指輪もそうですが、皆さんの身近にも先祖代々受け継がれてきた宝石などもあるのではないでしょうか。
宝石は時代を越えても美しさを保ち続け、纏った人の想いも受け継がれていきます。
そんな美の結晶である宝石ですが、時として、宝石を持った人に次々と不幸が訪れてしまう、嘘のようなホントの話もあります。
今回は、世界中で人類を不幸に陥れてきた不思議な力をもつ「呪いの宝石」について紹介します。
ホープダイヤモンド
「始まりは、9世紀のインド南部のデカン高原で農夫によって川で掘り出された279カラットものダイヤモンドのことです。
発見後すぐにペルシア軍がインドに侵攻した際にダイヤを握りしめる農夫の手首を切って略奪していったと言われ、その後ヒンドゥー教の寺院に奉納され、祀られていた女神シータの彫刻にはめ込まれていたと言われています。
時は経ち約800年後の17世紀、フランスの行商人のタベルニエがインドの寺院でこの女神シータにはめ込まれたダイヤモンドの2つのうちの一つを盗み、フランス王ルイ14世に売りつけたことで、怒った寺院の僧侶がこのダイヤに呪いをかけたことが始まりだと言われています。
タベルニエは旅行中にオオカミに襲われ死亡、ルイ14世もダイヤを手にした頃、フランス経済から衰退の兆しが見え始め、天然痘で亡くなりました。
その後所有した、ランバル公妃マリー・ルイーズ、マリー・アントワネット、ルイ16世もみな、フランス革命で命を落としました。
そして、1830年に実業家のヘンリー・フィリップ・ホープがロンドンの競売でこのダイヤを競り落としたのですが、所有して数年後にヘンリー・フィリップ・ホープは急死し、それから約30年後に裕福だったホープ家が破産しました。
いつしかそのダイヤは「ホープダイヤモンド」と呼ばれるようになってしまいました。
宝石商のハリー・ウィンストンもこのダイヤを所有したところ事故で何度も死にかけ、挙げ句の果てに事業で失敗して破産。
また、このダイヤを映画『紳士は金髪がお好き』で身につけたマリリン・モンローも謎の死をとげてしまいました。
現在、このダイヤはワシントンのスミソニアン博物館に保管されていますが、ホープ・ダイヤモンドはもうひとつ存在するとも言われており、今もこの世のどこかで所有者次々と陥れているかもしれません。
コ・イ・ヌールダイヤモンド
今からはるか昔の1300年頃に古代インドのマルク王が所有していたとされる世界最古のダイヤモンド。
聖なる宝物として大切に扱われ、200年後の1526 年には、中国からインドへ侵入してきたムガール帝国の初代皇帝バーバアの手へと渡ったことで、「バーバアダイヤモンド」と呼ばれるようになりました。
その後は帝国の財産として大切に保管されてましたが、さらに200 年後の、1739年にペルシャのナディール王がインドを制圧したときに、 当時のムガール帝国のムハンマド王のターバンに隠されていこのダイヤを手に入れたときに、ナディール王が「コ・イ・ヌール!」(光の山)と叫んだことにより「コ・イ・ヌールダイヤモンド」と呼ばれるようになったと言われています。
その後、コ・イ・ヌールダイヤモンドは、ペルシャやアフガニスタン、パキスタンというようにインドを統治した王たちの手に渡り、「コ・イ・ヌールを持つ者は世界を制する」というような言い伝えもありました。
しかし一方で、「身につけた男性はすべての不運も引き受けなければならない。
だが、神と女性と子供は不幸を受けずに身につけることができる」とも言われていました。
その言葉の通り、過去コ・イ・ヌールダイヤモンドを手にした王たちは「世界」を手に入れましたが、その栄光の後は、コ・イ・ヌールを狙った暗殺やクーデターなどが相次ぎ、手にしたもの皆が悲劇に見舞われて所有者が次々と変わっていきます。
その不幸に終止符を打ったのは、1849年にインドがイギリスの統治下になり、ダイヤを手にしたイギリスのヴィクトリア女王でした。
ヴィクトリア女王は、この言い伝えを信じ、以降、イギリスの王室では代々、王妃だけがこのダイヤを身につけ、受け継ぐようになりました。
オルロフダイヤモンド
