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IQで見る!世界一の天才ランキングTOP20

古今東西、多くの分野で「天才」と呼ばれる人がいます。

その中でも気になるのが、「誰が世界一の天才なのか」ということでしょう。

もちろん天才、頭のよさというのは誰が見ても納得のできるような客観的な指標が存在するわけではないので、この問いは不毛かもしれません。

今回はその中でもIQを使って、世界一の天才ランキングを作成しました。

IQは120あれば優秀とされる中で、世界一の天才はどれくらい優れているのか見ていきましょう。

 

20位:アルベルト・アインシュタイン(IQ190)

引用元:https://www.goalcast.com/

アルベルト・アインシュタインと言えば「特殊相対性理論」、「一般相対性理論」、「揺動散逸定理」など多くの理論・定理を提唱した、ドイツ生まれの物理学者です。

実験や観測などでなく計算のみでこれらの理論を考えた理論物理学者であり、1921年にはノーベル物理学賞を受賞しています。

天才として知られるアインシュタインですが、子どもの頃は言葉を話すのが遅かった代わりに数学・物理学へ高い関心を示し、9歳でピタゴラスの定理を証明し、12歳でユークリッド幾何学や微分学、積分学を独学で学んでいたと言われています。

アインシュタインが生きていた1900年代には現在のようなIQテストが存在していなかったため、アインシュタインの正確なIQは不明です。

しかしアーカンソー大学で教育学と心理学の助教授を務めるジョナサン・ワイはアインシュタインが「思考実験」と言われる独自の思考法を用いていたことから、空間把握の能力が非常に高く、そのIQは160以上あるのではないかと推定しています。

アインシュタインの思考実験とは複雑で抽象的な物理学の理論を現実世界に落とし込むことで概念化するもので、この思考方法によって多くの定理を考案しています。

現在ではアインシュタインのIQは160から190ほどだと言われています。

 

19位:ガルリ・カスパロフ(IQ194)

引用元:http://ckachat-chess.ru/

ガルリ・カスパロフはアゼルバイジャン出身の元チェス選手です。

10歳でチェス学校に入学し、15歳でチェスの最高位のタイトルである「グランドマスター」を獲得、22歳で世界チャンピオンのアナリー・カルポフを破って世界チャンピオンに輝きます。

以後カスパロフは15年にわたってチャンピオンの座を保持し続けます。

22歳での世界チャンピオン戴冠は後にマグヌス・カールセンに破られるまでの世界記録でした。

ヨーロッパではチェスは理性と知性を用いた遊戯として認知されており、しばしば「人間の知性の極み」と言われます。

そんなチェスで長くチャンピオンであり続けたガスパロフは人類で最も頭のいい人のひとりとして考えられており、ガスパロフの名前は「頭がいい人」の代名詞として使われることもあります。

ガルリ・カスパロフと言えばチェスに詳しくない人でも、「ディープ・ブルーvsガルリ・カスパロフ」は知っているかもしれません。

ディープ・ブルーはIBMとグランドマスターらが「ガルリ・カスパロフに勝つ」ことを目的に開発したチェス用のスーパーコンピュータです。

1秒間に2億手を計算し、ガスパロフの棋譜を元にした評価関数を採用していました。

ディープ・ブルーとガスパロフの最初の対局は3勝1敗2分でガスパロフが勝利、しかし翌年の再戦ではディープ・ブルーが2勝1敗3分と勝利します。

この再戦でディープ・ブルーが勝利した2局のうち、1局はディープ・ブルー側のバグが決め手となるなどの伝説が生まれました。

現在ガルリ・カスパロフはチェスを引退しており、政治家としてロシアの民主化運動に努めています。

 

8位:キュリー夫人(IQ195)

引用元:http://blog.livedoor.jp/

キュリー夫人(マリー・キュリー)はポーランド出身の化学者です。

放射線研究の第一人者であり、「掘っ立て小屋」とも称される粗末な研究施設で鉱物サンプルを研究してポロニウムやラジウムを発見しています。

1903年にはノーベル物理学賞、1911年にはノーベル科学省を受賞しており、「放射能」という言葉もキュリー夫人が考えたと言われています。

ただキュリー夫人は今日では広く恐れられる、放射能の被害には自覚がありませんでした。

キュリー夫人は研究のためにポロニウムやラジウムといった放射性物質のサンプルを裸のまま研究室に置いておいたり、白衣のポケットに入れて持ち運んだりしていたようで、放射線障害によって1934年に再生不良性貧血で亡くなっています。

