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【閲覧注意】世界一綺麗な7体のミイラとその作り方

現代では日本で亡くなった人はほとんどが火葬にされ、骨となってお墓に納められます。

一部地域では未だに土葬の風習が残っていますが、恐らくほぼ例外はありません。

死後もその姿を留めておくために、かつてはミイラと呼ばれるものが死者の身体を用いて作成されることがありました。

その中には、生前を思わせるような美しい姿を留めているものも見られます。

今回は世界一綺麗なミイラと、その作り方について紹介します。

 

世界一綺麗なミイラ

引用元:https://yallayallagoo.jimdo.com/

普通、人は死んでしまえば腐敗します。

腐敗を免れるためには乾燥などの処理を施しますが、どうしても処理の行程や経年によって姿は変わってしまいます。

古代エジプトのミイラを想像してもらえば分かりやすいでしょう。

しかし世界には生前の姿をはっきりと残しているものもあります。

そんな、世界一綺麗なミイラを紹介していきます。

 

ベルナデッタ・スビルー

引用元:http://www.nazotoki.com/

ベルナデッタ・スビルーはフランス南部のルルドという街で暮らしていた女性です。

貧しいながらも敬虔にキリスト教を信仰していたのですが、1844年に生まれ1879年に亡くなる、35年という短い人生の中でなんと18回も聖母マリアの出現を目撃しています。

9回目の出現の際には、後に教会で公認するものだけでも68件もの難病の治癒例をもたらした「ルルドの泉」が湧き出しています。

死後、ベルナデッタは埋葬されるのですが列福調査で墓が掘り起こされた際に遺体が腐敗していないことが判明、1925年に列福、1933年に列聖されます。

腐敗せず、本人の面影をそのまま残した遺体は、現在も生前にベルナデッタの入会していたヌヴェールの修道院へ安置されています。

顔こそ蝋でできたマスクで覆われていますが、今も眠っているかのような姿で横たわるベルナデッタの姿を見ることができます。

 

ロザリア・ロンバルド

引用元:https://spaicy.jp/

ロザリア・ロンバルドはイタリアの将軍マリオ・ロンバルドの娘です。

1918年に生まれましたが、1920年に肺炎によって亡くなりました。

わずか1年と11か月という短い生を惜しんだマリオは専門家に依頼し、亡くなったロザリアの遺体をミイラ化し、イタリアのパレルモにあるカプチン・フランシスコ修道会のカタコンベに納めました。

同修道会のカタコンベには遺体が多く安置されていますが、多くが時が経るに連れて腐敗して白骨化するのですが、ロザリアの遺体は1世紀以上も亡くなった当時の姿を留めており、「世界一美しい少女のミイラ」と言われています。

あまりに美し過ぎるために「ミイラがまばたきをした」などという話も伝わっています。

ロザリアのミイラで特筆すべき点は、その保存方法にあります。

遺体は液体のある部分から腐敗を始めるため、ミイラを作るときには脳や内臓、血液を取り除くのが一般的です。

しかしロザリアのミイラは内臓や脳をそのままにしたままミイラ化を施しています。

1世紀も原型を留めるミイラとしては、これは異様な事実です。

余談ですが望み通り娘を生前の姿のまま留めておくことに成功したマリオは、当初は毎日ロザリアを見に行っていました。

ただ年月が流れてもまったく変わることのない娘の姿に深い悲しみを抱き、次第に通う回数を減らし、ついにはまったく通わなくなったと言われています。

 

ウラジミール・レーニン

引用元:https://gigazine.net/news/

ウラジミール・レーニンと言えば、ロシア革命の指導者であり、ソビエト連邦の初代人民委員会議議長です。

レーニンは権力の座に就いた後、暗殺未遂をきっかけに次第に体調を崩し、1924年に亡くなっています。

葬儀はソ連で実権を握っていたヨシフ・スターリンによって取り仕切られました。

レーニンの遺体は保存処理が施され、現在もモスクワの中心部、赤の広場にあるレーニン廟に安置されています。

その保存処理の方法については長く秘密が厳守されており、一部では実は剥製なのではないか、という説や遺体はとうの昔に埋葬されており、蝋人形とすり替えられているのではないか、という説も囁かれていました。

実はソ連ではレーニンのほかにもレーニンの後を継いだスターリンと、石膏のギブスなど、多くの外科治療の手法を開発した19世紀の外科医ニコライ・ピロゴフの遺体も保存処理が施されています。

ピロゴフの遺体は、現在もピロゴフの亡くなったウクライナのヴィーンヌィチャという街の、ピロゴフの邸宅の地下墓所に安置されています。

一方スターリンの遺体も長くレーニンの横で安置されましたが、ニキータ・フルシチョフによって1961年に行われた「スターリン批判」の一環として、赤の広場の「英雄墓域」に埋葬されました。

ソ連解体後、レーニンの遺体を撤去する運動は幾つも起こりました。

保存費も決して安くありませんが、現在も撤去されないままです。

 

