その他雑学

世界最大の航空機10選

航空機とは、大気中を飛行する機械の総称で、一般には飛行機のことをイメージしますが、気球やヘリコプター、ロケットなども含まれる幅の広い概念です。

航空機は、平均密度が空気より軽い軽航空機(気球、軽飛行機)、空気より重い重航空機(飛行機、ヘリコプター、グライダー、飛行船)に分けられます。

ライト兄弟の初飛行から100年以上がたち、航空機も旅客機や輸送機、軍用機など多種多様なものが登場し、私たちの生活のなかでも海外旅行などで航空機に乗る機会も身近なものになってきました。

ここでは、世界最大の大きさを誇る航空機を、様々な種類ごとに紹介していきます。

世界最大の航空機 ストラトローンチ

引用:http://zapzapjp.com

ストラトローンチは2017年にアメリカのストラトローンチ・システムズが開発したもので、2機の巨大な飛行機をつなぎ合わせて双胴にし、6基のエンジンを備えた世界一の巨大飛行機です。

全長72.54m、全幅117.35mで、アメリカの大富豪ハワード・ヒューズが作った機体H-4ハーキュリーズがもっていた世界最大の航空機としての記録を、実に71年ぶりに塗り替えました。

ストラトローンチは空中発射ロケットの母機として作られた機体で、伝説の怪鳥ロックにちなんで「モデル351ロック」と呼ばれています。

搭載するロケットはノースロップ・グラマン社が製造するペガサスロケットで、人工衛星の打ち上げなどに使用される予定です。

もともとは自社開発のロケットなども運用する予定でしたが、ストラトローンチの創業者で戦艦「武蔵」など沈没艦船の調査事業でも知られるポール・アレン氏が2018年に死去した後に計画は中止になりました。

ロケットは機体の中央に吊るされることになっていて、ロケットの燃料まで満載にした時の機体重量は54トンにもなります。

ストラトローンチが離陸するには、3.7㎞という長大な滑走路が必要となるため、運用できる空港は限られます。

ストラトローンチは2019年初飛行の予定で、2020年から正式に稼働することになっていますが、2018年に実施される予定だった初飛行が延期された経緯もあって、はたしてこのスケジュールも実現するかどうか不透明なところがあります。

世界最大の戦闘機 MiG-31

引用:https://ja.wikipedia.org

MiG-31は1972年、ソ連のミグ設計局によって開発された戦闘機で、全長22.668mという世界最大の戦闘機です。

NATOコードネームは「フォックスハウンド(アカギツネを狩るために品種改良されたキツネ狩りの猟犬の一種)」です。

MiG-31は領土に侵攻してきた敵の軍用機を撃墜するための迎撃戦闘機と呼ばれる機種で、昔の日本海軍では局地戦闘機と呼ばれていたものです。

この頃、ソ連にとっての脅威は高空から侵入してくる爆撃機から、低空から侵攻してくる爆撃機と巡航ミサイルへと変化しつつありました。

MiG-31は高高度超音速迎撃機であるMiG-25を原型としていて、翼端を切り落としたクリップデルタ翼をしていますが、中低高度での戦闘に合わせて主翼の形状が改められ、LERK(主翼前縁付け根延長)がついています。

D-30F-6ターボファンエンジンを搭載し、最高速度はマッハ2.83で、MiG-25より亜音速巡行時の燃費が向上しています。

戦闘機として世界で初めてPESA(パッシブ電子走査アレイ式)レーダー「ザスロン」(NATOコードネーム:フラッシュダンス)を搭載し低空での対処能力が向上しており、MiG-31のために開発された120kmいう長射程を誇るR-33空対空ミサイルを駆使して、同時に10目標の追尾と4目標の同時攻撃が可能です。

MiG-31はMiG-25の変化として、単座から2人乗りの複座になったことが上げられますが、レーダーの操作は後席のみで行われます。

ソ連で初めて多目標同時攻撃能力を付与された機体であり、最初の第4世代戦闘機となりました。

MiG-31は1981年からソ連およびロシア軍でのスクランブル任務に就いており、ソ連の崩壊前はアメリカ軍の偵察機を相手に年400回以上のスクランブルを行い、MiG-31のレーダーが相手をとらえたことで偵察機が進路を変えることもしばしばだったといいます。

各国の戦闘機が多様な任務に対応できるマルチロール機になっていくなか、迎撃戦用という単一目的に特化した機体として生き残っており、ロシアのほかカザフスタンでも使用され、ロシアでは2026年まで運用される予定になっています。

