その他雑学

史上最大の爆発10選(爆弾、事故、噴火、隕石ほか)

私たちの普段の生活の中で、「爆発」という現象に遭遇する機会はほぼないといっていいのではないでしょうか。

爆発とは、熱・光・炎を伴う破壊現象のことをいい、化学反応や可燃物、核反応など原因はさまざまです。

特別な仕事に就いている人を除けば、爆発に遭遇するということは災害や事故、事件に遭うということであり、できれば一生関わりたくない現象でしょう。

ここでは、そうした爆発の中から、特に史上最大と呼べるものを紹介していきます。

自然現象から人為的に起こされたものまで、いろいろな爆発がありますが、どれも私たちの常識の範囲から掛け離れた、驚くようなものばかりです。

史上最大の核爆発 ツァーリ・ボンバ

引用:http://blog.livedoor.jp

突然ですが、核ミサイルと核爆弾はどちらのほうが強力だと思いますか。

核爆弾は爆撃機に搭載し、目標の上空で投下されるもので、目的地にたどり着く前に撃墜されてしまう危険性がある一方、核ミサイルは10000㎞を越える射程をもち、目標まで30分ほどで到達する上、迎撃もほとんど不可能とされます。

ですが、核ミサイルは核弾頭をミサイルに搭載できる重量にしなければならないため、必然的に核爆弾に比べて威力が小さくなるという欠点があります。

核爆弾の場合は搭載できる爆撃機があれば、核ミサイルも巨大なものが作れるため、一般的には核爆弾のほうが威力の大きくすることができます。

では、核爆弾はいったいどれほどまで強力なものを作ることができるのでしょうか。

これまでの人類史上、最も強力な核兵器として知られるのが、旧ソ連が開発したツァーリ・ボンバです。

核爆弾の皇帝

引用:https://www.kramola.info

ツァーリ・ボンバ(核爆弾の皇帝)は、正式名称をAn602といい、ツァーリ・ボンバの名称はかつてロシアで作られた史上最大の榴弾砲ツァーリ・プーシュカ(大砲の皇帝)にならってつけられました。

ツァーリ・ボンバは、全長8m、直径2m、重量27tで広島型原爆リトルボーイの5倍を誇ります。

核融合反応を利用した水素爆弾で、TNT5700万tとリトルボーイの約3300倍という途方もない威力をもっていました。

1961年10月30日、北極海に浮かぶノヴァヤゼムリャ島で、先住民を強制避難させた上で、ツァーリ・ボンバの爆発実験が行われました。

ツァーリ・ボンバを搭載できるよう特別な改造を施したツポレフTu-95戦略爆撃機が使用されましたが、特別機であってもその巨大な爆弾のすべてを載せることはできず、一部は胴体下にはみ出すこととなりました。

投下機が安全圏に避難できる時間を与えるため、ツァーリ・ボンバには重量800kgもの多段階減速パラシュートが取り付けられました。

午前11時32分、高度10500mから投下されたツァーリ・ボンバは、直径8㎞にも及ぶ巨大な火球となり、エベレストの7倍という高さ60メートルに及ぶ巨大なキノコ雲を生じさせ、爆発は2000m離れた場所からも観測でき、衝撃波は地球を3周したといいます。

爆風による人員殺傷範囲は23㎞、致命的な火傷を負う熱線の効果範囲は58㎞に及びました。

爆心地から100㎞近く離れた街でもすべての建物が破壊され、900㎞離れたところでさえ窓ガラスの割れる被害が出ました。

270㎞離れたところからこの爆発を目撃した人でさえ、熱波を強く感じたといいます。

さらに、この時のツァーリ・ボンバは実験用に威力を半減させていました。

それなのに、これだけの爆発を起こしたのですからまさに皇帝の名にふさわしい驚異の核爆弾だったといえます。

史上最大の火山爆発 タンボラ山の噴火

引用:https://www.nytimes.com

タンボラ山はインドネシア中南部のスンバワ島にある火山で、標高2851mで、島の北に突き出るサンガル半島の大部分を占めています。

ここで、史上最大の火山噴火が起きたのは、1815年4月5日のことで、TNT8億tという驚異的なエネルギーの爆発です。

火山活動は1812年から始まっており、爆発により山頂には深さ5㎞、幅1㎞に及ぶ巨大な火口が生まれ、3900mあった山頂が現在の2851mまで減少したのもこの時です。

