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【未解決】世界で起きた謎の失踪・行方不明事件12選

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オエル・ヴェルデ村の消失

引用:https://topyaps.com

1923年2月、ブラジルの小村オエル・ヴェルデで一夜にして、600人の村人全員が忽然と姿を消すという事件が発生しました。

その日、偶然あった訪問者が村に足を踏み入れると、静寂に包まれたオエル・ヴェルデには誰の姿も見えません。

あたりからは鳥のさえずりすら聞こえず、村じゅうを探して、誰もいないことが判明しました。

ただちに警察に通報され、捜査が行われましたが、村人たちがどこに消えたのかを示す手がかりを見つけることはできませんでした。

奇妙なことに、村の中には生活に必要な身の回りのものが持ち出されずにすべて残されていました。

村の学校では、「どこにも救いはない!!」という言葉が殴り書きされ、その近くには24時間以内に発砲された痕跡のある銃がありました。

手がかりらしいものはこの2つだけで、銃の使用状況から推測すると、1日前までここには人がいたということになります。

失踪の原因について、宇宙人に攫われたという荒唐無稽な話もありますが、当時のブラジルの治安や社会情勢にその答えを求める説もあります。

当時、ブラジルでは政権は腐敗し、軍の反乱が起こるなど政治的に非常に不安定になっていました。

村人たちはゲリラ戦に巻き込まれたか、麻薬カルテルの襲撃に遭ったかで、村を捨てざるをえなかったというものです。

それにしても、食料や生活必需品までをすべて置いていったのは奇異に思えます。

もちろん、この付近に新しい村ができたという記録も見当たらず、大規模な引っ越しだったというわけでもなさそうです。

ジーン・スパングラーの失踪

引用:https://www.urbo.com

ジーン・スパングラーは1923年シアトルに生まれた、青い瞳をもつ美しい女性でした。

ハリウッド女優を目指す彼女の突然の失踪が世間の注目を浴びたのは、ある大物ハリウッドスターが関係しているのではないかという疑惑が取り沙汰されたからです。

離婚歴があったジーンは、1946年からロサンゼルスのアパートで母親と弟夫婦と同居し、モデルのパートやナイトクラブのダンサーをしながら、幼い娘を育てていました。

数年後、ジーンは映画『奇跡の瞳(原題:Miracle of the Bells)』でクレジットなしの端役を手に入れました。

彼女の7本の出演作の最初の1本です。

1949年10月7日の夕方5時頃、ジーンは同居していた弟の妻に支払いの遅れている養育費のことで元夫と会ってから、出演中の映画の撮影に行くと言って家を出ました。

1時間後、近所の店のレジ係が誰かと待ち合わせをしている様子のジーンを目撃したのが、彼女の最後の姿となりました。

翌日になってもジーンは戻らず、家族は失踪届けを出しました。

真っ先に疑われたのが別れた元夫ですが、彼には再婚した妻とのアリバイがありました。

捜査が進むと、その日、ジーンが出演していた映画の撮影などなかったことが判明し、10月9日にはロサンゼルス市内の公園でストラップの部分が引き千切られたジーンのバッグが見つかりました。

貧しいジーンはあまり現金をもっていなかったことから物盗りの可能性は低いとみられ、バッグの中から奇妙なメモが発見されます。

『カーク、もう待てないわ。スコット先生に会ってくる。母が留守のうちに行けば大丈夫』

ジーンが失踪したその日、母親はケンタッキーに出かけていて留守でした。

しかし、カークとスコット先生とはいったい誰なのか、ジーンの家族にも心当たりはありませんでした。

謎の二人 カークとスコット先生

この事件がマスコミに報道されると、アメリカ中でこの2人の謎の人物に対する憶測が溢れ、やがて、ある有名人に注目が集まりました。

『OK牧場の決斗』などで有名な俳優のカーク・ダグラスです。

引用:https://ja.wikipedia.org

当時、ダグラスは映画『チャンピオン』でアカデミー主演男優賞にノミネートされる直前で、彼の近作である『情熱の狂想曲(原題:Young Man With a Horn)』にはジーンがエキストラとして出演していました。