ダシ=ドルジョ・イチゲロフ

引用元:http://gakkenmu.jp/

ダシ=ドルジョ・イチゲロフは、1852年にブリヤート王国(現在のロシア連邦ブリヤート共和国)に生まれた、ブリヤート族のラマ僧(チベット仏教の僧侶)です。

1911年には「パンディト・ハンポ12世」としてラマ教の指導者に就き、当時のロシア帝国で唯一の仏教指導者として、ヨーロッパで初めての仏教寺院をサンクトペテルブルクに建設しました。

公式な記録では、イチゲロフは1925年に亡くなったことになっています。

当時75歳のイチゲロフは「30年経ったら掘り起こして欲しい」と弟子に言い残して入滅(煩悩の炎を消して解脱する、仏教における死去)しました。

木箱の中で塩と共に結跏趺坐を組んだイチゲロフが収められ、埋められています。

そのおよそ30年後となる1955年に、当時のバンディト・ハンポ17世によって掘り起こされたのですが、イチゲロフの遺体は30年前のものとは思えないほどきれいな状態で保たれていました。

それどころかイチゲロフの遺体は肌の弾力を保ち、関節も死後硬直をしていませんでした。

しかも遺体は水分を排出し、体重まで増えていたというのです。

無宗教を掲げていたソ連時代が長かったため、ずっと埋葬されていましたが、2005年にイチゲロフの遺体は即身仏として認定され、ブリヤート共和国の首都ウラン・ウデ近郊のイヴォルギンスキー・ダツァンという仏教寺院に納められています。

2017年には、イチゲロフらしい人影が歩き回る姿が仏教寺院の監視カメラに捉えられています。

 

トーロンマン

引用元:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/

1950年、デンマークのピートボグ(酸性の泥炭が堆積する湿原)で、ひとりの男性の遺体が発見されました。

各種の測定によって、男性は紀元前4世紀ごろに縛り首によって殺されたことが判明しました。

恐らく当時に生贄にされたものだと考えられています。

トーロンマンと名付けられたこの遺体は腐敗などが進んでおらず、あまりにも状態がよかったために近年起きた殺人事件の被害者だと言われたこともありました。

ピートボグで発見された遺体は総じて状態のいいものが多く、湿地遺体と言われています。

トーロンマンのほかにもグラウベールマン、ハラルドスカー・ウーマンなどが湿地遺体の代表例として挙げられます。

 

イタリアの水銀ミイラ

イタリアのヴェローナ市の郊外にあるデゼンツァーノ病院には、19世紀に医学研究目的に作られた5人分のミイラが安置されていました。

解剖学者のジョバン・バティスタ・リーニによって作られ、現在も生前の姿を思わせるような状態を保っています。

イタリアの研究チームが検査をした結果、遺体に水銀とヒ素を注入するなどの科学的な処理を施していたことが明らかになっています。

同じくイタリアのナポリにあるサンセヴェーロ聖堂には、生きた人間の血管に水銀を注射することで作りあげたと言われている骨格標本が残っています。

血管の中で固まった水銀が血管を保存しており、標本の周囲はかなり正確に血管が残されています。

この陰惨な標本は、第7代サンセヴェーロ公爵であるライモンド・ディ・サングロが錬金術の実験で作りだしたと伝えられています。

ただ実際はサンセヴェーロ聖堂の水銀ミイラは、解剖図などを参考に蝋などで作りあげられたものであることが判明しています。

 

インカ帝国のミイラ

引用元:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/

1999年、アルゼンチンとチリの国境にあるユーヤイヤコ(ジュージャイジャコ)という山の山頂付近、「インディオの石壁」と呼ばれる空間で、3体のミイラが発見されました。

内訳は「ラ・ドンセーヤ(乙女)」と名付けられた13歳ほどの少女、「ラ・ニーニャ・デル・ラヨ(輝ける少女)」と名付けられた6歳ほどの少女、そして7歳の少年です。

保存状態は良好で、亡くなった当時の安らかな表情も分かりません。

何度か落雷にあったようで、服飾品の一部が燃えていました。

ミイラは500年以上も昔のものだと考えられており、当時のインカ帝国で「カパコチャ」と呼ばれた生贄の儀式の生贄である「アクラス」なのではないかと推定されています。

3人のうち、ラ・ドンセーヤは豪華な副葬品を纏っていたため、3人の中でも位の高く、生贄になるために育てられた「アクヤ(太陽の巫女)」だと考えられています。

後の調査で、3人は死ぬ1年前から向精神作用の持つコカ(コカイン)とチチャ(トウモロコシから作る、インカ帝国のお酒)を摂取していたことが判明しており、周到に生贄としての準備が進められていたことが分かりました。

インカ帝国の宗教では生贄は大切な存在であり、南米ではインカ帝国時代の生贄と思われるミイラが数多く発見されています。

 

綺麗なミイラの作り方

引用元:https://jp.sputniknews.com/

まさかそんな事態はないとは思いますが、もし先に紹介したような綺麗なミイラを作りたいと思ったとき、私たちは何をすればいいのでしょうか。

綺麗なミイラには実はいくつかのパターンが存在しており、私たちでも準備を入念にしていれば作ることは不可能ではありません。

現実的に作ろうとすると法律の問題もあるので、作り方と合わせて紹介していきます。

 