噴火の轟音は2600㎞離れたスマトラ島でも聞こえたといい、500㎞離れたマドゥラ島では火山灰によって3日間の暗闇が続きました。

約1400㎞離れた場所で噴火の轟音を聞いたイギリス当局が、敵からの砲撃と勘違いして軍隊を送ったという話も残されています。

この噴火での噴出物の総量は150㎦といわれ、半径1000㎞の範囲に火山灰を降らせて地球レベルでの気性に影響を及ぼしました。

流れ出たマグマはふもとの町に流れて1万人近くの死者を出し、火山灰は数か月に渡って空気中を舞って世界に広がり、北アメリカで6月に雪を降らせるなどの異常気象が発生しました。

イギリスやスカンディナビアでは5月~10月にかけて長雨が続いて不作や食料不足を引き起こし、特にスイスでは深刻な飢饉となりました。

異常気象は翌年まで続き、1816年は「夏のない年」と呼ばれています。

穀物の不作や食糧難、それに続いた伝染病などによって全世界で60000~110000人もの人々が死亡したといわれます。

史上最大の通常爆弾による爆発 FOAB(全ての爆弾の父)

引用:https://www.businessinsider.com.au

核爆発の世界記録はロシアによるものでしたが、通常爆弾による最大の爆発も、やはりロシアによって引き起こされたものでした。

FOAB(全ての爆弾の父)と呼ばれる大出力ドロップ燃料気化爆弾で、2007年に開発されたもので、核兵器を除けば地球上でもっとも威力の高い兵器といわれています。

FOABはTNT火薬44tの威力があり、普通の爆弾とは違い、液体の燃料を一時爆薬で過熱・沸騰させて気体にし、空中に広がった上記に近接信管により着火し、超音速衝撃波や熱線で周囲を破壊するというものです。

TNTをはじめとする爆弾が破片など物理的な効果によって目標を破壊するのに対し、FOABは衝撃波そのものによって破壊を引き起こします。

人体が強烈な衝撃波を受けると急激な気圧変動によって、鼓膜が破れたり眼球や内臓の破裂が起きるとされます。

ロシアによると、小型の核兵器は将来的にFOABのような兵器に置き換わるといわれています。

「爆弾の父」と「爆弾の母」

引用:https://www.irishmirror.ie

FOABは2003年に、アメリカで開発されたMOAB(全ての爆弾の母)に対抗して作られたものです。

MOABはアメリカのもつ通常兵器の中で最大ものですが、FOABはその4倍の威力をもっているといいます。

しかし、専門家らによると、FOABは形状からして通常の爆撃機で投下できるものではなく、大型の輸送機から滑り落とすくらいの方法しかなく、敵の防空網の前では使い物にならないとして、ロシアによるプロパガンダの誇大広告だと指摘されています。

ですが、ロシアによって公開されている情報は2007年のものであり、現在でもFOABが当時のまま改良されずにあるかは不明で、いずれにしても実態については謎の部分が多い兵器です。

世界最大の隕石爆発 ツングースカ大爆発

引用:http://ufojikenbo.blogspot.com

ツングースカ大爆発は、1908年6月30日当時のロシア帝国シベリアのポドカメンナヤ・ツングースカ川で発生した史上最大の隕石爆発です。

広島型原爆の何倍もの威力の爆発が起こり、強烈な空気振動が引き起こされ、爆心地から東京都に匹敵する2100k㎡の範囲にわたり約8000本もの木がなぎ倒され、熱風が幹を焼いて半径30~50kmで森林火災が発生しました。

