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世界最高額(最高額面)の紙幣ランキングTOP10

私たちは1杯100円で珈琲を飲んだり、パンを食べたり、ハガキを出したりします。

もしこれが1万円になったり、10万円になると私たちの生活は混乱してしまうでしょう。

このように物価が異常に上昇する、その国の通貨の価値が暴落することをハイパーインフレと言い、この最中には国の流通を安定させるために異常に高額な(桁数が大きい)紙幣が発行されることがあります。

今回は私たちの生活からはとても想像ができないような、高額紙幣を紹介します。

 

10位:500万ザイール(コンゴ民主共和国)

引用元:https://aucfree.com/

ザイールはアフリカのコンゴ民主共和国とザイール共和国で流通した通貨です。

1967年にコンゴ・フランに代わって導入され、1997年まで流通しました。

この2つの国は同一のもので、1971年から1997年までモブツ・セセ・セコが権力を握っていたころにザイール共和国を名乗っていました。

1971年に大統領に就任して以後、モブツは「ザイール化政策」を進め、国名をザイールに、首都をキンシャサに変えたうえ、中国やソビエト連邦に接近しました。

同時に対外的には親米反共路線を利用することで西側諸国からの支援を集め、得た支援を不正に蓄財しました。

このモブツの政策によってザイールは対外債務を膨らませ、1980年代後半からハイパーインフレーションに悩まされます。

ザイール政府は高額政府を濫発し、最終的には500万ザイールにまで達しました。

もっとも500万ザイール紙幣は当時のザイールの北東部などでは流通しなかったようです。

1997年、モブツ政権が終焉し、国名も元のコンゴ民主共和国に改称された際に通貨もコンゴ・フランに変わり、レートを切り下げたことでこのハイパーインフレは終わりました。

 

9位:2000万トルコリラ(トルコ)

引用元:https://www.bursamezat.com/

現在もトルコ国内で流通するトルコリラですが、具体的な種類は4つあります。

オスマン帝国で流通したもの、1923年から2005年まで流通していたもの、2005年から2008年まで流通していたもの、そして現行のものです。

このうち、ハイパーインフレに陥ったのが1923年から2005年まで流通していたものです。

1923年にトルコ共和国が成立した後、オスマン帝国で採用していた金本位制を廃止し、トルコリラと補助通貨であるクルシュによる貨幣体制が整備されました。

しかしトルコ経済は決して安定せず、たびたび金融危機を迎えました。

特に1999年から2001年にかけての動きは顕著で、1998年に発生したロシアの通貨危機と1999年に発生した大地震の影響で経済成長は大きなマイナスを記録、更に2001年には政府内対立によって大幅なトルコリラ安を記録してしまいます。

「2001年危機」と言われるこの問題からは早期に立ち直りましたが、トルコ経済は慢性的な赤字によってすぐにインフレを招いていました。

2004年には2000万トルコリラが発行されるなどの事態に発展しており、補助通貨のクルシュはまったく意味をなしていませんでした。

現在ではデノミによって通貨の額面は一般的なままですが、トルコリラはインフレ傾向にあるようです。

 

8位:60億元(中華民国)

引用元:https://page.auctions.yahoo.co.jp/

日中戦争時、中華民国は戦争を継続するために大量に元を発行しました。

その結果、戦後に中華民国はハイパーインフレに直面し、1948年までに1億8000万元の高額紙幣が発行されています。

その後はデノミを繰り返しますが国共内戦の最中で全土までデノミが浸透せず、ハイパーインフレが続いたことで地方の銀行では高額紙幣の発行が続きました。

最高額となったのが新疆ウイグル自治区の銀行で発行された60億元紙幣です。

中華人民共和国が中国全土を統一した後、「三平政策」と言われる経済政策や現金管理制度によってインフレーションは抑制され、再度のデノミを敢行することで一応収束しました。

 

7位:100億スルプスカ共和国ディナール(ユーゴスラビア)

