驚異の自然現象

世界最強の竜巻ランキングTOP10

人類を襲う致命的な気象現象には、さまざまなものがありますが、竜巻ほど威力の高い気象現象は他に無いかもしれません。

渦巻く巨大な強風が、地上のあらゆるものをなぎ倒して行く様子は、あまりにも破壊的であり、畏怖の対象ともなっているのです。

今回は、人類が遭遇した竜巻の中でも、最悪の被害を出した竜巻トップ10と共に、竜巻にまつわる雑学などをご紹介していきます。

さて。しょっぱなの雑学としては、竜巻にはコリオリの力が決定的には働いていない!……どういうことか?

台風などに比べると、水平面の広さがかなり狭いので、コリオリの力の影響は極端に少なくなり、事実上、その物理法則の制約を受けることはなくなります。

つまり、竜巻には、時計回りも反時計も存在しているわけですね。

台風は北半球では、反時計回りしかありません。水平面として大きい存在ですから、コリオリの力に囚われています。台風は南半球では、時計回りに回転しています。

竜巻は南北半球に関係なく、どちらの回転もするのです。

竜巻の強さの指標、藤田スケール


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1971年、アメリカの日系人気象学者によって作られた、竜巻の強さを表す指標。それが藤田スケールです。

藤田スケールは竜巻の強さを段階的に評価しています。

さらっとまとめるとこんな感じになります。

F0 風速32メートル未満 起きる割合38.9%
F1 風速33–49メートル未満 起きる割合35.6%
F2 風速50–69メートル未満 起きる割合19.4%
F3 風速70–92メートル未満 起きる割合4.9%
F4 風速93–116メートル未満 起きる割合1.1%
F5 風速117–141メートル未満 起きる割合0.1%未満
F6 風速142–169メートル未満 起きる割合ほぼ皆無

F5は「ファンタジーが起きる」とも語られています。

牛とか魚の群れなんかが何十キロ、あるいは何百キロも先の土地まで吹き飛ばされて、空から降ってくることまであるからです。

通常ではありえない現象さえも起こす力を持っているレベルの風が、F5になれば吹いているわけですね。

なお、1950年以降、現在のところ63の竜巻が公式にF5およびEF5(藤田スケール改良版での最大評価)と評価されています。米国では59、イタリア、フランス、ロシア、カナダではそれぞれ1つずつ観測されています。

今のところですが、F6は観測されていません。

そもそも、もしかしたらいつか遭遇するかもしれない、という懸念の現れであり、観測されたことのない存在なので、通常は無視されています。

存在しませんから、科学の議論になりにくいわけです……というか、議論のしようがないですから。

さて、この藤田スケールですが、竜巻の強さを理解しやすいカテゴリー分けですよね。

F2のカテゴリーの竜巻でも、日本にやってくる台風の記録的な最大瞬間風速レベルなので、竜巻の強さが分かりやすいものです。

このF2レベルでも、巨大なアメリカの車がひっくり返されて転がされる強さですし、家屋が十分に破壊されます。

日本でもF2レベルで死者が出ていますから、ありふれた竜巻のレベルでも、油断は出来ないです。

日本では今のところF4以下の竜巻しか発生していません。

地理的な気象要因により、竜巻はほぼほぼ決まった土地や時期に起こるため、気候変動が進まない限りは、日本においてはそれほど多発することもありません。

しかし、不意打ち的に竜巻が発生することもあり、家ぐらいは楽に吹き飛ばす力を持っているため、気象庁などの警報には耳を貸す価値はあります。

気象観測用のレーダーなどを使い、積乱雲を観測、竜巻の発生を予測してくれているわけです。

台風とは異なり、完全な予測はしがたいため、不運にも巻き込まれたら何も対策することは出来ないかもしれないのは怖いことですよね。

ちなみに、2013年からは、藤田スケールの改良版である、EFスケールがアメリカでは導入されています。

竜巻の研究について


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※カナダ・マニトバ州で発生したF5の竜巻です(2007年の撮影)