キュリー夫人が生前に使っていた研究所は放射能汚染の危険が知られるようになったのち、フランス政府の管轄となったうえ1991年に除染されました。

更にキュリー夫人が研究記録などを残していた手帳や研究資料は死後およそ100年経った今でも放射線を放出しているそうです。

 

17位:クリストファー・ランガン(IQ195)

引用元:https://www.lucisphilippines.press/

クリストファー・ランガンは、1999年にアメリカの『20/20』というニュース番組の中で行われたインタビューの中で実施されたIQテストでIQ195から210という結果を出した人物です。

番組に協力した神経心理学者は過去25年で調査した人の中で最高のIQをしていると発言しています。

ランガンは1952年にサンフランシスコで生まれ、幼い頃には継父によって虐待を受けていました。

そこで12歳からウエイトトレーニングを始め、14歳には継父を家から追い出すことに成功しています。

高校時代から数学や物理学、哲学、ラテン語などを独学で勉強し始め、モンタナ州立大学に進学後も学費の問題や、自分のほうが教授よりも頭がいいと考えたなどの理由から大学を中退しました。

中退後は40代半ばまで農夫や森林消防士、カウボーイや警備員などの仕事を転々としながら独学で学問を学び続けていました。

ちょうど取材を受けたのはこの時期だったため、ランガンは「最も頭のいいブルーカラー」と言われることもあります。

その後ランガンはテクノロジー企業へ就職、日中は普通に仕事をし、夜は論文を執筆する生活を始め、認知心理学と物理学の関連性に基づく「Cognitive-Theoretic Model of the Universe(CTMU)」という論文を著しました。

現在、ランガンはミズーリ州で牧場を営んでいるようです。

 

16位:ブレーズ・パスカル(IQ195)

引用元:https://matome.naver.jp/

「人は考える葦である」という名言で知られるブレーズ・パスカルは、早期に卓越した才気を見せた「早熟の天才」です。

フランスで生まれ、病弱であったために幼少から学問、特に数学にふけ、16歳という若さで『円錐曲線試論』を発表しています。

更に「パスカルの定理」、「パスカルの三角形」、「パスカルの原理」など数学、自然科学にまつわる定理を次々と発表しました。

30代に入ると、パスカルは妹が修道院に入ったことを期にジャンセニズムと呼ばれるキリスト教的な思想に触れ、神学や哲学への探求を開始、死後にパスカルのノートをまとめた『パンセ』などが著されました。

ほかにもパスカルは「5ソルの馬車」と呼ばれる乗り合い馬車のシステムを考案、パリで実際に運営しています。

パスカルは1662年に39歳の若さで亡くなりました。

早逝した背景には、学問や発明などへ過度に没頭し過ぎたことがあるとも言われています。

 

15位:矢野祥(IQ200)

引用元:http://blog.livedoor.jp/

矢野祥は日系の父親と韓国系の母親の間に生まれた「ギフテッド」です。

ギフテッド(知的ギフテッド)とは先天的に知的能力や学習能力が平均よりも抜きんでて優れている人を指します。

アメリカの教育省は1993年にギフテッドを「ギフテッドとは、同世代の子供と比較して、並外れた成果を出せる程、突出した才能を持つ子供のことである」と定義しました。

日本語では「天才児」などの訳語が当てられますが、現状では諸外国ほどギフテッドへの理解が進んでいるとは言えません。

矢野祥も例外ではなく、8歳まではギフテッド専門の学校に通いましたが、本人の学習意欲が高かったにも関わらず飛び級が認められなかったためその分を母親がホームスクーリングで補いました。

2000年には若干9歳でアメリカのロヨラ大学へ進学、最優秀賞を得て卒業し、13歳でシカゴ大学の医学大学院へ進みます。

医学者としての将来を嘱望されていましたが、大学院時代の経験から、現在は小児科医として働いています。

矢野祥は勉強以外にも、3歳でショパンの曲をピアノで演奏して4歳でピアノの曲を作るなど音楽にも高い資質を見せています。

また妹の矢野さおりも11歳でアメリカのトルーマン大学へ入学しています。

 