引用元:https://www.goglasi.com/

スルプスカ共和国はボスニア・ヘルツェゴビナの構成国のひとつで、国土の49%を占めています。

独自の政府や大統領、立法府を有しています。

セルビア人が主体の共和国で、国名の「スルプスカ」はセルビア語で「セルビアの」という意味です。

そのためセルビア共和国とも言われますが、同名のセルビアと非常に区別が困難なため、英語でもスルプスカと言われます。

第二次世界大戦後、ボスニア・ヘルツェゴビナはユーゴスラビアの構成国のひとつであるボスニア・ヘルツェゴビナ人民共和国となりました。

ユーゴスラビアは「ディナール」という統一された紙幣を採用し、ユーゴスラビア国立銀行の子会社にあたる、各構成国家の国立銀行で紙幣を発行、スタンプで区別をしました。

そのうち当時のスルプスカ共和国で発行されたのが、スルプスカ共和国ディナールです。

 

6位:500億クライナ・セルビア人共和国ディナール(ユーゴスラビア)

引用元:https://www.amazon.co.jp/

クライナ・セルビア人共和国はかつてクロアチア領内に存在した、1991年に事実上の独立国となった共和国です。

「クライナ」というのはセルビア語で「辺境」を意味する言葉で、古くは16世紀のハプスブルク家がオスマン帝国に対抗するために設置した「軍政国境地帯」に由来する、当時のスラブでは伝統的な地名です。

第二次世界大戦後、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の構成国のひとつとしてクロアチア人民共和国(後、クロアチア社会主義共和国と改称)が成立します。

当時のユーゴスラビアの憲法では少数民族の意志が尊重される旨が明記されたためクロアチア領内の民族主義運動が盛んになり、1991年にクライナ・セルビア人共和国が独立を宣言しました。

しかし国際社会はこの独立を承認せず、クロアチア軍との衝突の末、1995年に壊滅しています。

1991年の独立宣言以後、クライナ・セルビア人共和国ではクライナ国立銀行で当時のユーゴスラビアディナールをデノミする形で独自のディナールを発行しました。

それがクライナ・セルビア人共和国ディナールです。

しかしすぐにハイパーインフレによって高額紙幣の発行を余儀なくされ、1993年には500億クライナ・セルビア人共和国ディナールを発行しています。

 

5位:1000億ドラクマ(ギリシャ)

引用元:https://www.handelsblatt.com/

ドラクマとは古くは古代ギリシアやヘレニズム世界で広く流通していた通貨であり、ユーロ導入以前、1832年から2001年の間ギリシャで流通していた通貨の名称でもあります。

ギリシャでハイパーインフレが始まったのは、1941年にドイツがギリシャを占領し、枢軸国によって分割統治がきっかけとなりました。

政情不安によってギリシャ国民が物品の買いだめをしたことで物価が急激に上昇したうえ、ギリシャの産業がすべてギリシャの占領軍やアフリカ方面軍によって使われました。

そのためドイツやイタリアと独占的なレートで貿易を余儀なくされたためにドラクマの価値が暴落し、更に連合国の海上封鎖によって物価が更に上昇したことでハイパーインフレに陥ります。

ギリシャの銀行はこの事態に対応するために高額の紙幣を発行しました。

1944年には1000億ドラクマ紙幣を発行しています。

このハイパーインフレは1944年に連合国がギリシャを占領したことを期に行われたデノミで終息しました。

 

4位:5000億ユーゴスラビア・ディナール(ユーゴスラビア)

引用元:https://page.auctions.yahoo.co.jp/

ディナールという通貨は元々1918年に成立したセルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国(セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国)の通貨として採用されたものです。

1944年にユーゴスラビアが結成されると再びディナールが通貨として採用され、結成前に使われていたセルビア・ディナールやクロアチア・クーナに代わって流通します。

第二次世界大戦後のユーゴスラビアはティトーというカリスマ的な政治家と、チトーの掲げた「兄弟愛と統一」というスローガンによって民族間の対立を緩和して発展を続けました。