カーク・ダグラスはすぐに自ら警察に連絡し、ジーンとは撮影現場ですれ違った程度で手紙の人物は断じて自分ではないと伝え、警察も彼の潔白を認めました。

警察の捜査で、ジーンが行きつけのバーで違法な中絶手術をしていた人物に接触していたことや、彼女自身も妊娠しているという噂があったことが分かりました。

さらに、ジーンは悪名高いギャングだったミッキー・コーエンの部下とも知り合いで、そちらにも深入りしていたという話も出てきました。

その後も、ジーンの行方も、手紙の人物の正体も判明することはなく、事件は迷宮入りします。

ハリウッドスターに、別れた夫、ギャングに闇医者といった人たちの中にカークとスコット先生がいたのか、それともまったく別の人物だったのかも、永遠の謎となりました。

失われたロアノーク植民地

引用:https://www.smithsonianmag.com

ウォルター・ローリーはイギリスの宮廷人でもあり、冒険家でもあった人物で、アメリカ大陸に最初のイングランド植民地を築きました。

1584年、ローリーが現在のノースカロライナ州にあるロアノーク島に探検隊を送ると、植民地にぴったりの場所であることがわかりました。

ローリーは自分が海を渡りイギリスから遠く離れた場所で植民地を作るなどということは考えおらず、リチャード・グレンビルを指揮官として、5隻からなる船団を送り込みました。

一行はロアノーク島に着いたものの、入植は困難を極め、結局、現地の先住民に盗みを働いたという因縁をつけて集落を襲い、そこに住み着いてしまいます。

過酷なるロアノーク植民地

当然これが原因となって先住民との関係は悪化の一途を辿り、集落への攻撃に応戦する日々でした。

グレンビルが新たな入植者を集うためにイギリスへ帰還すると、残った植民者たちは偶然通りかかったフランシス・ドレークの船に乗せてもらい、イギリスへ帰ってしまいました。

入れ違いに戻ってきたグレンビルが見たのは空っぽになった植民地でしたが、彼はすぐさま植民地の再建に乗り出します。

その後も植民者が逃げ出し、植民地が先住民に焼き払われたりもしましたが、それでもくじけることなく、1587年8月新たに派遣された115人が知事ジョン・ホワイトの指揮のもと新しい村の建設をはじめました。

8月18日には、アメリカ大陸で初めてイギリス人の両親をもつ赤ん坊の少女が生まれます。

しかし、相変わらず先住民との関係は険悪で、ホワイトは救援を求めるため一旦本国へ帰国しました。

消えたロアノーク

引用:https://www.history.com

当時、スペインとの戦争が激化していたため、ホワイトはなかなかアメリカに戻ることができず、1590年8月、やっとのことでロアノーク島に帰ってきました。

そこでホワイトが見たものは、荒れ果てて誰もいなくなった植民地でした。

争ったような形跡はなく、先住民の攻撃を受けたわけではなさそうで、万が一強制的に植民地を離れなければならない事態に陥ったときに備え、目印として木に彫りつけておくことになっていた「マルタ十字」も残されていませんでした。

放置された建物はきちんと片付けられていて、植民者たちが計画的に移動したことを物語っています。

砦の柱には「クロアトアン」という言葉が彫られていて、これはロアノークの南にある島で、植民者に有効的な部族が住んでいて、皆はそこに身を寄せているのではないかと考えられました。