14位:ニコラ・テスラ(IQ200)

引用元:https://www.pinterest.jp/

ニコラ・テスラは19世紀から20世紀にかけて多くの業績を残した発明家です。

テスラの発明品には、空中放電実験で知られる「テスラコイル」、現在の送電方式の基礎となる「交流電気方式」、ほかにも「蛍光灯」や「無線操縦」など、現在の私たちの生活になくてはならないものが数多くあります。

磁束密度の単位「テスラ」や母国セルビアの100ディナール紙幣の肖像に今も名前や姿が残っています。

二コラ・テスラは発明家のほかにもエピソードは豊富です。

8か国語に通じ、詩作や音楽、哲学にも通じていた、長身で容姿も端正で異性に人気があったにも関わらず、本人の潔癖症のせいで生涯独身を貫いていた、「地球を割って見せる」、「宇宙人と交信している」などの奇抜な発言があったとも言われます。

晩年には世界中に送電をする「世界システム」や霊界通信システムなどの開発など、オカルトに傾倒していたと言われ、最期は借金苦の末、安ホテルの一室で孤独死をしていたそうです。

 

13位:ネイサン・レオポルド(IQ201)

引用元:https://www.scribd.com/

ミステリー小説やサスペンスドラマなどでは、手の込んだトリックを用いることで絶対に犯人の露見しない「完全犯罪」がしばしば登場します。

これを本当にやろうとしたのがネイサン・レオポルドとリチャード・ローブです。

2人は共に高い知能指数を有し、ローブの遠縁にあたる16歳のボビー・フランクスを誘拐し、殺害しました。

レオポルドはニーチェの超人思想にかぶれ、ローブは完全犯罪に憧れており、2人のニーズが合致した形です。

当初、2人は身代金目的の誘拐を装い、フランクス家に1万ドルの身代金を請求しました。

しかしトニー・ミンキという男がボビー・フランクスの遺体を見つけることで警察もただの誘拐事件ではないと知り、捜査を進めることで2人の犯罪が露見します。

逮捕されたネイサン・レオポルドとリチャード・ローブは互いに責任をなすりつけ合ったそうですが、最後は2人とも罪を認めましたそうです。

のちにこの2人はリチャード・フライシャー監督の『Compulsion』やアルフレッド・ヒッチコック監督の『ロープ』など、多くの創作の題材となりました。

 

12位:ゴットフリート・ライプニッツ(IQ205)

引用元:https://slate.com/

ゴットフリート・ライプニッツはドイツのライプツィヒ出身の哲学者で、ルネ・デカルトやバールーフ・デ・スピノザなどと並ぶ、近世の大陸合理主義を代表する哲学者のひとりです。

魂を捉えるために「モナド(単子)」というものを考えましたが、ライプニッツの業績の多くは生前は認められませんでした。

またライプニッツは数学者としても多くの業績があり、アイザック・ニュートンと共に微積分法と、それを表現するための「ライプニッツの記法」を発明します。

微積分法は現在もコンピュータなど多くの分野で用いられていますが、ニュートンではなく、ライプニッツの記法が元になっています。

ほかにも数学の分野では二進法の研究や、幾何学の記号を用いた機械的な証明なども研究し、後世に活かされています。

 

11位:レオナルド・ダ・ヴィンチ(IQ205)

引用元:https://www.biography.com/

レオナルド・ダ・ヴィンチはルネサンス期を代表する芸術家です。

『モナ・リザ』や『最後の晩餐』などの絵画や彫刻作品などのほか、自然科学などの分野にも精通しており、13000ページにもおよぶ手稿を残しています。

手稿には人体の精緻なドローイングである『ウィトルウィウス的人体図』や『アランデル手稿』、『レスター手稿』など、自然科学や解剖学、工学に関するものが多く、『鳥の飛翔に関する手稿』では現在のハングライダーやヘリコプターのようなものが描かれていました。

この広範囲における才気は後世の評価も非常に高く、16世紀に建築家のジョルジョ・ヴァザーリの著した『画家・彫刻家・建築家列伝』では「素晴らしい肉体的な美しさを兼ね備えるこの芸術家は、言動のすべてが無限の優雅さに満ち、その洗練された才気はあらゆる問題を難なく解決してしまう輝かしいものだった」と称されています。