共産主義独裁体制を築きながらもワルシャワ条約機構入りは拒否し、西側諸国と間接的なつながりを持ちながらもあくまで非同盟中立を貫く体制は「ティトー体制」と言われました。

しかしこの陰でユーゴスラビア・ディナールは安定せず、たびたびインフレに見舞われます。

1980年にティトーが死去すると、ユーゴスラビアは構成国の指導者による集団指導体制が確立すると共に対外債務の増大によるインフレが表面化することで経済状態は更に悪化してしまいます。

80年代中には友好国であるアメリカなどの協力によってたびたび対外債務を放棄するなどして経済の立て直しを図り、1984年にはサラエボオリンピックを開催するなど、国家の威信を示しましたがその影でインフレは更に加速し、ハイパーインフレへ突入します。

1989年にはアンテ・マルコヴィッチ首相の元、大規模な民営化を含む「アンテ・マルコヴィッチプログラム」と言われる経済改革を断行するもハイパーインフレは止まらず、1990年から1994年の間に4度のデノミを行いました。

1994年にはデノミではなく、完全に新しい通貨であるノビ・ディナールを採用、1999年にはドイツ・マルクがディナールと並んで法定通貨となり、2000年にはディナールが法定通貨から外されました。

2003年には最後までディナールを採用していたセルビアがセルビア・ディナールへ通貨を切り替えたことで、ユーゴスラビア・ディナールの歴史が終わりました。

ユーゴスラビアのハイパーインフレは24ヵ月も続いています。

これは世界でも最長の記録となっています。

 

2位:100兆ジンバブエドル(ジンバブエ)

引用元:https://daiki55.com/

21世紀に入り、最も象徴的なハイパーインフレと言えばジンバブエドルでしょう。

ジンバブエは白人と黒人によるローデシア紛争の末、1980年にジンバブエ共和国として成立し、1987年からはロバート・ムガベが大統領として政権を握りました。

ムガベは当初国内の白人と黒人を融和させる方針を取っていましたが、2000年に方向転換をし、白人から農場を取り上げて黒人に再分配する「ファスト・トラック」という政策を推し進めます。

ファスト・トラックによって当時の白人が有していた農業のノウハウが失われ、食糧危機と経済不安を招いてしまいます。

治安も悪化し、長期独裁政権の座に就いていたムガベへの反対派の活動も盛んになりました。

2005年には「ムラムバツビナ作戦」と言われる地方の貧しい都市部を対象とした住民の強制退去を行うなど、反対派を強烈に弾圧しています。

ファスト・トラックの与えた影響は大きく、インフレが進行したことで2006年にはデノミを敢行、2008年にも再度のデノミを行い、2009年には国内でアメリカドルと南アフリカランドの利用を許可すると共に、更にデノミを行っています。

この一連の経済不安と度重なるデノミによって、ジンバブエの準備銀行総裁であるギデオン・ゴノ氏は「1ジンバブエ・セントから100兆ジンバブエ・ドルまで幅広く貨幣を発行することで、非常に大きな数字を扱うための簡便な訓練法を国民にもたらした」としてイグ・ノーベル賞を受賞しています。

2009年時点で既にジンバブエドルはまったく通用しておらず、2015年には正式に廃止されました。

ジンバブエのハイパーインフレは第二次世界大戦後間もない頃のハンガリーを除けば、戦後最悪のものとして有名になり、英語圏や日本では「価値の低いもの」を象徴するスラングとして、「ジンバブエドル」が使用されるようになりました。

 

2位:100兆マルク(ワイマール共和国)

引用元:https://gohighbrow.com/

恐らく世界で最も有名なハイパーインフレの事例がワイマール共和国(現在のドイツ)で発生したものでしょう。

札束を積み上げている写真を教科書などで見たことがある人もいるかもしれません。

1914年、第一次世界大戦に敗れたドイツ経済は長引く戦争と海上封鎖によって疲弊したうえ、ヴェルサイユ条約によって1320億マルクもの支払いを命じられました。

この賠償金の金額は当時のワイマール共和国の支払い能力を大きく超えており、支払いが滞っていたため、フランスとベルギーは当時のドイツでも主要な工業地帯であったルールを占領します。

