暖かい海で泳いでいるとき、サンゴ礁や岩礁の影にひっそりと隠れている綺麗な貝を見つけたことがある方も多いのではないでしょうか。
砂浜に打ちあがった穴だらけの死んだ貝よりも美しく、思わずその手で取ってしまいたくなりますよね。
でもよく見てみてください。
それはもしかしたら恐ろしい毒をもった「アンボイナガイ」かもしれません。
「たかが小さな貝1つに何ができるの?」と思われるかもしれませんが、アンボイナガイはそのきれいな貝殻とは裏腹危険な毒を持ち、毎年その毒によって死傷者を出している恐ろしい貝なのです。
今回はそんなアンボイナガイを紹介していきます。
アンボイナガイとは
アンボイナガイ(Conus geographus)は軟体動物門腹足綱新腹足目イモガイ科イモガイ属に分類される巻貝の仲間で、アンボイナや広義の意味でイモガイとも呼ばれています。
世界に600種類ほどいるイモガイ科の中でもアンボイナガイは最大種で、その大きさは8~13cm程あります。
その貝殻は個体によって様々ですがまだら模様や幾何学模様など非常に美しいことから、コレクターに人気のアイテムとなっています。
太平洋やインド洋の暖かい海に広く分布しており、日本では本州中部以南の浅瀬のサンゴ礁及び岩礁域に生息しています。
アンボイナガイは魚食性の貝ですが、非常に鈍足なためそれを補うために強力な毒を用いて魚を仕留める珍しい貝です。
夜行性なため、昼間は砂や石の下に隠れて過ごしています。
引用;http://dailycampus.com/
アンボイナガイの名前の由来
インドネシア東部の最大の都市の1つであるアンボンという主要都市の近海では、アンボイナガイが多く生息しているためこの名前が付けられました。
アンボイナガイには様々な通称や別称があります。
沖縄県ではその毒の強さから毒蛇のハブの名前をもらい『ハブガイ』、海でアンボイナガイに刺されると助けを求めに行くどころか「浜の半ば」あたりで死んでしまうという意味で『ハマナカー』とも呼ばれています。
また、刺された人がタバコを吸う間もなく死に至ることから、アンボイナガイは英名で「Cigarette snail;タバコ貝」とも呼ばれています。
ちなみにアンボイナガイの科名であるイモガイの由来は、見た目がまるで里芋のような形をしていることから呼ばれるようになりました。
引用;https://lingkunganhidup.co
アンボイナガイの毒
アンボイナガイが恐ろしいとされるのはその毒にあります。
アンボイナガイは数百種類の毒素から成る毒をもっており、その主成分はコノトキシン類の一種である「ニルヴァーナ・カバル(Nirvana cabal)」と呼ばれる非常に強い神経毒です。
このニルヴァーナ・カバルは神経の情報伝達を遮断する作用があり、刺されると手足が痺れるなどの症状が現れ、重症化すれば死に至る危険な毒です。
また毒の中にインスリンを含んでいるため、刺されると体内の血糖値が急激に下がってしまい、放心状態や混乱状態に陥ってしまいます。
アンボイナガイに刺された場合の致死率は60~70%と非常に高く、毒に対する血清も特効薬も存在しません。
しかも、厄介なことにアンボイナガイが人間を刺しても痛みが少なく(蚊に刺された程度、チクッとする程度痛み)、ほとんど腫れもありません。
そのため、刺されたことに気づかず、毒の餌食になってしまい重症化したり死亡したりする事故が多い生物です。
引用;https://pixabay.com/
アンボイナガイの毒の強さ
アンボイナガイの毒の強さを他の生物と比較してみるとその恐ろしさが際立ちます
今回はよく知られている生物毒や化学毒の強さを半数致死量(LD50)で表していきます。
半数致死量とは、物質の毒性を示す指標の一つで、毒を投与した実験動物の半数が一定時間内に死んでしまう量を表しています。
半数致死量の値が小さいほど毒性が強くなっており、並べてみると以下のようになります。
生物毒の強さ
・ヤマカガシ 5.3mg/kg(日本一強い毒蛇)
・ヒョウモンダコ 0.02mg/kg(フグ毒をもつタコ)
・アンボイナガイ 0.012mg/kg
・ナイリクタイパン 0.01mg/kg(世界一強い毒蛇)
化学毒の強さ
・青酸カリ 10mg/kg
・サリン 0.2mg/kg
このようにアンボイナガイの毒は生物毒の中でも有名なフグ毒以上の強さをもっている上、世界一強い毒を持つヘビであるナイリクタリパンと変わらない毒の強さを持っています。
また、化学毒においてもドラマやアニメの殺人事件で使われる青酸カリの100倍、戦争やテロで使われた兵器であるサリンの10倍の強さがある猛毒をもっていることがわかります。
そしてアンボイナガイ1体には、成人男性30人分の致死量に相当する毒が入っています。
引用;https://pixabay.com/
アンボイナガイの毒を刺すメカニズム
アンボイナガイは歯舌歯(しぜつし)※と呼ばれる特殊な毒針をもっていて、それを獲物に打ち込むことで狩りを行います。
この歯舌歯は先端の尖っている上、鋭いかえしがついている銛のような形をしているため、刺さってしまうとなかなか抜くことが出来ません。
アンボイナガイは歯舌歯を口の中にある筒状の器官(吻)の中に持っています。
アンボイナガイは獲物を感知すると口を大きく広げて毒腺のある吻の中から毒を出し、獲物の動きを鈍らせます。
獲物が口に入ったら吻の中を毒で満たし、獲物向かって歯舌歯を発射し、毒をさらに注入しとどめを刺します。
このアンボイナガイのもつ吻は口の中から外へ数10cmほど伸ばすことができるため、外敵から身を守るのにも使っています。
そのため、アンボイナガイは外敵へこの毒針を容赦なく撃つことができます。