今回は死傷者の多かった竜巻を紹介していきますが、竜巻の研究が進んでいるアメリカはともかく、バングラデシュなどでは竜巻の詳細情報が存在していないことも多くあります。

バングラデシュなどの被害が大きな理由は、家屋の強度の不足や人口密度の多さなども反映されていることが多いようです。

風の強さだけでなく、諸々の条件により、竜巻の被害は決定されることになります。

アメリカの竜巻についての情報が多くなってしまい、他国の情報が少なくなってしまうことをお許しください。

観測史上最悪の被害を残した竜巻たち


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※積乱雲、こんな危なげな雲が竜巻を産み落とします。

では、多くの被害者を排出した竜巻たちをご紹介していきます!

第十位 1840年 グレートナチェズトルネード 死者317人


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1840年5月7日、午後1時前にアメリカ合衆国、ナチェズの南西に形成された超大型の竜巻は、ミシシッピ川に沿って北東に移動しました。

川沿いにある林の木々をなぎ倒しながら、ミシシッピ川に浮かぶ60隻もの船舶を次々に転覆させてしまいます。

その後、川沿いの港町に上陸し、家屋を破壊したのです。

48人が陸上で死亡して、269人が川で死亡することになりました……。

グレートナチェズトルネードは、記録が残っている竜巻のなかでは、アメリカ史上、二番目に被害の大きかった竜巻とされています。

被害総額は現在の価値で、3160万ドル、32億円にも及ぶとされているのです。

しかし、グレートナチェズトルネードが発生した当時は、奴隷制がアメリカでは存在している時代であり、黒人奴隷の死者が公的な記録としてカウントされる習慣がありませんでした。

農園地帯にも直撃しているため、そこで働かされていた多くの黒人奴隷の方々が亡くなられている可能性は高いのですが、その方々の死は軽んじられ、歴史に残ることはありません。

さらには遠方からナチェズに来ていた多くの行商人の死者も、正確にはカウントされていない可能性があるようなのです。

つまり、このグレートナチェズトルネードの被害者は、本来はさらに多いものであろうとされています。

このときの竜巻は、180年ぐらい前に起きたもののため、藤田スケールでの評価はされていませんが、かなりの強さを持つ竜巻だったことは確かです。

ボートだけでなく、大型の蒸気船も破壊されており、その窓枠はなんと50キロメートル先の陸地まで吹き飛ばされていたと記録されています。

第九位 1984年 ソビエト連邦の竜巻 死者400人以上


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※2018年6月6日の、イバノヴォ上空の大型積乱雲です。

1984年6月9日、当時のソビエト連邦の首都モスクワ北部、イバノヴォとヤロスラブリ地域は激しい雷雨に見舞われていました。

その悪天候が、竜巻を呼ぶことになります。

この日、なんと連続した11個もの竜巻が発生して地域を襲ったのです。

ひとつでも大変な被害を出しかねない竜巻が、11個も発生してしまうなんて、とんでもない状況ですよね。

この一連の竜巻の中には、藤田スケールでF5にカテゴライズされる超大型竜巻も存在しています。

このF5の竜巻は、高速道路を舗装しているアスファルトをも剥ぎ取り、50tもある鋼鉄製の水タンクを200メートルも吹き飛ばしているほどの強風だったようです。

その他にも、F4評価の巨大な竜巻もひとつ観測されていますが、こちらも実はF5に匹敵しているのではないか、などという説もあるほどの超大型の竜巻であったようですね。

350トンの重量を持つ大型クレーンが、このF4の竜巻に襲われることで、横転したとされています。

ちなみに、激しい雷雨は巨大な雹を発生させており、その雹の大きさは最大で1キログラムもあったことが記録されています。これは雹の大きさの世界記録として数えられているのです。