古代エジプトでのミイラの作り方

まずはミイラと聞いて真っ先に思い浮かべるであろう、古代エジプトのミイラの作り方を紹介します。

ミイラと言えば乾燥しているというイメージがあるかもしれません。

もちろん長い間形を保つためには、乾燥していることは欠かせませんが、ほかにも工夫が施されています。

古代エジプトでのミイラの作り方は、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスが著書『歴史』で細かく触れています。

ミイラを作るうえで最初の行程は、腐りやすい脳髄と内臓を取り出すことです。

まず曲がった刃物を鼻孔から入れて脳髄を、脇腹を切開して内臓を摘出します。

そして没薬(コミフォラという樹木から取れる樹脂)とニッキ、乳香(かんらん科の樹木から取れる乳白色の香料)以外の香料を、切開した脇腹から詰めて、切開跡を縫い合わせ、遺体を天然のソーダに70日間漬けます。

70日後、遺体を洗い、包帯で全身を包み、ゴムを遺体に塗ることでミイラが完成します。

古代エジプトではミイラのグレードが上級、中級、下級に分かれており、紹介したのは上級のミイラの作り方です。

 

薬物による保存処理

さて綺麗なミイラを人為的に作ろうと思えば、最も手っ取り早い方法が薬物で保存処理を施すことです。

古代エジプトでもソーダを使って保存処理を施しているほか、現代でもエンバーミング(遺体衛生保全)という技術が発達しています。

「世界一美しい少女のミイラ」であるロザリア・ロンバルドは、遺体保存の専門家であるアルフレッド・サルフィアによってミイラ化が施され、2009年にその方法が明らかにされました。

アルフレッドはアルコールやホルマリン、湿潤状態を保つためのグリセリン、保存状態を保つための塩化亜鉛、腐敗菌の繁殖を防ぐためのサリチル酸などをロザリアに注射し、顔には色艶を保つためにパラフィンを注射していました。

ほかにも社会主義国では指導者の遺体に保存処理を施してミイラ化する例が多く見られ、レーニンやスターリンのほかに毛沢東やホー・チ・ミン、金日成、金正日がミイラ化され、専用の施設に安置されています。

 

;死蝋現象によって発生する

ミイラには乾燥などによって腐敗菌の繁殖を止めることで人為的に作られたケースがある一方、自然に発生したものもあります。

例えばベルナデッタ・スビルーや、湿地遺体と言われる古代人のミイラが代表的でしょう。

これらの自然に発生したミイラには、「死蝋」という現象によって作られたケースが見られることがあります。

死蝋とは遺体がなんらかの原因によって腐敗菌の発生しない状態に置かれ、外気と遮断されたために腐敗が進行せず、体内の脂肪が鹸化(塩基が油脂をグリセリンと高級脂肪酸塩に分解する反応)する現象のことです。

平たく言えば、遺体がロウソクになることで長期間その姿を保つことが可能になるのです。

湿地遺体と呼ばれる遺体は、強酸性の水、周辺の低温、酸素の欠乏と言ったピートボグの特異な環境によって腐敗菌の繁殖が抑えられているがために、生前の姿を保っています。

死蝋という現象は昔から認知されており、死刑になった者の手首を切り落として死蝋化させたものは「栄光の手」といういわくつきの道具となりました。

栄光の手はロウソクの代わりに使われ、火を灯せば様々な加護がもたらされると信じられていました。

 

ミイラを作成するには法律をクリアしなければならない

ミイラは現代の技術をもってすれば、決して作れないことはありません。

しかし実際に作ろうと思うと、確実に法律違反となってしまいます。

例えば生前からミイラを作ろうとすれば、仮にミイラとなる人の同意があっても(なければ殺人罪である)、自殺関与・同意殺人罪(刑法第202条)、および保護責任者遺棄致死傷罪(刑法第219条)に問われることとなるでしょう。

ミイラ化の処理を施すために遺体を勝手に加工すれば、死体損壊・遺棄罪(刑法第190条)に問われます。

更に人が亡くなって、葬儀を行い、所定の墓地に納めるまでの一連の行為は「墓地、埋葬等に関する法律(墓埋法、埋葬法)」によって定められています。

墓埋法では遺体を納めることができるのは各都道府県に保管の許可をもらった場所でなくてはならないと決められており(5条)、勝手に空間を作ってミイラを安置すると死体損壊・遺棄罪(刑法第190条)に加え、墓埋法の罰則規定が適用されます(21条)。

このように現代の日本でミイラを作ろうと思うと、数々の法律をかいくぐらなくてはなりません。

保存そのものも決して容易ではないので、かかる手間は想像を絶することでしょう。

 

まとめ

今回は世界一綺麗なミイラの事例と、その作り方について紹介しました。

古来より人の身体は特別視され、腐敗から逃れるために多くの方法が考案されてきました。

現代技術を用いれば、生前の姿を100年以上保つミイラを作ることができます。

ただ人の生死、死体の腐敗・分解は自然の節理の一部です。

万が一、ミイラを作りたいと思うことがあるにしても、慎重に考えたほうがいいでしょう。

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