しかし、悪天候のためホワイトは南への航海を断念し、イギリスへ帰還、二度と新大陸に戻ることはありませんでした。

入植者たちになにが起こったのか確かなことはわからないまま、ロアノークは「失われた植民地」と呼ばれることになりました。

入植者たちは先住民によって追放されたり、スペインの軍隊によって略奪されたのだという説もありますが、これは戦闘の形跡がなかったことと矛盾します。

逆に先住民との関係が好転して婚姻により同化していったという話もあります。

気象学者によると、当時はロアノーク一帯で干ばつが続いたとされ、耐えられなくなった入植者は船で植民地を出ていったのではないかとも言われます。

1607年、バージニア州ジェームズタウンに永続的な植民地が建設されると、ロアノークは完全に忘れ去られ、人々の記憶から消えていったのでした。

辻政信の失踪

引用:https://ja.wikipedia.org

辻政信は日本陸軍の元将校で、参謀としてノモンハン事件から太平洋戦争のマレー作戦、ガダルカナルの戦いなどを指導し、「作戦の神様」と讃えられた人物です。

辻には、戦争中の指揮系統を無視した独善的な現場指導や部下への責任の押し付け、自決の強要などの批判もあり、毀誉褒貶の激しい人物です。

辻は戦後数年間、戦犯の追求から逃れるため国内外に潜伏し、その後、自らの体験をもとにいくつかの戦記を発表し、ベストセラーになりました。

当時の軍や戦争指揮の裏側を知る人物の証言として、貴重なものですが、彼の性格からいって疑って読まなければならない部分もあるでしょう。

辻は政界へと進出し、衆議院4期・参議院1期を歴任します。

ラオスでの失踪

辻が失踪したのは参議院歴任中のことで、1961年東南アジアの視察を目的として40日間の休暇を申請し、公用旅券で日本を発ちました。

辻はラオスで旧日本軍の兵士で現地軍の将校になっていた人物に目撃されたのを最後に消息を絶ちます。

調査によると、辻はその後、僧侶の姿に扮してラオス北部の平原へ向かったことが確認されています。

辻の失踪を巡っては様々な憶測がなされ、ジャングルで猛獣や毒蛇に襲われて殺されたとするものから、ラオスの共産主義勢力に捕えられて殺されたとするものやベトナムの反共義勇軍に参加したというもの、アジアの政治に介入することを恐れたCIAによって暗殺されたというものなどです。

