世界にはまだ解決されていない謎が数多くありますが、オーパーツもそのひとつです。
世界には実在するオーパーツが数々発見されていますが、考古学においても製造方法やその成り立ちなどが不明で未だ解明されていない物も多く、古代地球にやってきた宇宙人の仕業説や、人類が誕生する以前に高度な文明が存在していた説などさまざまな説が存在しています。
今回はそんな世界に実在する30個のオーパーツをご紹介します。
そもそもオーパーツとは
オーパーツ(OOPARTS)とは、「out of place artifacts(場違いな人工物)」からなる造語で、その時代の文明にそぐわない古代の出土品のことを意味します。
当時の技術では製作が不可能と考えられる加工品などのことを総称してオーパーツと呼ばれています。
つまり、現代の技術では解明できていない、誰がどうやって作ったものかわかっていない、なぜ過去にそのようなものが存在していたのかが不明、といった謎の物体や地形のことなのですが、これらは世界中の人たちの知的好奇心を駆り立てています。
水晶髑髏(クリスタル・スカル)
水晶髑髏は中南米、マヤ文明やアステカ文明、インカ文明の遺跡から出土される、水晶で作られた頭蓋骨の模型です。
当時の中南米の技術水準から考えてあまりに精巧に作られていることからオーパーツであるとされています。
最も有名なものとしては、イギリスのミッチェル・ヘッジスが発掘したとされるヘッジス・スカルが挙げられます。
ヘッジス・スカルは同一の水晶を、専用の器具を使わずに髑髏の形へ加工したものであるとされ、当時の技術水準から考えてあまりにも精巧に造られており、その製作には300年以上かかると見積もられています。
水晶髑髏の出土したマヤ文明には、水晶髑髏にまつわる伝説があります。世界のどこかにある13の水晶髑髏を集め、「オシリコンウィアの聖櫃(せいひつ)」と呼ばれる形に並べると、人類の未来が明らかになると言うのです。
現在水晶髑髏はヘッジス・スカルも含め十数個出土していると言われています。人類の未来が明らかにされる日は近いのかもしれません。
長沙国南部図
長沙国南部図は、1972年に馬王堆漢墓(まおうたいかんぼ)から発見された縮尺18万分の1の地図です。
馬王堆漢墓は、湖南省長沙(ちょうさ)にある紀元前2世紀の墳墓であり、利蒼(り そう)とその妻子を葬ったといわれるお墓で、発見された利蒼の妻の遺体が未だ生けるが如き見事なミイラ状態だったことで知られ、その技術力の高さは中国随一であったと言われています。
墳墓からは他にも貴重な工芸品や帛書が発見され、その中に「長沙国南部図」も含まれていました。
長沙国南部図は、幅50cmの帛を2枚つなぎ合わせた、一辺96cmの正方形で、現在の湖南省南部である長沙国南部の地形を描いたものとされ、非常に精度が高く、河川の屈曲もおおむね一致しており、現在の測量技術はもとより、衛星写真で撮影された地図と寸部違わぬ精度で描かれているほどでした。
遺物を管理する博物館の王世平教授は、この地図は数千年前の人工衛星が撮影した写真を元に作成されたと主張しています。
しかし、当然この時代に人工衛星が存在するはずはなく、どうやってこれほどまでに精度の高い地図を作成することが出来たのかはわかっておりません。
ピラミッド・アイ・タブレット
ピラミッド・アイ・タブレットとは、プロビテンスの目に似た模様があるピラミッド状の物体で、1980年代にエクアドルのラ・マナ で金採掘主任であったギレルモ・ソトマヨーアによって、廃坑から発見された300余りの遺物の中から見つかったうちの一つの石造のオーパーツです。
発見後ソトマヨーアの知人たちによって保管されていたため、公の場に存在が公表されることはありませんでしたが、2001年にウィーンで行われたオーパーツの展覧会「未解明の謎展」で初めて一般に公開されました。
製作された正式な年代がはっきりしておらず、おそらく製作後数百年は経っているとされていますが、未だ多くの疑問を残しています。
この石造には“万物を見通す目”と知られている「プロビデンスの目」が描かれていることが大きな特徴となっており、この目のマークは、13段のレンガの様な模様の最上部に施されているのですが、アメリカのドル札と国旗にも描かれている目のマークもまた、13段のピラミッドの最上部にこの目のマークが描かれているので、まったく同じものなのではないかとされています。
