その他雑学

世界最大のピラミッドランキングTOP7

ピラミッドは、エジプトや中南米にみられる四角錐の形をした巨大な建造物を指す言葉です。

一般的には、ピラミッドといえばエジプトのものが有名で、スフィンクスとセットでイメージされるのではないでしょうか。

ピラミッドには、エジプトのもののように側面が綺麗な三角形になっている真正ピラミッドのほか、南アメリカにみられる階段状になっているものもあります。

数は少ないですが、イタリアやボスニア、スペインなどにも存在し、ルーブル美術館のルーブル・ピラミッドやラスベガスのルクソールホテルのように、現代建築としてのピラミッドもあります。

古代の人々がこのような巨大な建造物を作り出したという驚きから、ピラミッドには宇宙人や超古代文明によって建造されたという話や、ピラミッドパワーといわれる不思議な力が宿っているといったオカルト話もたくさんあります。

ここでは、現代の我々にも大きなインパクトを与える世界のピラミッドのなかから、その容積の大きなものをランキングでみていきましょう。

第7位 エル・ミラドールのラ・ダンタ(900,000㎥)

引用:http://www.kentoitoh.com/

エル・ミラドールは、スペイン語で「見晴らし台」を意味する言葉で、紀元前6世紀頃に栄えたマヤ文明の主要都市の遺跡です。

エル・ミラドールは、南米の国家グアテマラの最北部に位置するペテン県のジャングルの国境付近にあります。

現在はこの名称で呼ばれていますが、マヤ時代の本来の名前についてはわかっていません。

エル・ミラドールが最初に発見されたのは1926年のことといわれ、航空写真などによって遺跡の存在自体はわかっていましたが、1962年にイギリスの考古学者でマヤ文明の研究家イアン・グラハムが10日間かけて遺跡の地図を作るまで、ほとんど注目されてきませんでした。

これは、エル・ミラドールが深いジャングルの奥地に存在していたことによります。

調査の結果、エル・ミラドールは、ティカルやワシャクトゥンといったほかのペテン県のマヤ遺跡よりも数世紀早い時代に作られたものであることがわかり、考古学者たちを驚かせました。

エル・ミラドールは、紀元前10世紀ごろから発達しはじめ、紀元前3~2世紀にかけて最盛期を迎えたとされ、その頃の人口は80000人ほどになっていたとみられます。

その後、街はいったん放棄されますが、再び人が住み始め、完全に放棄されて現在のようになったのは9世紀末ごろだと考えられています。

エル・ミラドールには切石を組み合わせ建物が並び、石碑もたくさん残っています。

多くの建物の表面には、マヤ文明の神々の顔が漆喰によって象られています。

さらに、エル・ミラドールには、3つの階段状ピラミッドをセットにしたものがたくさん分布しています。

これらのピラミッドは、広くてあまり高くない基壇の上に建てられています。

このなかで最も有名な巨大ピラミッド群が「エル・ティグレ」、そして「ラ・ダンタ」です。

エル・ティグレで最も高いピラミッドは55mで、一方のラ・ダンタでは70mとなっていて、マヤの建造物のなかで最大の高さを誇ります。

ラ・ダンタのピラミッドが設えられている基壇の大きさは、じつに18000㎡に達します。

ラ・ダンタは、このように巨大なピラミッドなのですが、すでに書いてあるように、これはいくつかのピラミッドをセットにした複合建造物です。

そのため、これを1つのピラミッドとみなせるかどうかについては、議論があるかもしれません。

第6位 太陽のピラミッド(1,200,000㎥)

引用:ja.wikipedia.org

太陽のピラミッドは、200年頃に建造されたとされるピラミッドで、メキシコにあるテオティワカン遺跡における最大の建造物です。

テオティワカンは、メキシコの首都メキシコシティの北東に位置するテオティワカン文明の中心的な遺跡で、紀元前2世紀から6世紀にかけて発展し、当時のアメリカ大陸では最大規模を誇る都市でした。

太陽のピラミッドは、中央アメリカに栄えた文明でテオティワカンのほかマヤ、アステカなどが含まれる文化領域であるメソアメリカに現存するもののなかでも、2番目に大きな建造物となっています。