現在でも多くの人が、ダ・ヴィンチの絵画などを見に美術館を訪れています。

 

10位:エマヌエル・スヴェーデンボリ(IQ210)

引用元:https://www.missedinhistory.com/

エマヌエル・スヴェーデンボリ(スヱデンボルグ、スウェーデンボルグとも)は、スウェーデン出身の神学者、科学者です。

ウプサラ大学で学んだ後にイギリス、オランダ、フランス、ドイツを遊学し、物理学や力学、哲学などを学びました。

28歳でスウェーデンの王立鉱山局の監督官になった後、優れた学者として多くの分野で業績を残しており、解剖学に関する書籍を著したり、飛行機械に関するスケッチなども描いています。

しかし1744年、オランダを旅していたとき、スヴェーデンボリはイエス・キリストやキリスト教にまつわる奇妙な夢を見始め、翌1745年には起きながらにして霊的な体験をしました。

スヴェーデンボリはそのときの体験について記録しており、パウロやダビデが地獄に落ちている、イエスの母マリアがイエスを礼拝している、などの内容でした。

この奇妙な体験以後、スヴェーデンボリは神学者として多くの著書を書き、独自の神学論を展開、後にドストエフスキー、バルザックなど多くの著述家、作家に多くの影響を与えています。

特にヘレン・ケラーは「私にとってスヴェーデンボリの神学教義がない人生など考えられない。もしそれが可能であるとすれば、心臓がなくても生きていられる人間の肉体を想像する事ができよう」と発言するなど、大きく感化されています。

 

9位:キム・ウンヨン(IQ210)

引用元:https://www.pinterest.jp/

1967年、第1回放送を迎えた「万国びっくりショー」というテレビ番組に、韓国から天才少年が出演しました。

名前はキム・ウンヨン(金雄鎔、김웅용)、当時4歳です。

物理学の教授と医学の教授との間に生まれ、1歳で『千字文』を読んでハングルと1000字以上の漢字を勉強、3歳で微積分の問題を解く、5歳までに韓国語のほかに英語、日本語、フランス語、ドイツ語の4か国語を話せるなど、天才ぶりを如何なく発揮していました。

テレビ出演した天才少年のキムは複雑な微積分の問題を解き、日本で大きな話題となりました。

このときに受けたIQテストで、IQ210を記録しています。

キムは8歳でコロラド大学へ進学し、12歳でNASAで働き始め、韓国に帰国後は大学の教授をしています。

キムはIQが高すぎるが故に普通の人生を過ごせなかったことを後悔している、と自分の著書で発言しています。

 

8位:ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(IQ210)

引用元:https://www.ncanet.co.jp/

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテはドイツを代表する文豪です。

小説『若きウェルテルの悩み』、詩劇『ファウスト』、叙事詩『ヘルマンとドロテーア』などの作品で知られています。

ほかにも『植物変態論』や『色彩論』哲学などの分野でも著作を残しています。

ゲーテはドイツのフランクフルトに生まれ、少年時代には英語やフランス語、イタリア語、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語などの言語に精通しました。

今日では文学作品の評価などがよく聞かれますが、自然科学の分野でもゲーテは多くの業績を残しており、『植物変態論』では後に進化論の先駆けとなる「原植物」という考えを生み出しています。

ほかにも針鉄鉱の英語名は、ゲーテと親交のあった鉱物学者によって「ゲータイト」と名付けられました。

 

7位:クリス・ヒラタ(IQ225)

引用元:https://physics.osu.edu/

クリス・ヒラタはオハイオ州立大学で天文学と物理学の教授と宇宙物理学センターのセンター長を務める天文物理学者です。

13歳のときに国際物理オリンピックの金メダルを史上最年少で獲得し、14歳でカリフォルニア工科大学に入学、16歳からはNASAで仕事を始め、火星への入植についても研究していました。

2006年からはカリフォルニア工科大学の助教授を務め、2013年からオハイオ州立大学で現在の仕事をしています。

クリス・ヒラタは2014年に、多大な貢献をした36歳以下の天文学者に与えられる「ヘレン・B・ワーナー天文学賞」、2017年には物理学の基礎研究に多大な貢献をした物理学者に与えられる「Breakthrough Prize in Fundamental Physics」を受けました。