世界最大の爆撃機 B-36 ピースメーカー

引用:www.jiji.com

B-36は、アメリカのコンヴェア社が1946年に開発した、レシプロエンジン6基、ジェットエンジン4基を搭載する世界最大の爆撃機です。

正式な愛称は存在しませんが、公式な場を含めて「ピースメーカー」という名前で呼ばれることが多く、他にも「コンカラー」「ビッグスティック」という呼び方もあります。

B-36の開発が始められたのは第二次世界大戦前半で、当時イギリスがドイツによって劣勢に立たされていたため、万が一イギリスが降伏した場合にアメリカ本土から太平洋を横断して、直接ドイツへの戦略爆撃を実行できる爆撃機が必要と考えられたためでした。

B-36は、全長49.41m、全幅70.1m、最高速度685km/hで、最大39トンもの爆弾を搭載することができました。

B-29の搭載量が約9トンだったことを考えると驚異的な数字です。

しかし、これだけの搭載量を誇る巨人機となると、必要なエンジン出力も相応のものが求められ、4000馬力のレシプロエンジン6基だけでは出力不足で、ジェットエンジンまでも搭載した驚きの10発爆撃機でした。

計画機では、機内に原子炉を搭載した原子力爆撃機型も存在していました。

もし、日本が8月15日に降伏することがなければB-29に代わってこれが大挙して押し寄せていたかもしれないと思うとぞっとする話です。

しかし、実際にB-36が初飛行したのは1946年と、すでに第二次大戦が終わってからのことでした。

1948年から量産が始まり、核戦争が起こった際には核爆弾を搭載して敵本土を核爆撃するための機体となりましたが、当時起こっていた朝鮮戦争では日本を焦土に変えたB-29もジェット戦闘機相手に損失が相次いでおり、すでにレシプロ大型爆撃機の時代ではありませんでした。

高価で貴重なB-36は損耗を恐れて温存され、実戦投入も核爆撃も行うことはなく、核兵器の主力が大陸間弾道ミサイルへと変わっていくのに伴い、1959年退役となりました。

世界最大の輸送機 An-124 ルスラーン

引用:https://en.wikipedia.org

An-124は、ソ連のアントノフ設計局で開発された機体で、量産機としては世界最大の輸送機です。

ロシア、ウクライナでは「ルスラーン(ロシア人やウクライナ人によくみられる男性名でイランの叙事詩に登場し「獅子」を意味する英雄アルスランに由来)」の愛称がつけられていますが、NATOコードネームでは「コンドル」と呼ばれます。

1970年代後半、それまで西側諸国よりも遅れていた高出力ターボファンエンジンの開発に成功したソ連では、アメリカの運用する大型輸送機C-5ギャラクシー級の搭載量を目指した大型輸送機の開発が始められました。

複合材の使用によって2トンあまりの軽量化に成功し、搭載量はC-5を25%上回る150トンに及びます。

貨物室内には重量物を扱うための3トン容量の2連ウインチと10トン容量の可動式クレーン2基を備えています。

貨物室内も一応与圧されていますが、完全ではないため、空挺部隊など兵員を輸送するには不十分といわれています。

An-124は、1982年に初飛行が行われ、ソ連崩壊によって一時生産が中断されましたが、その後再開され、総数56機という決して多くはない数ですが、2004年まで生産が続けられました。

ロシア空軍では本機のアップグレードを行いつつ、今後しばらくの間は現役として使い続ける予定です。

An-124は民間でも使用されていて、その巨体は旅客機ベースの大型輸送機でも対応しきれない大容量輸送を可能にしています。

ソ連崩壊後は西側諸国でも活発にビジネス利用が行われていて、アメリカではNASAがロケットや人工衛星のコンポーネント輸送に利用したり、アメリカ軍が物資輸送用にチャーターすることもあり、在日米軍基地へ飛来することもあります。

日本でも、2003年の自衛隊イラク派遣での物資輸送や2011年の福島原発事故では注水活動に使うコンクリートポンプ車をドイツから輸送するのに使用されました。

An-124は不整地においても安定した離着陸能力をもっているため、南極など極地への物資輸送にも使われています。

An-225 ムリーヤ

引用:https://gigazine.net

An-225は、アントノフ設計局がAn-124をベースに開発した6発大型輸送機です。

愛称の「ムリーヤ」はウクライナ語で「夢」を意味し、NATOコードネームは「コサック」でした。

An-225は1980年代にソ連で開発されていた宇宙往還機(宇宙船)「ブラン」に物資を輸送るための手段として開発が始められました。

全長84.0m、全幅88.74m、搭載能力250トンというAn-124を上回る巨大機で、最大離陸重量600トンという世界一重い飛行機としてのギネス記録をもち、ほかにも240ものギネス記録認定を受けている機体です。