太陽のピラミッドという名前は、テオティワカンの街が放棄されたあとで数百年後にやってきたアステカ文明の人々が名付けたもので、テオティワカンの人たちがこのピラミッドをどういう名前で呼んでいたのかはわかっていません。

太陽のピラミッドは、テオティワカンのメインストリートである死者の大通りに面していて、近くには月のピラミッドも存在します。

太陽のピラミッドは2段階で建設されたと考えらえており、第1段階は100年ごろで、このときに現在とかなり近い高さまで完成していたものとみられ、第2段階で現在と同じく、一辺225m、高さ75mになりました。

第2段階のときに、頂上に祭壇も作られていましたが、現在では残っていません。

そのため、このピラミッドは何らかの神を祀り、儀式を行うためのものだったと思われますが、それがどのようなものであったのかはわかっていません。

太陽のピラミッドは、周辺地域から運ばれた石膏で仕上げられ、表面には鮮やかな色彩の壁画が飾られていました。

壁画は、ほとんどが時の流れとともに失われてしまいましたが、現在もジャガーやガラガラヘビなど何点かが残っています。

太陽のピラミッドは、特定の日の日の出の方向に正面となる方位に向けて建造するというメソアメリカによく見られる構造をしています。

さらに、太陽のピラミッドを含め、テオティワカンの街全体が、東西南北に対して15.25度時計回りに回転した方位を向くように建設されています。

これによって、太陽のピラミッドは、8月13日と4月30日の日没が正面に、2月11日と8月29日の日の出が真後ろにくるようになっています。

太陽のピラミッドには、正面に深さ7mの中心に向かう竪穴があり、その先は横穴が続いています。

横穴の先には、4つの部屋があり、以前は自然にできたものとみられていましたが、調査の結果、人工的に掘られたものであることがわかっており、このピラミッドは王の墓だったのではないかと考えられています。

太陽のピラミッドでは、内部から黒曜石の矢じりや人形といった出土品が発見されています。

人形は、ピラミッドで捧げられた生け贄を象徴しているものとされ、ピラミッドの近くでは、生け贄になったとみられる子供の埋葬地も見つかっています。

第5位 屈折ピラミッド (1,237,000㎥)

引用:www.cnn.co.jp

屈折ピラミッドは、エジプトのダハシュールにあるピラミッドで、世界遺産にも登録されています。

ダハシュールは、エジプトの首都カイロの南にあるナイル川西岸の砂漠に存在する王家のネクロポリス(埋葬場所)で、現在でもいくつかのピラミッドが残されています。

屈折ピラミッドは、古王国時代第4王朝のファラオで、ギザの大ピラミッドで有名なクフ王の父に当たるスネフェル王(紀元前2613~2589年)のピラミッドです。

ダハシュールには屈折ピラミッドと赤いピラミッドという有名なピラミッドが2つあり、どちらもスネフェル王によって建てられたものです。

引用:ja.wikipedia.org

スネフェル王は、ほかにもたくさんのピラミッドを建造したことで知られています。

屈折ピラミッドは、その見た目の通り、本来綺麗な方錐形になるはずのピラミッドが、途中で傾斜したような格好になっているため、この名前がつけられています。

このような独特な形状になったのは、建設途中で技術的な問題が発生したからだと考えられています。

屈折ピラミッドは、一辺189m、高さ105mで、下部は54度27分、上部は43度22分の傾斜になっています。

ピラミッドの石は、上部では通常通りに平積みされていますが、下部では、崩れるのを防ぐために石が内部に向けて斜めに積まれています。

こうして、上部と下部で石の積み方を分けた理由としては、いくつかの説があり、工事中に王が病に倒れたため、完成を早める必要が生じて高さを低くして作ったというものや、これが本来の姿で2種類の傾斜は上エジプトと下エジプトの統一を表している、といったものがあります。

最も有力視されているのは、屈折ピラミッドと同じ構造で作られていた「崩れピラミッド」が完成直後に崩壊してしまったため、下部の積み方を続けていると、このピラミッドも同じように崩壊する危険性があるために、途中から工法を変更したものとみられています。

