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世界最大の運河ランキング

飛行機や鉄道が発達する以前、船舶による輸送は今以上に重要な輸送方法のひとつでした。

船に積むことで馬車などよりも多くの荷物を迅速に運ぶことができるため、大規模な都市の発展には水上輸送は不可欠だったと言っても過言ではありません。

そのため世界では各所に運河が作られ、運河沿いの都市が交通の要衝として発展しました。

現在では交通手段が発達しており、現在ほど船舶による輸送や運河の重要性は高くありません。

ですが灌漑や用水、更には観光などで今も運河は役割を果たし続けています。

今回は世界最大の運河をランキング形式で紹介します。

 

10位:北海バルト海運河(99㎞)

引用元:http://millenniumdragon.blogspot.com/

北海バルト海運河はユトランド半島の根元に位置する、ドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州を横断する形で存在する、全長98㎞の運河です。

その名前の通り北海とバルト海をつないでおり、別名である「キール運河」のほうがよく使われています。

北海とバルト海は直線距離で見ると近そうですが、キール運河が開通する以前はユトランド半島を大回りする必要がありました。

ユトランド半島の北部沖は波も荒く、航海に危険が伴うため北海とバルト海をつなぐ運河の建造は待望されていました。

最初に北海とバルト海をつないだのは、アイダー川という川を広げることで1784年に完成したアイダー運河です。

しかしアイダー運河は非常に規模が小さく、喫水の小さな船しか通行ができませんでした。

そこで1864年のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争でシュレースヴィヒを獲得したドイツ帝国が、海軍と商工業者の要請を受けて1887年に建設開始、1895年に開通しました。

第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約によって、北海バルト海運河は主権をドイツに残したまま、すべての国の船舶に通航権を認める国際運河となりました。

しかしヒトラー政権が樹立すると再びドイツによって独占され、第二次世界大戦後は再び国際運河となっています。

北海とバルト海はさほど水位差がありませんが、潮の満ち引きに対応するために運河の両端には閘門(水位差を調節して運航しやすいようにする装置)が設置されています。

2013年には閘門が故障し、大型の船舶は迂回して航行することを余儀なくされたこともありました。

 

9位:スエズ運河(162㎞)

引用元:https://www.pinterest.jp/

スエズ運河はエジプトのスエズ地峡に作られた、紅海と地中海をつなぐ運河です。

スエズ運河が建造される以前、アジアとヨーロッパを行き来するにはアフリカ大陸を大回りする必要がありました。

また陸送郵便や鉄道を整備することで、紅海と地中海の間は荷降ろしをして陸路で輸送する方法も採られていました。

それだけにスエズ運河の価値は非常に大きく、現在でもスエズ運河を航行できるかという点を基準とするタンカーのサイズとして「スエズマックス」というものが使われています。

1859年にフランスとエジプトが合同で出資したスエズ運河会社がスエズ運河の建設を開始し、1869年に完成しています。

しかし当時オスマン帝国の領土であったエジプトでは対外債務が膨らんでおり、1875年に当時のエジプト総督であるイスマーイール・パシャはイギリスにスエズ運河会社の株式のうちエジプト所有分を400万ドルで売却しました。

イギリスはスエズ運河への介入を続け、1888年には「スエズ運河の自由航行に関する条約」という条約を締結してスエズ運河をイギリスの中立地帯とし、第一次世界大戦後からはイギリス軍が駐留するようになりました。

1952年のエジプト革命によって成立した共和国制エジプトはソビエト連邦と協調を取るようになり、ガマール・アブドゥン=ナーセル大統領は1956年にスエズ運河の国有化を宣言します。

スエズ運河の管理はスエズ運河会社からスエズ運河庁へと移管して現在も続いており、エジプトに多額の外貨をもたらしています。

ちなみにスエズ地峡と海をつなぐ考えは非常に古く、紀元前2000年紀の古代エジプトでは「ファラオの運河」と言われるナイル川と紅海をつなぐ小規模な運河が建造されていました。

更に紀元前260年頃のファラオであるネコ2世はナイル川と紅海をつなぐ大規模な運河の建設を開始し、一時中断されましたが、エジプトを征服したペルシアのダレイオス3世によって完成します。

しかしこの運河は紅海の海岸線が後退することで使えなくなってしまいました。

 

8位:イェータ運河(190㎞)

引用元:https://trip-s.world/

イェータ運河はモタラ水系に並行する形でスウェーデンを東西に貫く運河です。

スウェーデンの西海岸にあるイェーテボリからイェータ川、トロルヘッタン運河、ヴェーネルン湖などを経て、バルト海に面するセーデルシェービングにつながります。

デンマークによる通行税に対策するためにバルツァール・フォン・プラテンという人が1832年に開通させましたが、そのわずか10年後に鉄道が実用化されたために運輸目的としてはすぐに廃れ、現在では「スウェーデンのブルーリボン」と言われる観光地となっています。

北欧の風景を楽しめるほか、閘門が7つも連続する箇所では船舶が階段を上下するように移動するような光景を見ることができます。

 

7位:大フェルガナ運河(270㎞)