ソ連時代にはAn-225に宇宙船を搭載して空中から打ち上げる計画も存在しました。

An-225は計画機も含めて2機だけしか生産が行われず、ブラン自体が宇宙へ行ったのも1度きりで、An-225による輸送任務もたった1度で終わりました。

ソ連崩壊後にウクライナで放置されていたところを運送ビジネス用として使用されるようになり、2010年のハイチ地震では復興支援に使用される重機を現地に輸送するため防衛相がチャーターを行い日本に初飛来しており、2011年の東日本大震災では日本への支援物資を輸送するためフランス政府によってチャーターされました。

世界最大の旅客機 エアバス A380

引用:https://www.aviationwire.jp

A380は、ヨーロッパの航空会社エアバス社のターボファンエンジン4発の超大型旅客機です。

A380は、全長73m、全幅79.8m、全高24.1m、翼面積845㎡で、速度はマッハ0.85で1機当たりの値段は500億円。

3クラス525名、エコノミーのみのモノクラスなら853名もの乗客を運ぶことができます。

世界初の総2階建てジェット機で、2002年から開発をはじめ、2005年に初飛行を行い、当時世界最大だったボーイング747を抜いて世界一大きな旅客機となりました。

2015年末で中東や東南アジアなど各国から300機を超える受注を得て、この時点で損益分岐点を越えて、プロジェクトの開発化に成功したといわれていました。

しかし、2018年以降、導入を検討していた航空会社が相次いで見直しを発表し、エアバス社はA380の生産中止を決定し、2021年以降は納入を行わない方針を明らかにしました。

このような結果になった原因としては、A380の納入スケジュール遅延の問題がありました。

A380は2005年に完成披露式典が行われたものの、主翼の強度不足や機内配線の重量過多により納入が遅れる事態になりました。

その後も機内配線の仕様変更にてこずり、2006年にも再び納入を遅らせることを発表し、度重なるスケジュール遅延は顧客である航空各社の心証は大幅に悪くなっていきました。

2007年には最初の顧客であるシンガポール航空に納品が行われましたが、1年半も遅れての初納入で、この時点で193機あった受注機の納入はさらに遅れることが必至で、採算ラインも当初の270機から420機に増加していました。

エアバス社は人海戦術を使って生産を進めるとともに航空各社には遅延に対する価格面での補償を行うとしましたが、顧客の離散を抑えることはできず、大口顧客だったドバイのエミレーツ航空が発注数を減らしたことで、敗北を悟りました。

A380の生産中止によって3500~3000名の職に影響が出るといわれています。

スーパージャンボと呼ばれ、高いスペックをもったA380でしたが、現在は大型機により1度に多くの乗客を運ぶよりも、飛行機は多少小さくても様々な航路への就航数を増やしていくのが航空業界の潮流であり、超大型機のA380が今の時代に飛翔するのは難しかったのかもしれません。

世界最大のグライダー Me321 ギガント

引用:www.worldwarphotos.info

グライダーとは、滑空機とも呼ばれ、動力をもたず滑空のみ行える航空機のことです。

動力をもたないため、飛ぶためには他の航空機に曳航してもらう必要があります。

近年ではモーターを搭載して滑空と上昇のできるモーターグライダーも登場しているので、区別のためにピュアグライダーと呼ぶこともあります。

グライダーというと、ハンググライダーやパラグライダーのような小型のものを想像するかもしれませんが、軍事の世界では輸送用に普通の飛行機と変わらないような巨大なグライダーも存在します。

世界最大のグライダーMe321ギガントもその一つで、こうした軍事グライダーは空挺部隊用に使用されていました。

パラシュートで降下する空挺部隊の兵士は大型の兵器などを携行できないため、グライダーに乗せて降下させたり、グライダー兵として歩兵を分散せずより安全に降下させる手段として使用されることもあります。

