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騙された!世界的科学者達による世紀の捏造事件10選

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私たちの社会や歴史は数多くの発見によって彩られています。

偉大な発見をした科学者は社会的にも多大な栄誉を与りますが、同時に栄誉欲しさに自身の研究や発見を捏造してしまう事件は後を絶ちません。

今回はそんな捏造事件の中から特に社会的に大きな影響があった10個の捏造事件をご紹介します。

 

ベル研究所シェーン事件


引用元:https://www.huffingtonpost.jp/
ベル研究所シェーン事件は2002年にアメリカ・ベル研究所に所属するヤン・ヘンドリック・シェーンが起こした捏造事件で、科学史上最悪のスキャンダルであると言われています。

シェーンは物性物理学で博士号を取得してベル研究所に入った後、フラーレン(炭素の特殊な同位体)を用いた高温超伝導を研究しており、輝かしい成果を発表しました。

2000年には有機物の超伝導転移温度の最高記録を更新する52K(-221℃)での超伝導を確認、2001年にはこの記録を117K(-156℃)で更新しています。

シェーンの研究分野はシリコンベースのエレクトロニクスからの脱却と集積回路の小型化へと繋がり、人類の情報通信技術の発展を導くものでした。

シェーンは若手研究者として一躍脚光を浴び、数々の賞を受賞、「ノーベル賞に最も近い男」と言われていました。

しかし一方シェーンが論文に掲載した実験のデータには複数の数値に酷似したものがあるなど不自然な点も多く、次第に指摘の声が多く上がるようになりました。

シェーンは実験結果のデータは出身大学にあって公開できないなどの証言を繰り返しましたが、調査の結果複数の実験で同一のノイズが確認されるなど、論文25本と共著者20人に実験結果の捏造の嫌疑がかけられます。

2002年5月ベル研究所はシェーンに対する不正調査委員会を立ち上げて告発を募った結果24件もの告発が集まりました。

生データや実験サンプルを処分されているなど調査は難航しましたが、2002年9月に不正調査委員会は調査報告書を公開、24の告発のうち少なくとも16件についてシェーンによる不正行為が存在したことが明らかとなりました。

ベル研究所は公開当日にシェーンを解雇します。

この事件はベル研究所での初めての捏造事件となりました。

 

旧石器捏造事件(ゴッドハンド事件)


引用元:http://inoues.net/
1970年代、考古学研究家の藤村新一が東北地方でそれまで日本には存在しないと考えられていた前期・中期旧石器時代の遺物を発見したことで、1980年代には日本にも前期・中期旧石器文化が存在していたと考えられるようになりました。

藤村は石器探しが非常にうまかったことから「ゴッドハンド」、「神の手」と呼ばれ、1992年には東北旧石器文化研究所設立に立ち会い、在野の考古学研究家を対象とする相沢忠洋賞を受賞するなど、日本の考古学研究の大家として名を馳せるようになります。

しかし藤村の20年余りの発掘は発見効率が異常によく、また発見経緯にも不自然なものが多かったことに疑念を抱く人が表れ、毎日新聞北海道支社への取材を持ちかけました。

毎日新聞北海道支社は藤村らの発掘チームに密着取材をする中で、藤村があらかじめ石器を調査する地層へ埋め込んで仕込んでいる様子のビデオ撮影に成功します。

そして2000年11月5日の朝刊で報じたことをきっかけに藤村の発掘業績のほとんどが捏造であることが判明、日本における前期・中期旧石器時代の研究が水泡と帰し、教科書の記述が改訂される事態にまで発展しました。

当時日本の考古学では発掘された地層の年代測定によるしかなかったことから、20年にもおよぶ捏造を許すこととなっていました。

藤村は取材で功名心から捏造を始め、次第にプレッシャーから捏造を繰り返すようになったと発言、事件の発覚後は解離性同一性障害を患って障害者認定を受け、自身の右手の人差し指と中指を切断、また捏造時の記憶を失っていると述べています。

 

ピルトダウン人事件


引用元:https://mag.japaaan.com/
1912年、イギリスのアマチュア考古学者であるチャールズ・ドーソンがイギリスのイースト・サセックス州アックフィールド近郊のピルトダウンで発掘したという化石人類の頭頂骨や側頭骨を大英博物館に持ち込みました。