引用元:http://soviethistory.msu.edu/

大フェルガナ運河は、ソビエト連邦が中央アジア地域で農業生産量を高めるために1939年に建設されました。

ナルイン川とカラダリヤ川から現在のウズベキスタンとタジキスタンに位置するフェルガナ盆地に水を引くことで灌漑を可能にし、綿花や野菜、小麦の生産量が増加しています。

ソビエト連邦は「自然改造計画」と称して大フェルガナ運河を代表とする大規模な用水路の建造と灌漑事業を展開しましたが、過度の開発によってアラル海の縮小を招きました。

 

6位:ヴォルガ・バルト水路(359㎞)

引用元:https://bigenc.ru/

ヴォルガ・バルト水路はヴォルガ川とバルト海を結ぶ一連の運河と河川で、ロシアでも重要な内陸水路網のひとつです。

オネガ湖で白海・バルト海運河に接続し、シェクスナ川沿いのチェレポヴェツからオネガ湖までの距離は359㎞にも及びます。

かつてはマリインスク運河とも呼ばれていました。

ヴォルガ・バルト水路の建設は17世紀、ピョートル1世の時代に始まりました。

ピョートル1世はスウェーデンとの戦いでフィンランド湾を獲得し、ロシア内陸部とフィンランド湾を接続するために「ヴイシニー・ヴォロチョークの運河網」と言われる多数の運河を建設します。

そして19世紀のアレクサンドル1世の治世下においてこの運河網をマリインスク運河で補完し、更に拡大を続けていきました。

現在のヴォルガ・バルト水路が整備されたのは、ソビエト連邦成立後のことです。

運河の延長、拡大に加えて閘門を改良することで大型の船舶でも通航可能にすることで、チェレポヴェツからサンクトペテルブルクまでをわずか3日で行き来できるようになりました。

ヴォルガ・バルト水路は現在も石油や木材の輸送に使われるほか、「銀の輪」と言われる観光ルートとしても利用されています。

しかし現在では保守が追いついておらず、浚渫が不充分なところでは大型船の通航ができないこともあるようです。

 

5位:ミッテルラント運河(392㎞)

引用元:https://www.tripadvisor.jp/

ミッテルラント運河は人工のものとしてはドイツでも最長の水路で、ライン~エルベ間の航行を可能にしています。

ドルトムント-エムス運河、ヴェーザー川、エルベ川、エルベ-ハーフェル運河、更にはライン川やエルベ川などを結んでおり、支線などを合わせれば392㎞もの長さになります。

地域によっては「エムス-ヴェーザー運河」、「ライン-エルベ運河」などと言われることもありますが、一般的ではありません。

ライン川とエルベ川を結ぶというアイデアは1856年に持ち出され、激しい反対に遭う中で、1915年にエムス-ヴェーザー運河が完成しました。

この運河が拡張を繰り返して1938年に現在の水路網となり、その後は大型の船舶でも通航できるように幅を広げて2003年に一応の完成を見ています。

現在ではオランダのトヴェンテ運河との接続が議論されており、もし実現すればライン川やエルベ川からロッテルダム港への接続が可能になります。

しかしミッテルラント運河の拡大にも多額の費用がかかっており、経済的に見てトヴェンテ運河との接続が実現する見込みはかなり薄いようです。

 

4位:ライン・マイン・ドナウ運河(677㎞)

引用元:https://flickr.com/

ライン・マイン・ドナウ運河はドイツのバイエルン州にある運河で、マイン川から水路を引くことでドナウ川とライン川をつないでいます。

マイン・ドナウ運河とも言われます。

この運河のおかげで黒海と北海をつなぐことができます。

ドナウ川とライン川をつなぐ運河という構想自体は8世紀ごろからあったと言われており、現在のカールスグラーベンにはカール大帝によって作られたと思われる、小規模な運河の跡が残されています。

またこの運河の前身となるルートヴィヒ・ドナウ・マイン運河も、当時のバイエルンを治めていたルートヴィヒ1世によって1825年に建設され、主に石材や木材の輸送などに使われました。

ルートヴィヒ・ドナウ・マイン運河はその後100年以上使われ、第二次世界大戦で損害を負った際も修復されましたが1950年に廃棄されています。

現在のライン・マイン・ドナウ運河の建設は1921年に始まり、その後は戦争によって工事を中断しながらも、1992年に開通しました。

ライン・マイン・ドナウ運河は技術的には年間で1200万トンもの貨物を輸送することができると言われ、2016年には480万トンを輸送するなど、バイエルンにおける重要な輸送手段として機能しています。

 

3位:ニューヨーク州バージ運河系統(845 ㎞)

引用元:https://www.history.com/

ニューヨーク州バージ運河系統はニューヨーク州を流れるハドソン川と五大湖を結ぶ運河で、別名バージ運河とも言います。

五大湖のひとつであるエリー湖とハドソン川をつなぐ「エリー運河」、アメリカとカナダの両国にまたがるシャンプレーン湖とハドソン川をつなぐ「シャンプレーン運河」、カユガ湖とセネカ湖をエリー運河とつなぐ「カユーガ-セネカ運河」、五大湖のひとつであるオンタリオ湖とエリー運河をつなぐ「オスウィーゴ運河」の4つの運河を総称したものです。