グライダーは途中まで輸送機等に曳航してもらい、切り離されて滑空状態になるとエンジン音もしないため、隠密性に優れているという利点もありました。

第二次大戦では各国が活発に開発を行っていたグライダーでしたが、戦後はヘリコプターの登場によって完全に廃れてしまいました。

Me321は1941年にメッサーシュミット社によってドイツ軍の空挺部隊用に開発されたもので、当時のドイツは世界に先駆けて空挺部隊を整備しており、グライダーに関しても先進国でした。Me321 は、全長28.15m、全幅54.99m、重量12000kgで、兵士200名または貨物20トンを搭載でき、戦車も運ぶことができました。

反面、巨大なために滑空時の舵取りは難しく、曳航するにはハインケルHe-111爆撃機を2機つなぎ合わせてエンジンを1基追加した専用機He111Zツヴァイリングを使う必要がありました。

引用:twitter.com

しかし、ここまで大掛かりなマネをするくらいなら、なにもグライダーである必要はなく、はじめからギガントにエンジンをつけて輸送機にしてしまえばもっと使い勝手がよくなります。

そう考えたドイツ軍ではギガントにエンジン6基を搭載し、大型輸送機Me323へと改造しました。

引用:http://www.warbirds.jp

Me323は兵士120名または貨物20トンを輸送することができました。

Me323はイタリアから北アフリカへの輸送に使われました。

巨大な機体に多くの機銃を積み、エンジンやコクピットを攻撃されない限りは撃墜が難しい機体でしたが、護衛がいないとやはり敵戦闘機の攻撃には脆弱で、その巨体はよい的になりました。

1943年4月22日にはチュニジアに向かっていたMe323 15機のうち13機が連合軍の戦闘機により撃墜されるという「聖木曜日の大虐殺」と呼ばれる事件が起き、これ以後北アフリカでのドイツ軍輸送機は夜間飛行に切り替えました。

世界最大の飛行船 ヒンデンブルク号

引用:todayssp.universal.jp

ヒンデンブルク号(LZ129)は1936年ドイツで作られた、あらゆる飛行機械の中で最も巨大といわれるヒンデンブルク級飛行船の1番船です。

ヒンデンブルクとは当時のドイツ大統領パウル・フォン・ヒンデンブルクからとられており、2番船はグラーフ・ツェッペリン2世で、飛行船の開発で知られるツェッペリン伯爵からとられていました。

内燃機関を利用してある程度自らの進路を制御することのできる大型飛行船は、20世紀初頭に実用段階に入っていて、飛行機が一般化する以前の時代に人々に空の旅を提供していました。

ヒンデンブルク号は太西洋も横断可能な豪華飛行船で、内部には豪華なダイニングルームや巨大な世界地図が飾られたラウンジなどが設えられていました。

ヒンデンブルク号は、16個の木綿のガス嚢を搭載していましたが、充填される気体には、不活性で安全として当時の飛行船で一般的に使われていたヘリウムではなく、水素が使われていました。

高価なヘリウムと比べて水素は安価であり、上昇高度も大きく、軍需物資の禁輸が行われていてそれまでに水素による飛行船運用を行った経験もあった当時のドイツにおいては、調達の容易な水素を使用することが合理的だと考えられたのです。

事実、ヒンデンブルク号は最初の飛行にシーズンの飛行で見事大西洋横断を成し遂げます。

この大西洋上の公式飛行は横断そのものが目的ではなく、ドイツで権力を握っていたナチ党の宣伝のために行われたものでした。

1936年から本格的に稼働しはじめたヒンデンブルク号は、アメリカ10回、ブラジル7回という計17回の大西洋横断飛行を行いました。

依然としてナチ党の宣伝にも積極的に使用され、1936年のベルリンオリンピックでは、オリンピック旗を翻し、スタジアム上空を飛行するパフォーマンスを実施しました。

ほかにも、ヒンデンブルク号には音楽サロンがあり、ここに設けられたピアノは世界初の航空機で使用されたピアノとして、空中コンサートの様子はラジオ放送もされました。

ドイツの空の象徴として広く活躍していたヒンデンブルク号でしたが、1937年、アメリカのニュージャージ州にあるレイクハースト海軍飛行場に着陸しようとした時、爆発事故を起こし、その短い生涯に幕を下ろしました。

ヒンデンブルク号はわずか37秒の間に炎に包まれ、乗客13人と乗組員22人、地上整備員1人が死亡しました。

事故の原因については現在でもはっきりとはわかっておらず、水素ガスは漏れたとしても炎上するのは空気と混合した後になるため、有力な説としては、静電気の火花が船体に燃え移ったのではないかといわれています。