実際に崩壊の兆候が見られたともいわれ、完成はしたものの、王族の墓としては不適切と考えられたため、近くに赤いピラミッドが建造されたとみられています。

屈折ピラミッドは、2019年に2つの埋葬室をつなぐ通路を修復するプロジェクトが完成し、1965年以来じつに54年ぶりに一般観光客にもピラミッド内部が公開されています。

第4位 赤いピラミッド (1,690,000㎥)

引用:matome.naver.jp

赤いピラミッドは、屈折ピラミッドと同じく、エジプトのダハシュールにあるピラミッドで、古代エジプト古王国時代第4王朝のファラオ・スネフェス王が建造したものです。

現在は、メンフィスやギザのピラミッド群とともに、ユネスコの世界遺産にも登録されています。

たくさんのピラミッドを建造したスネフェス王は、5つのピラミッドを作っていますが、赤いピラミッドは最後に作られた5番目のもので、建造には10年7か月を要したといわれます。

赤いピラミッドは、その名の通り、表面が花崗岩で作られているため赤く見えます。

しかし、このピラミッドは最初から赤かったわけではなく、建設当初は表面が白い石灰岩で覆われていました。

しかし、その後表面の石の大部分が持ち去られたため、基礎部分の花崗岩が剥き出しになり、今の外見になりました。

赤いピラミッドに使われている石は、三大ピラミッドのものよりも小さくなっています。

赤いピラミッドは、屈折ピラミッドの1㎞北に立てられていて、各辺が直線になっていて、側面が二等辺三角形になっている方錐形で、真正ピラミッドと呼ばれるタイプのピラミッドとして初めて作られたものです。

赤いピラミッドは1辺220m、高さ105mで、傾斜は43度19分で、これは屈折ピラミッドの上部と同じ角度になっていて、ピラミッドの中では緩い傾斜となっています。

クフ王のピラミッド。カフラー王のピラミッドに次いで3番目の高さを誇るピラミッドとなっています。

北の壁の地上28mのところに入り口があって、そこから中に入ると、奥に向かって通路が続いており、途中には3つの部屋のような空間があります。

内部は巨大な岩によって作られていて、装飾が一切なく、埋葬施設のようなものも発見されていません。

第3位 トラチウアルテペトル (1,800,000㎥)

引用:ja.wikipedia.org

トラチウアルテペトル、という名前はあまり知られてはいませんが、メキシコ南部のプエブラ州サン・ペドロ・チョルラにある世界最大規模の階段ピラミッドです。

別名「チョルラの大ピラミッド」とも呼ばれます。

現在は、頂上にカトリックの教会があり、外観はただの丘のようにも見えます。

トラチウアルテペトルとは「人工の丘」という意味をもっていて、チョルラはアステカの古典ナワトル語で「避難場所」を意味します。

トラチウアルテペトルは、紀元前3世紀頃から建造が始まったとされ、建造は4段階で行われました。

この地を支配していた6つの民族ごとに、6つの段が重なった構造をしていました。

テオティワカンに似た外見をもっており、同時代に双璧を成していたとみられ、最盛期にはチョルラの街には10万人の人々が暮らしていて、この地域で2番目に大きな都市でした。

トラチウアルテペトルは、底辺では一辺450mにもなり、高さは55mになっています。

トラチウアルテペトルは、アステカ文明のピラミッドであり、ピラミッド内部にも神殿が存在します。

神殿内には、アステカ神話における文化神・農耕神であるケツァルコアトルの壁画が残されています。

16世紀にやってきたスペイン人によって、アステカ帝国は征服を受け、トラチウアルテペトルは侵略者から守るために一部を除いて盛り土によって隠されてしまい、現在外から見ることができるのはごく一部になってしまっています。

ピラミッドの頂上には、16世紀にスペイン人によって「救済の聖母教会」と呼ばれるカトリック教会が建てられました。

第2位 カフラー王のピラミッド (2,210,000㎥)