1903年にニューヨーク州の議会で建造が可決され、1918年に完成しました。

完成後は五大湖の周辺で作られる工業製品や中西部で作られる農産物をニューヨークへ運び、ニューヨーク港から輸出するうえで大きな役割を果たしました。

しかし1980年代に入り、鉄道やトラック、パイプラインによる輸送が確立すると輸送目的の利用は廃れています。

現在では運河の沿岸に保養施設が建てられ、遊覧船の航行やボート遊びなどのレクリエーションが盛んに行われています。

 

2位:カラクーム運河(1375㎞)

引用元:https://www.worldatlas.com/

カラクーム運河はトルクメニスタンのカラクム砂漠に建設され、アムダリヤ川の水量のおよそ25%を取水する、世界最大の灌漑、水道用の運河です。

トルクメニスタンの首都であるアシガバードは、この運河から水道を引いています。

1954年に建造が開始され、1986年に現在利用される部分が完成しました。

1940年代、トルクメニスタンを統治していたソビエト連邦の書記長であったヨシフ・スターリンは「自然改造計画」という、連邦領内の農業生産性を上げる政策を立ち上げ、トルクメニスタンなどのステップ気候の土地開発や灌漑などのプロジェクトをいくつも実施しました。

そのプロジェクトの一部として先に紹介した大フェルガナ運河やカラクーム運河が建設されています。

ソ連ではこの運河の建設によって綿花のモノカルチャー農場を建設し、社会主義のプロパガンダとして喧伝しました。

しかしカラクーム運河は工法が原始的なものだったために引いた水が地下へ流れ込み、水量の半分が灌漑に利用できなかったうえ、地下水位の上昇を招いたことで周辺に大規模な塩害が発生しています。

更にアラル海へ流れ込むアムダリヤ川の水を引いているため、アラル海の縮小を引き起こす主要因となってしまいました。

 

1位:京杭大運河(1794㎞)

引用元:https://www.hankyu-travel.com/

京杭大運河は中華人民共和国の北京と杭州を結ぶ運河です。

全長は1794㎞、支流なども合わせた総延長は2500㎞以上にも及びます。

また途中で長江や黄河など、中国を代表する河川と接続しています。

6世紀以前、中国は歴代王朝の首都が置かれ、政治の中心地であった北部と経済が発展した南部とで300年以上分断が続いていました。

589年、隋が陳を滅ぼして中国の統一を達成し、604年に隋の第2代の煬帝が京杭大運河の建設を開始しました。

工事に際しては100万人が動員され、610年に完成しています。

もっともこの工事ではすべての運河を一から開削したわけではなく、既存の小規模な運河をつなぎ合わせた部分も決して少なくありません。

また隋代の工事で現在の姿になったわけではなく、その後の王朝も必要に応じて新たに水路を開削しています。

このときの無理な動員や、完成した運河で煬帝が竜船を用いて御幸を行ったことが運河の私用であるという疑いを招いたことから民衆の不満を招き、隋代は相次ぐ反乱によって滅亡してしまいます。

しかしこの運河の完成によって中国の南北が連結し、後の王朝は利益を享受し、運河の沿岸に位置する都市は交通の要衝として発展しています。

特に京杭大運河と黄河の交点に位置する開封は東西南北の通航の要衝として大いに商業が発達し、後に北宋の首都となりました。

また大きな利益を得たのが明王朝や清王朝といった、海禁策によって海上交通を禁止した王朝です。

これらの王朝では海上交通の代わりに京杭大運河を用いた内陸水運の価値が見直され、運河を監督する役職は非常に重要なものとなりました。

清代末期には海禁策を解除し、諸外国との貿易を再開したために運河の重要性が失われ、一時は管理もほとんどされない一交通路となりましたが、中華人民共和国でも大型船が通航できるよう改修されています。

ですが現代では航空機や鉄道といった交通手段が発達したために運河の重要性が減少し、一部区間では管理が追い付かず土砂が堆積しているようなところもあります。

更に中国の環境問題などによって景観が損なわれている部分もあり、保全の必要性が叫ばれています。

2014年、京杭大運河は世界遺産に登録されました。

 

まとめ

今回は世界最大の運河を紹介しました。

日本では「世界3大運河」としてキール運河(北海バルト海運河)、スエズ運河、パナマ運河の3つの運河が挙げられます。

しかしこれはあくまで日本でのみ語られる区分のようで、世界にはこの3つの運河よりも遥かに大きな運河がいくつもあります。

運河は色々な土地の事情によって作られたもので、大小問わずすべてが人の生活を豊かにしてきました。

近年では航空機や鉄道、道路網などが世界中で整備されているので、相対的にその価値は減少していますが、運河の作る景観や歴史的に運河沿いに発展してきた都市群の作る風景は未だに多くの観光客を魅了しています。

皆さんもぜひ運河に足を運び、その景観や閘門の機能美などを楽しんでみてはいかがでしょうか。



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