オルロフダイヤモンドは、19世紀の始めにインドで黒いダイヤモンドが採掘された事から始まります。
かつてはインドのヒンドゥー寺院にあったのですが、旅の途中の修行僧に盗まれ、そこから呪いが始まったと言われています。
その後、この黒いダイヤモンドがヨーロッパのダイヤモンド・ディーラーのJ.W.パリスという人物に渡り、これを売却するためにアメリカを訪れ、ダイヤモンドは売却されたのですが、マンハッタンの高層ビルから自殺してしまい、呪いの犠牲者となったと言われています。
その後、この黒いダイヤモンドは、ロシアの王妃ナディア・ヴィギン-オルロフの手へと渡りました。この王妃の名から、この黒いダイヤは「ブラック・オルロフ」と名付けられるのですが、ニューヨークでJ.W.バリスが自殺した15年後の1947年に王妃ナディアは建物から飛び降り、自らの命を絶ってしまうのです。
しかし、実は王妃ナディアが自殺する1ヶ月前にも、一時期ブラックオルロフを手にしたことがあるロシア王族の一人である、王妃レオニラも原因不明の飛び降り自殺をしていました。
これら全ては果して偶然であったと言えるのでしょうか。
リージェントダイヤモンド
17世紀初め頃にインドの採掘場で発見された大きなダイヤモンドの原石がありました。
これを掘り出した奴隷はダイヤを売って一人占めするためにダイヤを隠して逃走しました。
しかし、逃走する途中に港で知り合ったイギリス人の船長へ事情を説明して売った分け前を払うと約束して船に乗り込んだのはいいのですが、お金を一人占めしたいと思った船長に奴隷は殺害されてしまいました。
船長はその後、リージェントダイヤモンドの呪いによって発狂して自殺し、ダイヤはフランスに渡りルイ15世のリージェント(摂政)が購入しました。
そのことからダイヤは、「リージェントダイヤ」と呼ばれ、ナポレオンの戴冠式を飾りました。
ナポレオンはダイヤを自分の剣の柄に入れ込んで持ち歩いていましたが、やがてフランス革命で失意のうちに世を去ることになってしまいました。
このダイヤは今、フランスの国有財産としてルーブル博物館に展示されていますが、まさしくフランスの運命を変えた宝石と言えるかもしれません。
サラスバティの涙
サラスヴァティとは、福徳や知恵を授けるというヒンドゥー教の女神のことですが、この名前にちなんだサファイアがあります。
しかし、このサファイアは、福徳や知恵ではなく不幸をもたらすと言われています。
このサファイアは、19世紀にフランスのパリで突然登場しました。
なぜインドのヒンドゥー教の名前に由来があるのか不明で、それより以前の情報についても謎に包まれています。
公園を散歩していた実業家のボルフォールに、装身具の行商をしているジプシーの老女が手渡したといわれています。
ボルフォールは渡されたサファイアを老女に返そうとしましたが、目を離した隙に老女は消えてしまい、結局ボルフォールはサファイアを持ち帰りました。
しかし、それが不幸の始まりでした。ふさふさだった髪の毛が突如抜け始め、宝石の呪いだと思ったボルフォールはすぐにサファイアを手放しました、
その後も次々と所有者が原因不明の病気や階段からの転落、交通事故に、盗難被害などの不幸に見舞われ、宝石を手放すと不幸が収まるという奇妙な現象が続きました。
その後サラスヴァティの涙は世界を巡り巡ってなんと、かつては日本の国立民族学博物館が所有したこともありますが、その時期はちょうどバブル経済が崩壊し、ドロ沼の不況へ突入した時期でした。
これは偶然なのかもしかしたらサラスバティの呪いだったのかもしれません。
まとめ
数々の言い伝えや呪いがある宝石ですが、人々が宝石を巡って自ら奪い争い、次々と命を絶ってしまうようなケースもありました。
これも、宝石が醸し出す美しさや神秘の力なのでしょう。
また、宝石は人の想いを受け継いで、「魂を宿して」商人を通して色々な人へ渡ります。
いつの間にか宝石に魔力や怨念が宿って呪いとなって人々を不幸にしているのかもしれません。
皆さんも、身の回りにある知らない宝石や貰い物の宝石、中古の宝石にはくれぐれも用心してください。