引用:ja.wikipedia.org

カフラー王のピラミッドは、エジプトのギザにあるピラミッドで、三大ピラミッドのうちの1つです。

ギザはエジプトの首都カイロからナイル川を挟んだ西南部に位置するナイル川中流の都市で、ギザ県の県都となっています。

ギザの砂漠には、ギザの三大ピラミッドや大スフィンクスなどエジプトの象徴的な遺跡がたくさんあって、1979年には世界遺産にも登録されています。

ギザの三大ピラミッドと呼ばれるものは、クフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッドの3基で、いずれもその名を冠した古代エジプトのファラオ(君主)の墓陵となっています。

これらのピラミッドは、今から約4500年前の、紀元前2500年頃に作られたもので、どれもエジプト第4王朝期に建造されたものです。

それぞれのピラミッドには、周辺に王妃のピラミッドや衛星ピラミッド、ギザの大スフィンクス、参道、マスタバ(古代エジプトで作られた長方形の墓)などが建てられ、巨大なピラミッド・コンプレックス(ピラミッド複合体)を構成しています。

有名なギザの大スフィンクスもこのなかに含まれていて、これは、一枚の岩から掘り出した石象としては世界最大の像となっています。

このスフィンクスは、自然の岩石を掘り出して作ったもののため、過去には首まですっぽりと砂に埋まってしまい、掘り起こして救出されるということが何度も起きています。

こうしたギザ一帯に残る遺跡を総称して、ギザ・ネクロポリス(ギザの墓地遺跡)ともいいます。

カフラー王のピラミッドは、三大ピラミッドのちょうど中央に位置し、古王国第4王朝のファラオ・カフラー王によって建造されたものです。

カフラー王はクフ王の息子で、ピラミッドは有名なものの、父の跡を継いで玉座についたということ以外はどのような人物であったのか、あまりわかっていません。

引用:ja.wikipedia.org

在位期間についても、一般的には前2558~前2532年とされていますが、定説はありません。

カフラー王をスフィス2世と呼ぶ歴史書もあり、クフ王がはじめたエジプトの神殿の封鎖を続けた異端的で冷酷な王であったと記されることもありますが、実際のところははっきりしません。

カフラー王のピラミッドは、一辺215m、高さ143mで、クフ王のピラミッドに次いで2番目の高さを誇りますが、クフ王のピラミッドよりも高い台地の上に建てられているため、外観上は一番高く見えます。

ピラミッドの頂上付近には建造当初に化粧石として使われていた石灰岩が現在でもまだ一部残されていて、ギザのピラミッドで化粧石が現存しているのはカフラー王のピラミッドのみとなっています。

ピラミッド内部には、通路と埋葬施設である玄室が存在しています。

クフ王のもののように、玄室が中空に存在していたそれまでのピラミッドとは違い、カフラー王のピラミッドでは地面と同じ高さにあります。

スフィンクスのすぐそばに参道の入り口があり、そこから建物の東にある葬祭殿に向かう通路が続いています。

引用:wondertrip.jp

この位置関係から、スフィンクスはピラミッドを守護しているようにも見え、カフラー王によって建造されたという見方もありますが、そうではなく、カフラー王のピラミッドが建つ以前から存在していたもので、それを取り込むようにしてカフラー王がピラミッドを建造したという説もあります。

第1位 クフ王のピラミッド (2,580,000㎥)

引用:ja.wikipedia.org

世界最大のピラミッドランキング、その1位を飾るのは、エジプトのギザにあるクフ王のピラミッドです。

ギザの大ピラミッドと呼ばれることもあります。

クフ王はエジプト第4王朝のファラオでカフラー王の父にあたる人物で、このピラミッドはクフ王の墓として紀元前2560年ごろから約20年をかけて建造されたものです。

クフ王はクヌム・クフともいわれ、第4王朝第2代の王で、傾斜ピラミッドや赤いピラミッドを建造したスネフェル王から王位を継ぎました。

引用:www.cleopatraegypttours.com

クフ王の治世もカフラー王と同じくあまり記録に残されておらず、クヌム神に対する忠誠を現すクヌム・クフという王名がありながら、なぜ短縮されたクフ王という名前が使われるようになったかも定かではありません。