その後の調査によってピルトダウンで後頭骨や下顎骨、石器の一部などが見つかったことから化石人類のひとつと断定、研究者であるアーサー・スミス・ウッドワード卿が「Eoanthropus dawsoni(ドーソンの夜明けの人)」と学名をつけて発表しました。

ピルトダウン人は類人猿と現生人類の特徴を合わせ持った外見をしており、ウッドワード卿は更新世初期における、現生人類の最古の祖先であると考えます。

日本でも「ドーソン原人」、「曙人」と呼ばれ、当時の未発達な古代人類学においてピルトダウン人の存在はすんなりと受け入れられることとなります。

しかし1949年、新しく導入された年代測定法であるフッ素法でピルトダウン人の骨を測定した結果5万年前のものであることが判明し、ウッドワード卿の考えはあえなく否定され、更に1953年に精密な調査を行った結果、ピルトダウン人の骨は人間とオランウータンの骨を接合した捏造であることが判明しました。

捏造が発覚したことで問題の焦点はこのピルトダウン人を誰が作ったのか、に移りました。

当初は第一発見者であるチャールズ・ドーソンかと思われましたが、アマチュア考古学者であるドーソンに人骨とオランウータンの骨を精巧に接合することは不可能と見て間違いなく、むしろ被害者であると考えられます。

イギリスの科学誌「ネイチャー」はウッドワード卿と対立関係にあった「マーティン・ヒントン」による捏造ではないか、という推理を展開しました。

面白いところでは元々医者であり、ピルトダウン近郊に住んでいた推理作家のアーサー・コナン・ドイルによる犯行だという説も流れました。

いずれにせよ関係者が亡くなってしまっていたので、真実は闇の中となってしまいました。

 

アルサブティ事件


引用元:https://haklak.com/
イラク出身の医学研究者エリアス・A・K・アルサブティは度重なる研究不正によって自らのキャリアを構築しました。

イラクのバグダード大学で医学を学んでいたころに、あまり有名でない学術誌に掲載されていた論文を盗用し、別の学術誌に掲載するという形でなんと60件もの研究実績を偽ったと言われています。

アルサブティはイランを追われ、ヨルダンへ逃れたのちにヨルダン王室に取り入ることで多くの研究資金や設備面での投資を得てがん研究をしていましたが、1977年にがん研究者としてアメリカへ渡ります。

しかし研究者としての知識や技術に欠いていたアルサブティは行く先々で研究所を追われ、あまつさえ自らの研究不正を追及されてしまいます。

後に医者へ転身しますが研究不正の発覚により医師免許を剥奪され、1990年、南アフリカで交通事故に遭ってこの世を去ります。

アルサブティの経歴については論文以外にもある時期からバグダード大学で博士号を取得したことになっているなど、履歴書の段階から盗用の可能性があるなど確かなところははっきりとしていません。

実際に1990年に死亡したかどうかも確かではないのです。

アルサブティの研究不正事例に関しては、サイエンスライターのウィリアム・ブロードとニコラス・ウェイドが科学論文の捏造やデータ改竄などについて著した『背信の科学者たち』で章を割いて説明されています。

 

サマーリン事件


引用元:https://haklak.com/
1973年、アメリカ・ニューヨーク州のスローン・ケタリング記念癌センターに勤務するウィリアム・T・サマーリン博士は遺伝的に無関係の生物間の皮膚移植であっても数週間特別な培地で皮膚を培養することにより、移植の成功率を高めることができると発表しました。

サマーリンの研究分野である移植免疫学においては、同種、あるいは異種間による移植が盛んに研究されていましたが皮膚移植であっても免疫系の拒絶反応により、移植した皮膚が剥がれてしまうことが問題となっていました。

サマーリンの提唱した理論はこの問題を克服するもので「器官培養理論」、「サマーリン理論」と呼ばれ、医療技術の大きな進歩を示すものとなります。

しかしこのサマーリン理論は他の研究者やサマーリンの部下、さらにサマーリン本人ですら追試に失敗する有り様で、懐疑的な見方をされるようになりました。

1974年、サマーリンは研究所の所長であるロバート・A・グッドと今後の対応策を話し合うために、サマーリン理論に基づいて皮膚移植を施されたマウスを持参しようとします。