400人以上が死亡したとされていますが、いくつかの町では被害情報が公表されることはなく、その全容は把握することが出来ていません。

もっと多くの被害がこの11もの連続竜巻による、発生してしまっている可能性が存在しています。

なお、モスクワ周辺では1904年6月29日にもF2からF3の竜巻が発生して、総被害額は3,000戸の一戸建て住宅と推定されていますが、人命の損失は不明。

死者は一人だけだったとする説もありますが、適切な計測が行われていないのではないかとも考えられています。

2009年6月3日にもモスクワ地区に竜巻が発生し、死者1人、負傷185人のF3の竜巻が発生しています。

モスクワ周辺では、6月には竜巻の危険性が高まるのかもしれませんね。

第八位 1977年 バングラデシュの竜巻 死者500人


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※当時の画像ではありません、2017年におきたバングラデシュの竜巻被害の写真です。これは死者一人の竜巻の被害です。想像の助けになれば幸いです。

1977年4月1日、バングラデシュのマダリプールとシブチャーの町を竜巻が襲いました。

その二つの町は壊滅状態となり、全ての建物と木が破壊されたといいます。

鉄板が凧のように軽々しく吹き飛んだとされ、地上には何の痕跡も残らないほどの破壊が発生していました。

近くの川には43体の遺体が浮かんでいたとされ、およそ死者500人を出したものの、その詳細は不明です。

第七位 1851年 シチリア島の竜巻 死者500人


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※多重渦の竜巻のサンプル画像です。こんな形の竜巻により、被害が起きたとされています。

1851年12月8日、イタリアはシチリア島の西端から、ふたつの水上竜巻が上陸し、より大きな竜巻になり、地上に甚大な被害を発生させました。

しかし、この竜巻の詳細な情報はありません。

遠方の地での報道は多数見つかっているものの、地元に残された情報はとにかく少ないようです。

伝えられた記述による文献研究の結果、研究者たちら、この竜巻について複数渦を持つ、単一の竜巻であったのではないかと考えています。

ふたつの竜巻ではなく、ひとつの竜巻がふたつの渦を持っていたものであろう、そう予測しているのです。

竜巻を構成する風の水平面上の広さが大きい場合、そういった二つ、あるいは複数の渦を持つ竜巻が発生するとされています。

でも、この竜巻には面白いところがあるのです。

かなりの被害を出した災害のはずですが、何故か地元に被害の詳細が伝わっておらず、周辺地域や他国のメディアにばかり多くの記述が残っています。

どこまで情報として正確なものなのかは分かりませんが、文献上では存在しています。

第六位 1964年 バングラデシュの竜巻 死者500人以上


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※イメージです。1964年のバングラデシュの竜巻の画像はありません。

1964年4月11日にバングラデシュで起きた竜巻は、7つの村をこの地上から消し去りました。

ムハンマドプールで発生したこの竜巻は、南西方向に移動しながら7つの村を完全に破壊して進み、ナバガンバ川に当たると南東へと進路を変えて、さらに27の村や共同体を破壊した後に終息します。