この三角形に目のマークは、エジプト神話に登場する神々の中でも最も偉大とされているホルス神の目が描かれており、「三位一体」の象徴としても使われるそうです。
驚くのが、このピラミッド・アイ・タブレットはブラックライトを当てると、最上部の目が発光するような細工がされており、さまざまな奇妙な符合からも、アメリカの「プロビデンスの目」との関連性も見受けられます。
また、底面にはオリオン座の配置で黄金細工が施されているのですが、エジプトの三大ピラミッドもまた、オリオン座の配置を模したものであるため、古代エジプトとオリオン座との間にはなんらかの深いつながりがあるのではないかともいわれています。
そしてその黄金細工の横には、先サンスクリット文字で「創造主の息子がやってくる」と書かれているのですが、プロビデンスの目のもととなったホルス神は、エジプト神話の中で神々と世界を創ったとされている太陽神ラーの息子であることから、創造主の息子とはホルス神のことを示しているといわれています。
アンティキティラ島の機械
アンティキティラ島の機械は1901年、ギリシャ・アンティキティラ島沖合に沈んだ船から回収された、歯車式の道具です。
回収後、その用途は長らく不明でした。作りが精緻なため、最古のアナログコンピュータと考えられていましたが、近年のX線分析の結果、天体観測器、計算機であると判明しています。
この機械はギリシャ文明のものですが、部品の複雑さと縮小化は18世紀の時計と同じ技術水準にあります。
当時のギリシャの暦に合わせて目盛りを動かすことで、月や星座、惑星の配列を明らかにする機能があると言われています。
また日付の目盛りにはオリンピックを始めとする競技大会が記されている部分があり、当時のギリシャでオリンピックがいかに重要視されているあが分かります。
ピーリー・レイースの地図
オスマン帝国の海軍軍人ピーリー・レイースの描いた世界地図は、現在世界に二部現存していますが、オーパーツとして知られているのは1513年に描かれた世界地図です。
このピーリー・レイースの地図は1929年にイスタンブールのトプカプ宮殿博物館に収蔵された写本類の中から発見されました。
当時の最新の地理知識を使って描かれたものと考えられており、コロンブスやアメリゴによって発見されて間もない時期にも関わらず、南北アメリカ大陸の輪郭を詳細に描いています。
その上驚くべきことに、この地図には南極大陸の陸地の輪郭まで描かれているというのです。
南極大陸の発見は19世紀であることから、万が一見つけていても氷に閉ざされているために正確な輪郭は分かるはずもありません。
アレクサンドロス王の時代に伝わる資料を元に地図を描いたために、当時未発見のはずの南極大陸を描くことができたのではないかと言われています。
始皇帝のクロムメッキの剣
始皇帝のクロムメッキの剣とは、中国全土を初めて統一した秦の始皇帝の墓(始皇帝陵)にある兵馬俑の兵士が持っていた剣のことです。
1974年3月29日、井戸掘りの農民たちが兵馬俑(死者と共に埋葬される人間や馬をかたどった人形)を発見したことで、始皇帝陵は世界的に知られるようになりました。
そして、兵馬俑の兵士が持っていた剣が、世界の考古学者たちを驚かせました。
通常、遺跡から発掘される剣は、もはや剣とは呼べないほど錆び付いてボロボロの上体で発見されるものです。
しかし、兵馬俑が持っていた剣は2200年の時を経てもなお光沢があり、新聞紙程度の紙であればキレイに切ることすらできる切れ味を保持していたのです。
詳しく調べてみると更に衝撃の事実が判明しました。
なんとその剣には1800年代に発見され、1900年代に実用化されたばかりのクロムメッキ加工が施されていたのでした。
この時代には発見されていないはずの技術が使われている理由についての文献や記録は一切残されておらず、どのようにしてクロムメッキを施したのかについては未だ謎とされています。
しかし、クロムメッキ加工のような非常に高い技術力を持っていたことが、秦が中国全土を初めて統一することができた理由の一つと言えるのかもしれませんね。
エスペランサ石
エスペランサ石(別名:ホープ石)は、メキシコのヤキの峡谷地域で発見された、文字の様なものが刻まれた8フィート長の大きな石です。
1909年に鉱物と農業資源の調査をしていたF・R・バーナム少佐とチャールズ・フレデリック・ホルダーによって発見されました。