CIAは辻を「機会があるならばためらいもせず第三次世界大戦を起こすような男」と酷評していました。

キューバでカストロの支援工作をしている、エジプトのナセル大統領の軍事顧問になったという説もあります。

後に自筆の文書が発見され、どうやら1962年くらいまでは生きていたといわれています。

辻の家族からの失踪宣告により、1969年6月に死亡宣告が行われました。

マーサ・ライト 数秒間の失踪

引用:https://ja.wikipedia.org

1975年のこと、ジャクソン・ライトと妻のマーサ・ライトは車でニューヨーク市内のハドソン川にかかるリンカーントンネルを走行していました。

当時は曇り止め機能などついていない時代で、途中、窓ガラスの結露があまりにもひどくなったため、夫妻は車を停めて拭き取ることにしました。

車から降りた二人は、ジャクソンはフロントを、マーサは後ろのガラスを拭くことにして作業に取り掛かりました。

作業中、ジャクソンが目を離したのはほんの数秒ほどのことでした。

しかし、次に妻のほうを見た時、マーサの姿は忽然と消えていたのです。

怪しい物音がしたわけでもなく、周囲に人影もありませんし、当時トンネル内でほかに減速や停止をしている車はなかったといいます。

それなのに、マーサはこの短い時間のあいだに消失し、警察による捜査でも手掛かりとなるようなものは発見されませんでした。

当初はジャクソンによる自作自演の疑いももたれましたが、やがて彼も潔白とされました。

現在でも、マーサがどこへいってしまったのか、その足取りはつかめていません。

ダショー事件

引用:https://www.reddit.com

ダショー事件は、若い男性4人が同時に失踪するという、スウェーデン史上唯一の集団失踪とされる事件です。

1965年7月29日、スウェーデン南部の港町ヨーテポリで、3人の男性が行方不明になりました。

造船所の三人組

ゲイ・カールソン、ヤン・オロフ・ダショー、シェル・オーケ・ヨハンソンは同じ造船所で働く仕事仲間でした。

それぞれの家族からバラバラに捜索願いが出されたため、警察は3人が失踪した日に一緒だったという事実に気づくのが遅れます。

3人は、7月のある雨の日の朝、青のボルボPV444で走っているところを目撃されていました。

車はダショーが兄のもので、この日3人はキャンプにいく予定だったといいます。

しかし、天候はあいにくの雨で、しかも7月とは思えないほど肌寒い日で、とてもキャンプに行くような気候ではありませんでした。

なお、3人とも免許は持っておらず、この3人時折軽犯罪に手を出すいわゆるやんちゃな若者でしたが、家族や友人の間では気のいい青年として通っていました。

3人に失踪する理由はなく、特にヨハンソンはつい最近子供が生まれたばかりでした。

美術学生ルンドクヴィスト

引用:https://www.minnenasjournal.nu

そして、この日ヨーテポリではもう1人、美術学生のヒュブナー・ルンドクヴィストも姿を消していました。

ルンドクヴィストはストックホルムに住む学生で、トレコーブで夏季休暇を過ごしていましたが、退屈しのぎに「リューセヒールに行く」と言い残し、一人で出かけていました。

ヨーテポリはトレコーブとリューセヒールのちょうど中間に位置します。

ルンドクヴィストはヨーテポリから家族に宛てて「万事順調、心配しないで」と書いたポストカードを投函していますが、この後、彼の足取りは途絶えています。

この4人は同じに失踪しましたが、警察への届け出がバラバラだったため、当初集団失踪として扱われず、捜査が行われるも、その行方は分かっていません。

ルンドクヴィストが青のボルボに乗り込んだという話もあります。

カールソンやルンドクヴィストについては数年後に目撃情報も寄せられましたが、それが果たして本人だったのかははっきりしていません。

謎の男

果たして4人の身になにがあったのでしょうか。

失踪の日、いくつか手掛かりになりそうな出来事がありました。

その日、カールソンの妹が兄のアパートを訪ねたところ、カールソンは留守で、代わりに見知らぬ男がなぜかカールソンのセーターを着て部屋にいたといいます。

妹がカールソンの行方を尋ねると、男は「パブ地区にいるだろう」と答え、後に警察がこの男を捜索しますが、見つけることはできませんでした。

奇妙な銀行強盗事件

さらに、4人がいなくなった7月29日午後2時過ぎ、ヨーテポリでは銀行強盗事件が起きていました。

犯人は2人組で、1人は銃をもって行員を脅し、もう1人は金髪のカツラに女ものの服という奇妙な格好をしていました。

女装したほうがカウンターに置かれた金を奪いましたが、人質の反撃に遭い、足に怪我をして逃げ出しました。

強盗たちは近所の川まで逃げると、そこで服を脱いでダイビングスーツ姿になり、川に飛び込み行方をくらましました。

犯人たちは後に逮捕されますが、いなくなった4人がこの事件に何らかの形で関わっていたのではないかというのです。

共犯者だったのか、それとも事件に巻き込まれてしまったのかはわかりませんが、同日に起きたこの奇妙な強盗事件と失踪事件の関連を疑う声も根強くあります。

この日、4人の身になにがあったのか、50年以上が過ぎた現在でも謎のままです。

まとめ

以上、世界で起きた謎の失踪事件をご紹介してきました。

これらの事件の中には、現在でも多くの謎が残され、好事家たちの憶測を生んでいるものもあります。

長い月日の経過とともに、真相の究明はますます難しくなっていくのも事実ですが、いつの日か、こうした事件の真実が解き明かされることを願ってやみません。



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