32キロメートルに渡り、深刻な破壊が発生したと考えられています。

一週間後の調査では、空へと巻き上げられた人々の死体の多くが、木のてっぺんなどにぶら下がり引っ掛かっていたとの報告があるのです。

少なくとも、400人の住んでいたババニブール村は全滅してしまったと言われています。

そのことから、この竜巻の被害者数を400人と公表しました。

あまりにも雑な形式的な手続き上の判断であり、正確な統計とは言いがたい数字ですね。他の多くの破壊された村などの数字は全く考慮されていません。

このように、バングラデシュの公式記録は不正確なものであり、この竜巻は死者数は1400人を超えていた可能性もあるとされています。

人類史上最多の死者を出した竜巻である可能性を、否定することは出来ず、最強最悪の竜巻のひとつであろうと予測する研究者もいるのです。

第五位 1551年 マルタ港の竜巻 死者600人


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※マルタ港の地図になります。

1551年9月23日、海上に発生した水上竜巻により、輸送艦隊が襲われしました。

サンタフェ号、サンミケーレ号、サンフィリッポ号、サンクラウディオ号の、少なくとも四つの輸送船が竜巻で転覆してしまったのです。

その後、竜巻は地上に上陸したあと、周辺の町に対して大規模な損害を出したとされています。

マルタ騎士団による調査では、600人以上の死者が確認されたと伝わっているのですが、あまりにも古い話で精細な情報は他にはありません。

そもそも、この竜巻にまつわる被害報告は、1556年の嵐のことだったのではないかという説もあり、歴史を伝えることの難しさが感じられます。

下手すれば2度大きな被害があったのかもしれませんし、合算しての被害であるのかもしれません。何がどう正しいのか分かりません。

とくに昔の記録は伝聞と手書きオンリーですから、歴史に正確さを求めるのは難しいものですね。

編集者の気持ち次第では、何年かズレても気にしないのかもしれません。

第四位 1969年 バングラデシュの竜巻 死者660人


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※大型の竜巻が産み出される瞬間の画像です。バングラデシュの竜巻画像ではありません。

1969年4月14日、バングラデシュ中部および東部を竜巻が襲い、660人ほどの死者が出ました。

おそらく3つもの破滅的な威力を有した竜巻により、各地で被害が発生したものと考えられています。

この竜巻の犠牲者の多くは、その遺体が激しく切断されていたと言われています。

おそらくは家屋の材質である板などが飛び交い、刃物のように人々を切断してしまったと予想されているのです。

犠牲者のひとりである、18才の少年の遺体は村から400メートルも離れた池の中に見つかりました。

バングラデシュの政府関係者によると、「言葉では言い表せないほどに、被害は甚大なものであり、悲惨すぎる悲劇だ」と語っています。

科学的な検証やデータは、とくに残されていません。

第三位 1973年 バングラデシュの竜巻 死者681人


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※イメージです。

1973年4月17日、バングラデシュの9つの村を大きな竜巻が襲いかかりました。

それらの村の一つは全ての家屋が倒壊し、ほかの8つの村もほとんどの家屋が崩れたとされています。

ダッカ地区のマニクガンジだけで、681人が亡くなり、計上されている死者は、このマニクガンジでの死者数のみになります。

カリガンガ川沿いの8つの村についての死者は正確な追跡がされていないようです。

遺体はあちこちに散らばり、遺体の回収も困難な状態もあったようです。居住地から、1000メートル先まで飛ばされていた遺体も存在していました。

非公式の死者数では、少なくとも1000人を超えているのではないかと伝えられています。

高さ4.6メートル、幅2.7メートルのコンクリート製のオブジェが数メートルも元あった場所から数メートル離れた場所になぎ倒されていたとの記述も残っているほどです。

これもまた最悪の死者数を出した竜巻の候補ではありますが、どれほどの被害者数なのかを示す情報そのものに、どこか正確さを感じられません。

第二位 1925年 トライステート・トルネード 死者695人以上


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※イリノイ州マーフィーズボロのロングフェロー学校の写真です。この学校では17人の子供が死亡しました。

1925年3月18日水曜日、アメリカ史上最大の死者を出した竜巻が発生しました。

この竜巻によって残された破壊の痕跡は、151から235マイル(243から378キロメートル)もあるのです。

竜巻の発生時間は、3時間半でしたから、70マイル(110km/h)を超える前進速度で移動したようですね。

走って逃れることはおろか、車でも状況次第では逃れることはかなわない速さなのは間違いありません。

幸運か不運かが生命を左右しました。

その道筋にいなければ助かり、いれば大きな被害と生命の危険に見回れることになったのです。

このスリーステート・トルネードは、藤田スケールでは、最大のスケールである、F5であったであろうと、現在では推定されています。

死者695人、負傷者2,027人。

被害総額は、現在の価値で16億ドルとも見積もられています。

さて、この竜巻がスリーステート・トルネードと呼ばれるのは、その名の通りに三つの州に大きな被害を出したことに由来しているのです。

まずミズーリ州では鉄板を80キロメートルは運ぶような被害に見回れ、少なくとも11人が亡くなりました。

そして、最大の被害を出したイリノイ州に侵入した竜巻は、平均速度62mph(100km/h)から、最大時速73mph(117km/h)で移動し、その横幅はなんと、およそ1.6キロメートルに渡り、その範囲に含まれる全てのものを破壊していきました。