褐色の火成岩で、長軸は8フィートほどあり、45度ほどの傾斜がある東側の面には、深い刻みが付けられており、それは渦巻き形や卍(まんじ)など、文字とも記号とも読み取れる模様で、マヤ文字またはペトログリフではないかと考えられています。
この地域に住む人々の間には「この石は、昔、天上から落ちてきたものであり、その後人の手で記号のようなものが刻まれた」とする伝説が残っていました。
トルコの古代ロケット
1975年にトルコのオスマニエ県トプラッカレで発掘されたロケット型の石の彫刻は、別名「トプラッカレ・スペースシャトル」とも呼ばれている古代ロケットの遺物です。
地元イスタンブール考古学博物館に保管されているこの彫刻は、長さ23cm、高さ9.5cm、幅8cm。現代のロケットに似た形で、後方には大型の排気筒を囲む4つの小型排気筒や、パイロット(頭部は消失)用のコックピットまで彫りこまれています。
しかし、彫刻はかつてトルコ東部を中心に栄えた古代王国・ウラルトゥ王国の首都だった場所から出土されたもので、およそ3000年前の遺物だと考えられている為、「スペースシャトル」や「パイロット」を模した彫刻であることはあり得ないこととされています。
当時栄えていたウラルトゥ王国が、信仰していたハルディという神へ捧げる特別な供物であるとも一説には言われていますが、その多くが未だに謎に包まれています。
恐竜土偶
恐竜土偶は、メキシコのアカンバロで発見された恐竜の形をした土偶です。
1945年7月、ドイツ人実業家ワルデマール・ユルスルートはメキシコのアカンバロの町外れにある通称「牡牛山(ブルマウンテン)」の麓で奇妙な土器を発見しました。
考古学マニアだったユルスルートは、大規模な発掘を開始し、手のひらサイズのものから1mを超える巨大なものまで32000体もの土偶を発掘しました。(最終的には37000体以上)
土偶には、半獣半人の生き物や、翼を持った竜などの空想上の生き物に混じって、明らかに恐竜の形をした土偶が混ざっていました。
ユルスルートは考古学的な調査が行われることを期待していましたが、考古学者チャールズ・ディ・ペソによって捏造との指摘を受けたため、土偶は長い間調査されることはなくユルスルートによって保管されていました。
その後、1968年にユルスルートの友人が調査会社に土偶のサンプルの年代測定を依頼し、C14法(ベータ線計数法)で計測したところ紀元前1000年から紀元前4000年という結果が、翌69年にペンシルベニア大学研究所に熱ルミネッセンス法での測定を依頼した所、紀元前2500年±250年という結果が出ました。
恐竜は土偶が作られるはるか昔(紀元前6500万年前)に絶滅しており、更に人類の祖先が誕生したのは紀元前600万年頃と考えられているため、この土偶の作成年代については大きな矛盾が生じることになり、たちまちオーパーツの一つとして世界的に有名になりました。
現在アンカバロはダムの底に沈んでしまっており、この土偶の出土状況を調査することは不可能です。一説には「ダム工事を阻止する目的で捏造されたのではないか」とも言われていますが、その真相は誰にもわかりません。
カンブリア紀の金属ボルト
1997年にロシアのブリャンクスの森林地帯で発見された金属ボルトです。
モスクワの地質研究所がこの金属ボルトを包みこんでいた岩石の年代を調査しところ、なんと約15億年も前のものと判明しました。
さらにこのボルトは数トンの力をかけても変形せず、X線の調査により内部にもいくつかの小さなねじの様なものが見られることが分かっています。
15億年前は「カンブリア紀」と呼ばれており、地球の気温は温暖で地表のほとんどが海で覆われ、到底人類なども誕生しておらずアノマロカリスなどの海生肉食動物が食物連鎖のトップにいたような時代です。
猿人の誕生が700万年前といわれていることから、このような人工物を作れるような生物がまだいないであろう地球上で、この金属ボルトがどのようにして造られたものなのかは解明されておりません。
タイムマシン研究開発のスペシャリストであり、ロシア大統領からUFO特別顧問にも任命されているモスクワ航空大学のチェルノブロフ教授は、15億年前に地球に来訪した宇宙船の破片ではないかという見解を主張しています。
未だ研究は進められているようですが、その詳細は発表されておりません。
褐炭の頭蓋骨(フライベルグ・スカル)