その結果ワイマール共和国の経済は完全に破綻し、ハイパーインフレが発生しました。

マルクの価値は暴落し、「紙屑のマルク」を意味する「パピエルマルク」という言葉が生まれたり、マルク紙幣の印刷を急ぐために片面だけ印刷をしたり、既存の紙幣にスタンプを押すことで額面を変えたものが流通するなど、通常では信じられないことが相次いでいます。

当時のワイマール共和国のバーでは、ビールの価格が上がる前に入店してすぐに数杯のビールを空けていたという逸話も残されています。

このハイパーインフレは1兆マルク=1レンテンマルクのレートで交換される、レンテンマルクと言われる紙幣を導入することで終息しました。

またこのワイマール共和国のハイパーインフレは、後にアドルフ・ヒトラー、ナチスドイツの台頭を招いたとも言われています。

マルクの暴落を招いたのはユダヤ人による陰謀であるという「ユダヤの紙吹雪」という陰謀論が囁かれ、ヒトラーが台頭したきっかけとなる「ミュンヘン一揆」もこのインフレが収まる直前である1923年に発生しました。

 

1位:1垓ペンゲー(ハンガリー)

引用元:https://aucview.aucfan.com/

世界で流通した最高額の紙幣が、ハンガリーで発行された1垓ペンゲー紙幣です。

そもそも「垓」という単位が馴染みのないものでしょう。

1垓は1兆の1万×1万倍、つまり1億倍を示す単位です。

日本の国家予算が300兆円程度と言うことを考えると、どれほど法外な金額か分かるのではないでしょうか。

額面のうえでは一国の国家予算を遥かに凌駕する金額の紙幣を、一市民が動かしていたことがあるのです。

ペンゲーは第一次世界大戦後に独立したハンガリーが、コロナ通貨を切り下げるために新しく発行した通貨です。

1929年までは東ヨーロッパで最も安定した通貨でしたが、第二次世界大戦後に敗戦国としてソビエト連邦の占領下に置かれると共に、戦後最悪のハイパーインフレに見舞われます。

当時のハンガリーでは郵便料金がわずか1年で40兆倍になるなど激しく物価が上昇し、1日で物価が2倍に上がることもあったといいます。

そんな状態でも紙幣が流通していたために、給料をもらったらその日のうちに使い切っていたそうです。

当時のハンガリーでは紙幣の名前を「ミルペンゲー」、「Bペンゲー」へと改めたほか、租税用の「ミルペンゲー」と言われる通貨を導入するなどしてハイパーインフレを収めようとしましたが功を奏せず、高額紙幣の発行が相次ぎました。

1946年には世界最高額である10垓ペンゲーも発行されましたが、流通には至りませんでした。

結局1946年8月にフォリントという新しい通貨を導入することでようやくハイパーインフレが終息しています。

交換レートは1フォリント=40穣(1穣は1垓の1万×1万倍を示す単位)ペンゲーというものでした。

 

まとめ

今回はハイパーインフレによって生まれた、世界最高額面の紙幣を紹介しました。

戦争や独裁政治などによって経済政策の舵取りを誤ってしまうと、ハイパーインフレが発生し、その国の通貨が暴落してしまうことがあります。

通貨の価値が落ちることはもちろん大事ですが、より恐ろしいのが価値が安定せず、1ヶ月や1日という単位で物価が変動して、紙幣が紙切れ同然の状態に陥ってしまうことです。

昨日買えたものが明日買えない、というような事態は想像するだに恐ろしいものでしょう。

現代でもベネズエラなどはインフレが進行していると言われます。

今回紹介したような事態に陥らないか、ニュースを見る習慣を付けたいものです。



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