 

6位:テレンス・タオ(IQ225)

引用元:https://www.quantamagazine.org/

テレンス・タオ(陶哲軒)は史上最年少の24歳でカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の教授となった数学者です。

香港から移民した両親の間に生まれた、中国系オーストラリア人です。

なんと2歳で基本的な算数を理解していたと言われ、9歳でオーストラリアのフリンダース大学へ進学します。

そして史上最年少となる、12歳で国際数学オリンピックの金メダルを獲得しました。

テレンス・タオは若くして多くの業績を残しており、29歳のときにはベン・グリーンとの共同研究で整数論の難問を解決し、この業績で若い数学者の業績を称えるフィールズ賞を受賞しています。

ほかにも専門の整数論や微分方程式など、数学者としては珍しく、幅広い分野で現在も活躍しています。

2012年にはアメリカの教育情報サイトである「SuperScholar.org」は世界で最も頭のいい10人のひとりとしてテレンス・タオを選出しており、大きな評判を呼んだこともありました。

 

5位:マリリン・ボス・サバント(IQ228)

引用元:https://allthatsinteresting.com/

マリリン・ボス・サバントは「世界一IQの高い人物」としてギネスブックに掲載された人物です。

その際のIQは228でした。

マリリンはアメリカのミズーリ州セントルイスに生まれ、ワシントン大学で哲学を学びましたが途中で退学しています。

コラムニストとして、1986年から『パレード』という雑誌に「マリリンに聞け」というコラムを掲載し、読者から投稿された様々な疑問に答えています。

この疑問は極めて多岐にわたり、人生相談や教育、政治問題などから哲学的な問題、論理パズルや数学などの問題まで様々です。

中でも数学の超難問として知られる「モンティ・ホール問題」についての質問が来た際には、マリリンが定説や直感に反する回答をしたために数学界が猛抗議をしたこともあります。

ですがコンピュータなどで再検証をした結果、マリリンの示した見解のほうが正しかったと判明しました。

ところで、現在ではギネスブックに「世界一IQの高い人物」という項目は存在しません。

理由としてはそもそもIQを調べて最高の人物を知ることそのものの必要性や意義が薄い点、IQは測定方法によって大きな差が生じることなどが挙げられます。

実際にマリリンのIQも測定方法によって180から230の間で大きくばらけてしまっていました。

マリリン・ボス・サバントは、世界で最後に「世界一IQの高い人物」としてギネスブックに載った人物ということになります。

 

4位:エヴァリスト・ガロア(IQ250)

引用元:https://www.businessinsider.fr/

高等数学において、方程式の性質を「群」という対象を調べることで解き明かすという概念、考え方を「ガロア理論」と言います。

この理論を考えたのがフランスの数学者であるエヴァリスト・ガロアです。

ガロアは10代のころには既にガロア理論を語るうえでは欠かせない体論や群論に関する研究を行っていました。

しかしガロアの生涯はむしろ、革命家としてのもののほうがよく知られているかもしれません。

師範学校時代にオーギュスト・シュヴァリエという共和主義者と出会って以来、ガロアは共和主義に傾倒します。

そして1832年に決闘によって腹部に傷を負い、それが元となった腹膜炎で生涯を終えます。

ガロア理論やガロアの業績として知られているのは、ガロアが決闘の前日にカール・フリードリヒ・ガウスやカール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビらに宛てた手紙や死後にガロアの論文を再評価したものが元になっています。

ガロアの生涯はわずか20年ほどの短いものでしたが、ガロアの提唱した理論は現代の相対性理論や量子力学などにも使われるなど、現代数学の発展には欠かすことができません。

ガロアは現代数学の父とも言うべき存在です。

 

3位:ウィリアム・ジェイムズ・サイディズ(IQ250以上)

引用元:https://www.yorkfeed.com/

ウィリアム・ジェイムズ・サイディズは神童としての栄光と悲哀を象徴したような人物です。

ウクライナ系移民とロシア系のユダヤ系の移民の間の子どもとしてニューヨークに生まれます。

ウィリアムの両親はウィリアムに対して早期から英才教育を行い、高い知識欲を持つように育てました。

その結果、ウィリアムはわずか生後18か月で『ニューヨークタイムズ』を読む、6歳でアリストテレスの論理学をマスターし、ロシア語、フランス語、ドイツ語、ヘブライ語に加えてトルコ語やアルメニア語を習得する、8歳で「ヴェンダーグッド語」という独自の言語を開発するなど多くのエピソードが記録されました。