19世紀初頭にドイツ・フライベルグで発見された、褐炭、褐鉄鉱石、磁鉄鉱石で構成される頭蓋骨です。
フライベルグの銀鉱山で、採掘作業の最中に1500万年前の褐鉄鉱石の地層から発見されました。
何度も分析が行われ、ドイツのゲルハルト教授が無名の一般人が作った贋作という見解を述べたことから、オーパーツではないただの贋作という見解が一般的になりました。
しかし、1998年に改めてこの頭蓋骨をCTスキャンで調査したところ、頭蓋骨内部が樹木の年輪のような層をなしていることが判明しました。
もし本当に贋作だとすれば、高熱の素材(褐炭の融点が110ー360度であるため)の薄膜を一枚ずつ重ねて作り上げたことになります。
当時このような高度な技法を用いた工芸品は存在しないことから、今日ではフライベルグ・スカルは本物のオーパーツであると考えられています。
アッシリアの水晶レンズ
イギリスの考古学者オースティン・ヘンリー・レヤードによって、イラク北部のニムルド遺跡にある紀元前7世紀の古代アッシリアの墓から1853年に発見された水晶製のレンズです。
レンズはわずかに楕円形で、長さ4.2cm、幅3.45cm、中心部の厚さが0.64cmで、平凸レンズの形状をしており、焦点距離は12cmでした。
現代の拡大鏡のように物体を約3倍程度の大きさに映すことができ、太陽光を集める為に使われたと考えられています。
一般的なレンズが発明されたのは9~10世紀頃のことで、この水晶レンズは世界最古のレンズとして知られています。
しかし、レンズとしての効果は作ろうとして作られたものなのか偶然レンズとして機能する形状になったのかは謎とされています。
聖徳太子の地球儀
聖徳太子が建立したとされる兵庫県太子町の斑鳩寺には、地球儀として伝わるソフトボール大の球体があります。
球体の表面には当時未発見の南北アメリカ大陸や南極大陸のほか、ムー大陸と思しき未知の大陸が描かれています。
江戸時代に作られた、斑鳩寺の目録である『常什物帳』には「地中球」という名前でこの地球儀が載っており、少なくともこの時代までには存在していたと考えられます。
しかしこの地球儀には17世紀に使われた「メガラニカ」という名称が南極大陸に当てられており、本当に製作されたのは17世紀以後の可能性が高いです。
またこの地球儀は漆喰を固めて作られましたが、この技法は江戸時代に確立されました。以上のことから江戸時代に作って斑鳩寺へ奉納されたものに、聖徳太子の逸話がついたものではないかと見られています。
デリーの鉄柱
デリーの鉄柱はインド・デリーの世界遺産クトゥブ・ミナールにある鉄の柱です。アショカ・ピラー、チャンドラヴァルマンの柱とも呼ばれます。
この鉄柱は1500年前以上に建てられたのですが、ほとんど錆びていません。デリーの空気は乾燥しており、鉄の錆びにくい環境ではありますがこれは特筆すべきことです。
またデリーの鉄柱は純度99.72%の鉄でできています。鉄は純度が高いほど錆びにくいと言われますが、純度99.72%の場合は50年ほどで錆びてしまいます。
実はこの鉄柱はステンレスに近いものです。ステンレスは鉄にクロムとニッケルを加え、表面に酸化被膜を形成することで錆を防ぐものですが、デリーの鉄柱の場合はリンを加えることで表面にリン酸化合物を形成し、錆を防ぐのです。
インドの鉄鋼石は元々リンを含んでおり、また当時のインドでは鉄の精製を行う際にリンを含む植物を加えていたとされていました。そのため精製された鉄にも多量のリンが含まれ、錆びにくくなったと考えられています。
ダマスカス鋼
ダマスカス鋼(別名:ウーツ鋼)とは、古代インドで開発製造されていた木目状の模様を特徴とする鋼で、シリアのダマスカス刀剣などに鍛造されていたことからこの名がつきました。
南インドで紀元前6世紀に開発され、高品質のダマスカス刀剣が最後に作られた時期は定かではないが、おそらく1750年頃であり、現代ではウーツ鋼によるダマスカス刀剣の製法は失われた技術となってしまっています。
ダマスカス刀剣を詳細に解析することで、当時の製法を再現する試みが行われていますが、現時点では完全な再現をするまでには至っておらず、当時の製法は謎とされています。
また、現在は当時とは違った製法(異種金属を積層し鍛造することで、ウーツ鋼と似た縞模様を表面に浮かび上がらせる方法)により製造された「ダマスカス鋼」が高級ナイフ等に用いられています。