竜巻が通過した後、崩れた建物に引火して、その内部に閉じ込められた生存者の多くを、生きたまま燃やすという悲劇も生まれます。

イリノイ州では、推定613人が死亡しました。これは、現在でもなお、アメリカの一つの州で亡くなった竜巻犠牲者の最大数となっているままです。

三つめの州であるインディアナ州ではグリフィン、オーエンズビル、プリンストンなどの町や農村部が徹底的に破壊され、少なくとも71人が死亡し、その後、竜巻はゆっくりと消え去ったのでした。


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↑トライステート・トルネードの進路です。

こんな進路で、三つの州を三時間半かけて横切っていき、多くの被害者を生み出すことになりました。この移動距離も世界記録として認定されています。

さて、このアメリカ史上最大の被害を出した竜巻、スリーステート・トルネードですが、一部の地域では、その風速は、時速300マイルを超えたと推定されています。

風が強い日は、気をつけて

300マイルと言えば、時速480キロメートルですね……新幹線のかつての最高速度が時速320キロメートルですから、その1.5倍もの速さになるわけです。

こんな風なんかに襲われたら、どんな建物も崩壊しそうですね。

実際のところ、急激に逆巻きながら走り抜く風速133メートルの風に耐えられるような建造物は少ないでしょう。

日本にある全ての大型の橋は、風速100メートルまでなら理論上で耐えられるそうです。

しかし、実際は老朽化や人為的なミス、あるいは故意の老朽ヵ所の放置などが幾らでも考えられます。なにせ、わざと見過ごせば金が浮きますからね。

現実の強さが、理論に迫れるのかは分かりません。物理学は完璧でも、人はそうじゃありませんから。

かつて想定もしていなかった驚異的な気象条件にさらされれば、たやすく大型の橋もねじ切られて崩れ去る日もやがて来るでしょう。

台風が強大になりつつある日本でも、台風の日などに橋を渡ることは、可能ならば控えた方が良さそうです。

問題を把握していても、きちんと対策するよりも、被害が起きてから「知らなかった」と言えば企業にも経営者にも責任が無くなってしまう……そんな国が日本ですからね。

知らんフリして、被害が出たら謝った方が、たとえ市民が何人死のうが、日本では安くつくのです。

自分の身は自分で守るようにしないといけません。

実は、アメリカの竜巻では、もっと死んでいるはずなのです……

米国南部のアフリカ系アメリカ人の死亡者数は、じつは1940年代を通じて、場合によっては1950年代まで日常的に数えられていませんでした。

根強い人種差別がそこには存在しています。

アメリカでは、この悲しい現実に抗うために、多くの人権活動家が身を捧げることになるのです。

差別というものの本質は、排除や存在の無視ということですね。

災害の記録にも、人の差別意識というものは露骨なまでに反映されているものです。

死者として数えられることもないという意味は、彼らに援助や政策的な補助を行う公的機会が無いということですから。

人が持つ差別意識というものの、悪意の強さを感じますね。

そして、悲惨な歴史の裏側には、偉大なヒーローたちの義侠心や優しさや怒りの根源に触れられることもあります。

こんな世界は間違っているのだと命がけで訴えて、かつて世界を変えた人たちがいることを知れるのです。

……もちろん、歴史や世の中にある痛ましい現実というものを、直視出することが来ればですが。

嫌いな連中のことを見捨てることに、どれだけの人が反論することが出来るのでしょうかね。

第一位 1989年 ダルティプール-サルトゥリアの竜巻  死者1,300人



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※F4レベルの被害例のサンプルです。直撃すれば、先進国の地上の建物でもあっさりと消滅します。