サマーリンはメラニン色素を持たない白いマウスに、メラニン色素を持つ黒いマウスの皮膚を移植して色が変わらないよう定着させることで自らの理論の正しさを証明しようとしていました。

ですがマウスの移植された皮膚片は灰色になっており、エビデンスとしての価値はありませんでした。

そこでサマーリンは持っていた黒のマーカーで斑点を黒く塗りつぶすことで実験に成功したように見せかけたのです。

当然こんなずさんな手でごまかしてもすぐに捏造が明らかとなりました。

そのうえサマーリンが最初に実験に成功した際に用いたマウスも実は遺伝的に類似した系統だったことが判明し、彼の成果はすべて捏造であるとして撤回されることとなります。

この事件以後、「研究詐欺」を意味する言葉として「painting the mice(マウスを塗る)」という言葉が使われるようになりました。

 

ES細胞捏造事件


引用元:https://webronza.asahi.com/
ES細胞捏造事件は2005年に発覚した、韓国・ソウル大学の黄禹錫(ファン・ウソク)教授らによる胚性幹細胞(ES細胞)に関する論文でデータの捏造が発覚した事件です。

2004年2月、黄禹錫らは体細胞由来のヒトのクローン胚からES細胞を作製することに世界で初めて成功したと発表しています。

ES細胞は理論上すべての細胞に転化する可能性を持つもので、再生医療へ幅広く利用されることを期待されています。

2005年5月には患者の皮膚組織から患者ひとりひとりに合わせてカスタマイズしたES細胞を作ったと発表し、そのうえ作製に使用した卵子もわずか184個に留まるなど実用化に向けて大きな前進であるとされました。

しかし2005年11月を境に韓国国内で人卵子売買、不法卵子による人工授精手術のブローカーの存在が明らかとなり病院へ警察の捜索が及び、ES細胞に関する論文の共著者が逮捕される事態が発生します。

11月10日には2005年論文の共著者であるアメリカ・ピッツバーグ大学のジェラルド・シャッテン教授が「黄禹錫教授は卵子を違法入手している」と告発、研究に用いた卵子の入手経路が倫理規範に反するものであったうえ、論文に用いた培養細胞の写真が2個を11個に水増ししたものであることが判明します。

その後、黄禹錫らの研究が完全な捏造であることが確定し、2006年1月の「サイエンス」誌でこれまで掲載された論文がすべて撤回されました。

この事件は後に『提報者 ES細胞捏造事件』という題で映画化され、2014年に公開されています。

 

ネッシー捏造事件


引用元:http://www.never-world.com/
ネッシーとはイギリスのネス湖で目撃されたと言われている未確認生物「ネス湖の怪物(ロッホ・ネス・モンスター)」の通称です。

ネッシーは長い首と太い胴体が特徴的な生物で、体長10~20メートル、体高7~8メートルほどと推定されており、陸地へ上がる姿が目撃されることから両生類であると考えられています。

最初の目撃例は6世紀にまで遡りますが、その存在が注目されるようになったのは1933年以後のこととなります。

1933年5月、ネス湖の湖畔でホテルを経営するマッケイ夫妻がネッシーを目撃したという証言が新聞に掲載され、話題を呼びました。

同年11月には会社員のヒュー・グレイが、1934年5月には産婦人科医のロバート・ケネス・ウィルソンが、それぞれネッシーのものとおぼしき写真を撮影したことで話題となりました。

しかし1993年11月、ウィルソンの知人であるクリスチャン・スパーリングが、ウィルソンの写真として知られるものがおもちゃの潜水艦とネッシーの首を模したものを使ったトリック写真であることを証言します。

それ以後ウィルソンの写真は「外科医の写真」と呼ばれ、ネッシーの捏造写真の代名詞として語られるようになりました。

 

ウェイクフィールド事件


引用元:http://edition.cnn.com/
アンドリュー・ジェレミー・ウェイクフィールド博士はイギリスのロイヤル・フリー病院に勤務する1998年に、麻疹、風疹、おたふくかぜの予防接種として使われる新三種混合ワクチン(MMRワクチン)と自閉症の関係を示唆する論文を「ランセット」誌に発表し、大きな騒動を招きました。