8歳のときに両親はハーバード大学へ願書を出しましたが「精神的に未熟である」という理由で入学拒否され、11歳のときにようやく入学します。

ウィリアムは16歳でハーバード大学を卒業し、テキサス州のライス大学の数学教授となりますがわずか1年で退職、その後は社会主義に傾倒して反徴兵パレードに参加して逮捕され、学問の世界からは離れて細々と生活をしました。

晩年は偽名を使って生活をするなど、その生涯については謎が多いです。

 

2位:アイナン・コーリー(IQ263)


引用元:https://js.onacloud.ru/

アイナン・コーリーは1999年にシンガポールに生まれ、知能検査の結果IQが250以上、263から349の間もあるという、おそらく現在の世界で最も頭のいい人物です。

円周率を518桁まで暗唱することができ、6歳でシンガポールのブキティマ小学校で科学の授業を行っています。

7歳でイギリスの全国統一試験(General Certificate of Secondary Education, GCSE)に合格して義務教育を修了し、シンガポール工科大学へ進学しています。

7歳というのは、GCSIの歴代最年少合格記録です。

11歳のときにはホームスクーリングを拒否し、家族と共にマレーシアへ移住し、テイラー大学へ進んでいます。

学問のほかにもアイナン・コーリーは映画監督としても才覚を見せ、わずか12歳でビリニュス国際映画祭へ作品を出しています。

また作曲活動もするなど、その才覚は多岐に渡っています。

 

1位:ジョン・フォン・ノイマン(IQ300)

引用元:https://www.britannica.com/

ジョン・フォン・ノイマンは20世紀の科学世界において最も大きな影響を与えた人物です。

数学者としては「数学基礎論」や「集合論」、「速度論」、「ゲーム理論」、「第二不完全性定理」、「モンテカルロ法」など多くの理論を考案、物理学でも量子力学を完成させます。

ほかにも気象予測にコンピュータを導入し、現在主流となっている数値予報のシステムを確立するほか、地球温暖化も予測、経済学の分野でも「フォン・ノイマン多部門成長モデル」によって経済成長理論に貢献、更には現在のコンピュータの基礎となる「ノイマン型コンピュータ」の開発もしました。

更にはアメリカの立案したブラウン計画に参加して核兵器の開発に携わっています。

業績を並べるだけでも多くの分野で多彩に活動をしており、同時期の物理学者であるアルベルト・アインシュタインなども「自分たちの中で一番の天才はノイマンだ」と発言しているほか、ノイマンは「悪魔の頭脳」、「火星人」などと言われることもあります。

幼少期からジョン・フォン・ノイマンのエピソードは事欠かず、電話帳を適当に開き、載っている数字の総和を求めて遊んでいた、にも関わらず興味のないものにはまったく関心を抱かず、ずっと住んでいた家の食器の配列を覚えられないなどの逸話があります。

またノイマンは政治的にはタカ派として知られ、ブラウン計画に参加した際には核攻撃を行う対象都市を決める会議で京都への核攻撃を提案し、「日本人の象徴だからこそ京都を核攻撃するべきだ」と主張しています。

これらのエピソードから、スタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』のストレンジラブ博士のモデルになったと言われています。

ノイマンの業績は今日の私たちの生活を考えると極めて偉大なもので、1999年、アメリカのLIFE誌は「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」のひとりとして、ジョン・フォン・ノイマンを選びました。

 

まとめ

今回は世界一の天才を紹介しました。

天才の多くは幼少期からその天才性を示すエピソードに事欠かず、私たちからすれば想像も及ばないようなことを多くも成し遂げています。

ただ天才が天才のまま人生を全うできるとは限らないのがこの世界です。

大人になった後も学者として歴史に残るような業績をあげている人もいれば、自身の天才性を活かすことができなかったり、反対に自身の天才性によってまともな人生が送れないようなケースもあります。

私たちには私たちなりの苦悩があるように、一見光り輝いて見えるような天才の人生にも天才なりの苦労があるのかもしれません。

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