古代ギリシアで書かれた歴史書の中では、残酷な独裁者という否定的なイメージで描かれることもありますが、実際のところはどのような人物であったのか、はっきりとしたことはわかっていません。

クフ王のピラミッドはギリシャ・ローマ時代の巨大建造物を指す「世界の七不思議」の1つに数えられます。

引用:travelzaurus.com

「バビロンの空中庭園」「エフェソスのアルテミス神殿」「オリンピアのゼウス象」「ハリカルナッソスのマウソロス霊廟」「ロドス島の巨石」「アレクサンドリアの大灯台」、そして「ギザのピラミッド」のうち、現存しているのは、クフ王のピラミッドのみとなっています。

クフ王のピラミッドは、底辺が一辺230m、高さ138.8mで、完成時には146.6mの高さがあり、14世紀にイングランドのリンカン大聖堂の中央塔ができるまでは世界一高い建造物でした。

クフ王のピラミッドは、ファラオを中心とするエジプトの中央集権国家が最盛期を迎え、ピラミッドの建造が最も盛んだった時期に建てられたものです。

200万以上の石が使われた世界一高いピラミッドで、ピラミッド建築の最高峰とされています。

底辺の長さとピラミッドの高さが黄金比になっているといわれることがありますが、実際には誤差があり、これは俗説の類といえます。

ピラミッドに使われた石灰岩は近くの石切り場から採取されたもので、ナイル川の氾濫期に職を失った農民たちが集められ、近くには建設期間の間に彼らが住む街も作られました。

かつてはピラミッドは奴隷によって作られたといわれていたこともありましたが、現在では、作業員たちは家族と一緒に街で暮らし、きちんと報酬も与えられていたことがわかっています。

ピラミッドの建造方法に関しては、ピラミッドまで続く一直線の傾斜した通路を作りソリを使って石を引き上げたという直線傾斜路説や、ピラミッドの外周に沿って螺旋状に傾斜した通路が設けられたというらせん傾斜路説、もともとは内部に建設用の通路があったという内部通路説など諸説あります。

この場所は地盤が安定して、近くで石灰岩がとれるため建造に有利だったことが、クフ王がこの場所にピラミッドを建てた理由のようです。

ピラミッドの内部には、通路や埋葬施設などが存在しますが、本来の入り口は封鎖されていて、現在、観光客が使っているのは、9世紀にアッバース朝のカリフ・マアムーンによって盗掘用に空けられた穴です。

ピラミッドの内部観光は一日300人限定となっており、中央部には王の玄室があり、ほかにも王妃の間、地下の間、ピラミッドの受領を軽減するために王の玄室の上に設けられた重量軽減の間といわれる空間などがあります。

王と王妃の間の間には、シャフトと呼ばれる通気孔があり、王の間のシャフトには冥界の神オシリスを表すオリオン座が、王妃の間のシャフトには豊穣の神イシスを表すシリウスの方向に向けられています。

クフ王のピラミッドの東には王妃たちの3基のピラミッドが南北に並び、さらに東には貴族たちのたくさんのマスタバがあります。

ピラミッドの近くからは、木製の巨大な「太陽の船(クフ王の船)」が発見されており、ピラミッドの南にはこれを展示した太陽の船博物館もあります。

引用:ja.wikipedia.org

まとめ

以上、世界最大のピラミッドランキングでした。

南アメリカのピラミッドからエジプトのピラミッドまで、有名なものからあまり知られていないものまで、様々なピラミッドがランクインしていました。

遥か昔に、死者の埋葬や神への祈りをささげるためにこうした巨大な構造物が作られていたという事実には、やはり驚かされます。

その中で、世界最大となっているのは、やはり私たちにとってもピラミッドといえば、エジプトというイメージのある、ギザの大ピラミッドでした。

遠い昔に作られたものですが、ピラミッドは現代においても見るものにその巨大な存在感を刻みつけています。



-その他雑学

Copyright© 雑学ミステリー , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.