ウェイクフィールドはMMRワクチンが自閉症の原因となること、MMRワクチンによって発症する自閉症と腸疾患を複合させた「自閉症的全腸炎」という病気を発見したことを発表し、大きな批判に晒されます。

2004年にはウェイクフィールドの研究の被験者にワクチン製造メーカーを相手にする訴訟の担当弁護士の子どもであること、さらに裁判と絡んだ研究に対し支援を行うリーガル・エイド・ボードという公共機関からウェイクフィールドへ資金が流れていることが判明、この重大な利益相反によって論文の一部が撤回されます。

さらに科学的にも問題が相次ぎ、2010年にはイギリスの医事委員会はMMRウイルスと自閉症の関係を否定、論文も全撤回されます。

しかしウェイクフィールドの論文の反響は大きく、彼の論文を信じた人は自分の子どもにMMRワクチンを投与させず、結果として多くの風疹患者を生むこととなりました。

 

ルイセンコ論争


引用元:https://page.auctions.yahoo.co.jp/
ソビエト連邦の生物学者、農学者のトロフィム・ルイセンコは同じくロシアの生物学者であったイヴァン・ヴラジーミロヴィッチ・ミチューリンの交配理論を支持し、疑似科学運動と絡めてルイセンコ学説と名付けました。

ルイセンコ学説は獲得形質(環境によって獲得した後天的な性質)が遺伝するという考えが元となっており、メンデルの遺伝と遺伝子の存在、ダーウィン進化論を否定しています。

当時の指導者であるヨシフ・スターリンはこのルイセンコ学説をマルクス・レーニン主義の弁証法的唯物論にかなうものとして支持し、メンデルの遺伝学をブルジョワのものとして否定しました。

ルイセンコはソ連の農業科学アカデミーで自らの学説をキャンペーンし、スターリンの後押しで反対派を排除することでセンターの所長へ就任します。

このときのルイセンコ学説の支持者とメンデルの遺伝学の支持者によるアカデミー内の論争をルイセンコ論争と呼びます。

ルイセンコ学説はソ連国内だけでなく、ソ連の強い影響下にあった東欧諸国でも受け入れられ、農業分野を停滞させました。

スターリンの死後ルイセンコは一時失脚しますがフルシチョフに取り入ることで再び権力を取り戻しました。

ルイセンコ学説自体は現代では否定されていますが、春化処理や栄養接木雑種法などの農業技術として今も活用されています。

 

STAP研究不正事件


引用元:https://dot.asahi.com/
刺激惹起性多能性獲得細胞(Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency、STAP細胞)は動物の分化された細胞に弱酸性の溶液に浸すなどの外部刺激を与えることで再び分化する能力を与えた細胞です。

2014年1月、日本の理化学研究所の小保方晴子らが『ネイチャー』にSTAP細胞の生成に関する論文を発表しました。

これは動物の細胞の分化を初期化することで同時期に発表されたiPS細胞と同様に万能細胞として再生医療などの分野で活用することができると注目されました。

また小保方晴子は科学研究分野では珍しい女性ということで「リケジョ(理系女子)の星」として世間でも脚光を浴びます。

しかし2014年5月までに論文に複数のコピペ、改竄、捏造が存在したことが判明し、検証実験にも失敗。

理研の調査委員会は『ネイチャー』掲載分の論文で作成されたとされる細胞は別の多能性細胞の混入によるものだと判断します。

論文の筆頭筆者である小保方晴子は懲戒解雇相当、他の共著者も相応の処分が下されることで問題は一応の解決を見ました。

まとめ

この記事では様々な分野での世界の捏造事件を紹介しました。

研究分野における捏造事件はその分野の研究の停滞や逆行を招くものとして強く戒められるべきものです。

ですが日本のSTAP細胞不正事件のように、近年でもデータ改竄などの不正は後を絶ちません。

研究が社会的な信用を得るには研究者の倫理意識と、私たちのリテラシーの両方が必要です。

より人類が発展していくために何が必要か、過去の事例から省みてもいいかもしれないですね。



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