さらに、この毒針はウェットスーツをも貫通させるほどの長さと硬さと威力を兼ね備えています。
※二枚貝を除く軟体動物には歯舌(しぜつ)と呼ばれる歯と舌の役目を持った器官をもっています。
歯舌は簡単に言うと、舌の上に歯が生えていて、舐めることで餌を削り取ることができる器官です。
そのため歯舌をもつほとんどの軟体動物ではファスナーのようなギザギザの歯舌歯をもっていますが、アンボイナガイを始めとしたイモガイ類だけは毒針のような歯舌歯を持っています。
引用;http://www.env.go.jp/
アンボイナガイの毒の症状
アンボイナガイに刺されると、いわゆる低血糖と同じような症状になります。
①刺された患部を中心に痺れはじめ、発汗、手足の震え、動悸、脈が早くなる、不安になる、混乱状態に陥るといった自律神経症状が出ます。
②強い空腹感、吐き気、めまいなどが起こります。
患部以外にも手先や足先、唇など体の先端が痺れてきます。
③目がかすむ、物が二つに見える、頭痛、放心状態になる、身体に力が入らない、眠くなる、意識が遠のくなどの中枢神経が出ます。
酷くなると意識障害や昏睡状態に陥ってしまいます。
④毒が心臓に達してしまうと、呼吸困難となり死に至ります。
アンボイナガイの毒は刺されてから数分後に症状が現れ、およそ40~5時間の内に死亡してしまうので、時間との勝負となります。
引用;https://pixabay.com/
アンボイナガイに刺された時の応急処置
アンボイナガイに刺された時の応急処置は以下の通りです。
①刺された患部から心臓に近い方を縛り、毒が全身に回るのを防ぎます。
②患部からできる限り毒を吸い出します。
③速やかに医療機関を受診する。
もし救急車が来る前に呼吸が止まってしまった場合は人口呼吸を施しましょう。
アンボイナガイの毒はインスリンによって体が動かなくなったところを毒が侵すといったメカニズムなので、『毒に侵されて死んでしまう』か『体が動かなくなって溺死してしまう』という2パターンが起こり得ます。
そのため、海で刺されたことが分かったら体が動かなくなる前に海から上がり、すぐに救急車を呼びましょう。
引用;https://pixabay.com/
アンボイナガイによる事故
アンボイナガイによる事故は記録に残っている限りで明治時代から存在し、その被害は特に沖縄県で多く報告されています。
沖縄県におけるアンボイナガイの事故調査は1890年代~1996年代までで一度実施されています。
この調査報告では、アンボイナガイによる事故は23例で、その内の8例は死亡しています。
重症は13例、軽症は2例、死亡例では特に13歳以下の子供に死亡者が多く、成人の死亡は1例だけでした。
そして2017年までに少なくともアンボイナが原因で死亡したダイバーは30人以上、沖縄県でのアンボイナガイ被害は20人以上いるといわれています。
しかし、アンボイナガイは前述した通り水中で刺されて溺死するパターンがあるので、アンボイナガイによる被害例として報告されてないものも多くある可能性があります。
実際に毎年刺症者が10人前後出ていることからも、アンボイナガイによる刺症者がまだまだたくさんある事が伺えます。
引用;https://seseragijiro.at.webry.info/
アンボイナガイの天敵
フグ毒や世界最強の毒蛇よりも強い毒をもつアンボイナガイは無敵に見えますが、実は苦手な相手がいます。
それは意外にもカニやエビなどの甲殻類と同じイモガイ科のタガヤサンミナシガイです。
甲殻類の全身を覆う硬い甲殻はアンボイナガイの必殺技である毒槍を通さないため、毒を注入することができずに食べられてしまうようです。
そもそもアンボイナガイの毒は効かないのではないかともいわれています。
タガヤサンミナシガイは貝食性のイモガイ類で、同族にも有用な毒をもっているため、アンボイナガイも容赦なく食べられてしまいます。
引用;https://pixabay.com/
アンボイナガイの猛毒、奇跡を起こす?
アンボイナガイの毒は人間を死に至らしめるほどの猛毒ですが、近年、この毒を基にして新薬の開発研究が進められています。
2014年オーストラリアクイーンズランド大学のデービット・クラックらの研究チームがアンボイナガイの毒であるコノトキシンから作った実験用の薬剤に、ある特定の疼痛受容体に作用することを明らかにしました。
つまり、痛みを麻痺させる鎮痛効果がある可能性を示唆したのです。
まだ試験段階ですが、この薬剤には慢性神経痛のために使われているモルヒネやガパペンチンなどの従来の鎮痛薬に比べておよそ100~1万倍程度の効果があると考えられています。
しかも、従来の鎮痛薬と違って副作用や中毒性が無いこともわかってきているので、近い未来、アンボイナガイによって人類が救われる日が来るかもしれません。
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まとめ
いかがでしたか。
アンボイナガイは10cm程度の美しい柄をした貝ですが、人を殺してしまうような強力な毒をもっているので、「美しい花には棘がある」といった言葉が非常に似合う貝でしょう
アンボイナガイによる被害は海の中できれいな貝だと不用意に触ってしまったり、誤って踏んでしまったり、潮干狩りで掘り起こしてしまったりと人間側が手を出したことによるものです。
そのため、海でアンボイナガイを見かけたら触らずにその場で鑑賞する程度に抑えましょう。
意図せず刺されてしまったならすぐに周りに助けを求めて応急処置を施してください。
魅力あふれる海の中は野生生物の宝庫で危険な生物もいることを忘れずに、海を楽しんでくださいね。