世界最大の飛行艇 ヒューズH-4ハーキュリーズ

引用:https://minkara.carview.co.jp

水上機とは、水面を滑走路代わりにできる航空機のことで、飛行機にフロートをつけたフロート機と飛行機の胴体部分が船底のように水面に接することができるようになっている飛行艇の2種類に分かれます。

水上機は自衛隊のUS-2のように海上での救難機や、飛行場を作る場所のない離島などで定期便として使われています。

H-4ハーキュリーズは、アメリカの大富豪ハワード・ヒューズが設立したヒューズ・エアクラフトによって1機のみ製造された飛行艇で、ストラトローンチが登場するまでは70年以上のあいだ世界最大の航空機の地位にありました。

H-4はドイツのUボートが猛威を振るっていた第二次大戦当時、飛行機ならば沈められることもない、として大型の飛行艇による輸送が考えられたことがきっかけで開発がスタートしました。

これは、戦時標準輸送船を開発したヘンリー・カイザーの思いつきによるもので、世界が驚くものを作りたいと考えていたヒューズの会社での開発が決まりました。

ヒューズ・エアクラフトは、ヒューズが自分の飛行機を作るために作った会社でそもそもあまり金儲けにこだわっていない会社でした。

H-4は全長66.65m、全幅97.51m、エンジン8基を搭載し、兵士750名またはM4中戦車2台を搭載することができました。

しかし、当時のアメリカで最大の巨大飛行艇だったマーティン・マーズの3倍という大きさの飛行艇の開発は、ヒューズ社に飛行艇を作った経験が少なかったためにいくつもの問題が伴いました。

それに加えて、細かいところまでチェックしたがるヒューズの性格もあり、計画は遅延していきました。

1947年11月2日、ようやく完成したH-4は実際に飛行テストを行うことになりましたが、この頃にはもう戦争は終わっていました。

ヒューズを含めて32名が乗り込み、当初は水面滑走だけの予定でしたが、3回のテストの最後には、実際に離水し飛行も行いました。

しかし、飛行後の点検では機体の各部に接着剤の剥がれや軋みが見つかり、強度に関して問題が持ち上がり、ヒューズもこのことには不安をもっていたようで、次の飛行テストは延期を繰り返し、結局H-4が飛行したのはこのときが最初で最後になりました。

H-4は、2001年以降オレゴン州エバーグリーン航空博物館に展示されています。

世界最大のハイブリッド飛行船 エアランダー10

引用:www.businessinsider.jp

ハイブリッド飛行船とは、機体の内部に挿入された比重の軽い気体による浮力と、動力で発生させる揚力を組み合わせて飛行する飛行船のこと、重飛行船とも呼ばれます。

世界最大の飛行船ヒンデンブルク号のように、従来の飛行船は針路などを制御できるものの、基本的には気体の浮力のみで飛行しており、こちらは軽飛行船といわれます。

飛行船は飛行機に比べて安価であるものの、大きさのわりに積載重量が少なく低速で、さらに飛行機に比べるとその取扱いの難しさは空の移動手段としては致命的でした。

一方、飛行機は飛行船と比べれば運航しやすいものの、滑走路がなければ飛ぶことはできません。

ハイブリッド飛行船は、運航費は安いものの取り扱いの難しい飛行船と、高速でも運航費の高い航空機との中間の存在として生み出されました。

まだまだ本格的な航空手段とはいえないハイブリッド飛行船ですが、ハイブリッド飛行船を「次世代の航空機」と紹介しているメディアもあります。

エアランダー10(Airlander 10)はもともとノースロップ・グラマン社とイギリスのハイブリッド・エア・ビークルズ(HAV)社が米軍の情報収集用無人機として共同開発を行っていた軍用ハイブリッド飛行船で、その後、コスト問題から計画が中止になりましたが、HAV社は商業利用を目的として機体を買い取りました。

エアランダー10は全長92m、翼幅43.5mで2012年に初飛行を行いました。

そのユニークな外見から、「空飛ぶおしり」の愛称で呼ばれています。

エアランダー10は豪華飛行客船として、19人の乗客を3日間の遊覧旅行へと連れていく計画で、エンスイートタイプのベッドルームやバー、ラウンジなどを備えています。

引用:www.businessinsider.jp

内部にはガラス張りの床もあり、上空4900mからの壮大な景色を楽しむことができます。

エアランダーは2016年には電柱に激突、2017年には2人の負傷者を出すという2度の事故を起こしていて、現在までに6度の試験飛行を成功させていますが、実用化するには今後200時間ほどの無事故試験飛行を達成する必要があり、ハイランダー10での優雅な空の旅を楽しめるのは、まだ先のことになります。