歴史上最も多くの人名を奪った最悪の竜巻は、バングラデシュで発生しました。

最強最悪の竜巻は、1989年4月26日のバングラデシュのダルティプール-サルトゥリア竜巻であり、この竜巻では約1,300人が死亡したのです。

この竜巻を産み出したものは、バングラデシュを襲った干ばつと春の嵐と、もうひとつの低気圧でした。

乾ききった土地に訪れた、ふたつの低気圧の存在が、バングラデシュ上空の圧力勾配を激しくしてしまいます。

暖かく湿った空気がベンガル湾から北東に流れ、冷たく乾燥した空気がベンガル湾から南に流れました。

その結果、バングラデシュの上空には竜巻を作るスーパーセル雷雨が生まれたのです。

バングラデシュ全国に強烈な雷雨が発生し、1989年4月26日の12時30分、その竜巻が発生します。

竜巻は地上を破壊しながら、おおよそ80キロメートルも進み、150キロ㎡もの範囲に被害を生んだのです。

その風速の推定値は338〜418km/h(210〜260 mph)。

藤田スケールでは、F3.5~F4に分類されると推定がなされています。

十分な破壊力のある竜巻が、川沿いに並ぶ人口密集地帯に襲いかかることになりました。

川に向かった竜巻は、川に当たるとそれに沿うように軌道を変えて、手当たり次第に地上を破壊していきました。

結果として、この竜巻により、1,300人が死亡し、12,000人以上が負傷したのです。

竜巻の道となった6平方キロメートルの範囲内のすべての家が完全に破壊されてしまい、地上にはかろうじて残存する柱が立っているばかりで、他の建築物は影ひとつ無いような状態になっていたと伝わります。

サルトゥリアという町は、この日、地上から完全に消滅してしまったのです。

この竜巻によって、およそ80,000人の方々が家屋を失うことになります。

さらに竜巻を生み出した春の嵐は、二番目の竜巻を発生させ、サルトゥリアから離れた土地であるナルシンディ地区にも襲いかかり、5人の死者、500人の負傷者を出したのです。

バングラデシュの竜巻研究

人口密度が高いことでも知られるバングラデシュですが、竜巻の研究に対しては消極的です。

竜巻の移動速度を記した文献などがほとんどなく、気象条件により同時多発的に発生した竜巻による被害なのか、巨大なひとつの竜巻による被害なのかも分析されていません。

移動の方向を確認しているものも、およそ半数に過ぎませんが、基本的には南東方向に移動しやすい傾向があるようです。

しかし、ジグザグな軌道で動いた竜巻もあれば、最悪の被害を出したサルトゥリアの竜巻においては、最初は東に移動して、次いで北上するという、パターンに外れた動きであったようです。

バングラデシュの竜巻は個性に富んでいる可能性があります。

南西に移動したあとから南東に曲がるという大きな弧を描くものや、わずか25キロメートルを移動するのに2.5時間かかったものなど、記述が残っているものを調べるだけでもバリエーションが確認されます。

研究が進めば、この土地ならではの竜巻の被害や特性が解明されてくるのかもしれませんね。

まとめ

今回は、多くの人命を奪った最強にして最悪の竜巻10個をご紹介いたしました。

竜巻の被害を歴史的に研究しているのは、ほとんどアメリカだけなようです。

年に1000回竜巻が起こる広大なアメリカと、年に6回しか起きない人口密度高すぎなバングラデシュが、ランキング上位を取り合う形になっていますね。

正確な数字を入れると、バングラデシュの被害数が跳ね上がるような気もしますが、この二国での被害の顕著さは今後も続きそうですね。

それはさておき。

観測されていない多くの竜巻も存在しているはずなので、世界のどこかには幻のF6の竜巻なんかがあったとしてもおかしくないかもしれません。

どうにも強さを持った気象現象には、不謹慎ながらも好奇心がくすぐられてしまいます。

ですが、気候変動が起きている昨今、我々も、いつ竜巻の犠牲者になるか分かったものではありませんから、悪天候の際は緊張感を持って行動すべきですね。

致命的的で破滅的な気象イベントには、可能ならば遭遇したくないものです。



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