世界最大のUAV RQ-4 グローバルホーク

引用:http://english.almanar.com.lb

UAVとは無人航空機(Unmanned aerial vehicle)のことで、ドローン(Drone)とも呼ばれる人が搭乗しない無人機です。

人が乗ることのできる航空機は有人機(Manned Aircraft)といい、無人で飛行することもでき、人が乗り込むことができるものをOPV(Optionally piloted vehicle)ということもあります。

今では家電量販店でも販売されるようになり、私たちにも身近になったドローンですが、開発が始まったのは第二次大戦中のこと。

驚くべきことに、アメリカ軍ではこの時代すでにTDN-1、TDR-1と呼ばれる無人機を開発し、日本軍輸送船への攻撃に使用していました。

RQ-4グローバルホークは、そんなUAV先進国アメリカの、ノースロップ・グラマン社製無人航空機です。

グローバルホークは全長13.52m、全幅35.42m、速度635km/h。

攻撃能力をもたない純粋な偵察機として開発され、イラク戦争では実戦投入もされました。

グローバルホークは、合成開口レーダーや赤外線センサーを搭載し、20~200kmの範囲内で地上を移動する目標の識別能力や、約10万k㎡の範囲に渡る捜索、監視を行う能力をもっています。

グローバルホークはアメリカ空軍で運用されており、2011年の福島第一原発事故の際には被害状況を調べるために原発上空での飛行も行いました。

そのほか、NASAでは毎日10時間、グローバルホークによる地球温暖化の調査を行っています。

引用:http://zapzapjp.com

アメリカ海軍では海上哨戒型のMQ-4Cトライトンを2015年から運用しており、こちらはグローバルホークをしのぐ全長14.5m、全幅39.9mで、有人哨戒機P-8ポセイドンを補助する任務を担っており、ドイツやオーストラリアも導入を予定しています。

おまけ1 世界最大のラジコン飛行機

引用:https://grapee.jp

空を飛ぶ機械という航空機の定義からすれば、ラジコン飛行機も航空機と呼んで差し支えないでしょう。

この世界最大のラジコンは2017年ドイツのイベントで登場したもので、全長5.43m、翼幅4.95m、重量は68kgで、人が乗れそうな大きさです。

ウィーン在住のラジコン愛好家Adi Pitz氏が手がけたもので、完成には3か月を要したといいます。

引用:https://grapee.jp

推力14kgのIQハマー140型タービンエンジン4基を搭載しています。

A380が登場するまで世界一の旅客機だったボーイング747を1/13スケールで再現したもので、イギリスのヴァージンアトランティック航空の塗装が施されています。

おまけ2 世界最大の紙飛行機

引用:magazin.tu-braunschweig.de

紙飛行機というと、もはや航空機とは呼べないものですが、一応飛行機の一種ということで、最後にギネス認定されている世界最大の紙飛行機を紹介しましょう。

紙飛行機といっても、私たちが一般的に思い浮かべる単に一枚の紙を折り曲げた飛行機ではなく、いくつもの紙を組み合わせたペーパークラフトの飛行機ですが、これほど大きなものになると圧巻といえます。

これは2013年9月28日、ドイツで達成された記録で、全長5.16m、翼幅18.21m、重量24kgという巨大な紙飛行機です。

147gsm(g/㎡)の紙を使用し、ドイツのブラウンシュバイク工科大学の職員と生徒ら14人が、ブラウンシュバイク空港の航空機格納庫で1200時間かけて製作しました。

gsmとは印刷業界で紙の重さを表す用語で、1㎡あたり何gかを表記したもので、普通のコピー用紙だと約70gsmになります。

ギネスの規定では紙飛行機の記録認定には最低15m飛行することが条件になっていますが、この紙飛行機は2.47mの高さに設置された発射台から約18mもの飛行に成功し、見事記録認定を達成しました。

まとめ

以上、世界最大の航空機たちを紹介してきました。

一般の旅客機はもちろんとして、一口に航空機といっても、今ではほとんど使われなくなった飛行船や大型グライダーから新世代のUAVまで非常にバリエーションが豊富であることに驚かされます。

航空機はこれからも人類にとって空を自由に飛ぶという夢をかなえてくれる乗り物として、戦闘機や爆撃機といった軍用から民間用まで様々な発展を続けていくことでしょう。

将来は、ここで紹介した機体を越える、驚くような航空機が生まれてくるかもしれません。



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