数少ない目撃者によると、空に青白く強い光の柱が見えた数分後、辺りが閃光に包まれ、大砲のような轟音が響き渡ったといいます。

遠く1500km離れたイルクーツクでも衝撃による地震が観測され、数百km先からもキノコ雲が確認できました。

爆発から数日間、アジアやヨーロッパでも夜空が明るく輝き、ロンドンでは夜に灯りなしでも新聞が読めたといいます。

隕石か、彗星か、核爆発か……爆発原因の謎

引用:https://ja.wikipedia.org

当時のロシアは日露戦争の敗戦から間もなく、第一次大戦やそれに続くロシア革命が起こる数年前という非常に不安定な社会情勢にあり、この地域の人口密度が低かったこともあってか、初めて爆発の調査が行われたのはなんと13年後、ソ連成立後の1921年でした。

地元住民は天から舞い降りた神オグディがすべてを焼き払ったと信じていましたが、調査に当たった地質学者レオニード・クーリックは、爆発の原因は巨大隕石の衝突によるものであるという結論を出しました。

しかし、現地調査の結果、奇妙なことに、クーリックはなにかがぶつかったような巨大なクレーターを発見することはできませんでした。

代わりに、森の中に横64㎞、縦48㎞にわたる蝶のような形の「ツングースカ・バタフライ」と呼ばれる破壊跡を発見します。

さらに、隕石であれば痕跡として残るはずの鉱物なども見つけることができませんでした。

1930年、イギリスの天文学者フランク・ホイップはこの調査結果をもとに、衝突したのは隕石ではなく彗星だったという説を唱えました。

氷の塊である彗星ならば、爆発後に蒸発してしまうため、痕跡が残ることはありません。

1980年代にはこの説をもとにして、大気圏に突入した彗星によって核融合反応が引き起こされたという説も登場します。

ほかにも、地中に溜まっていた天然ガスが流出してそれが何らかの原因で引火爆発したとするものや、ブラックホールが地球を通過したためだというものから、UFOが墜落したという説や秘密兵器の研究だったという説など、科学からオカルトまで様々な主張が飛び交いました。

やはり原因は隕石

引用:https://allthatsinteresting.com

現在でも、厳密にいえば爆発の原因としてはっきりと断言できるものはありませんが、状況証拠などからツングースカ大爆発はおそらく隕石爆発によるものだろうと結論づけられています。

2013年、ウクライナ・ドイツ・アメリカなどの研究者グループの調査により、当時の泥炭地層から隕石由来とみられる鉱物を採取しました。

これは、ロンズデーライト・ダイヤモンド・黒墨などの混合物で、ロンズデーライトの結晶中からはトロイリ鉱・テーナイトも発見されました。

ロンズデーライト・トロイリ鉱・テーナイトは地球上にほとんど存在しない物質であり、隕石によってもたらされたと考えられます。

現在推測されているツングースカ大爆発の原因としては、数十~100mサイズの隕石が秒速15~30㎞の速度で大気圏に突入し、この隕石がもともともろい素材でできていたため、地表8~10㎞のところで爆発し消滅したとみられています。

爆発の威力はTNT500万tほどで、周囲一帯に巨大な衝撃波を引き起こしました。隕石の破片は粉々になってほとんどが空中で気化してしまったため、痕跡を見つけだすのは非常に難しくなってしまいました。

通常の隕石は地表から数㎞のところでバラバラになり、地上に到達するまでに冷やされるため、クレーターを作り出しますが、ツングースカの隕石ではそれも起こりませんでした。

ツングースカサイズの隕石は1000年に一度のものだと考えられていましたが、2013年ロシなおチェリャビンスクに直径約20㎞の隕石が落下する事件が起きたため、100年から200年に一度は起こりうるものだということが明らかになりました。

史上最大の火薬爆発 ハリファックス大爆発

引用:https://ja.wikipedia.org

ハリファックス大爆発とは、1917年12月6日にカナダのハリファックス港で発生した大規模な爆発事故で、火薬によるものとしては最大級といわれる爆発です。

当時は第一次世界大戦の真っ只中で、アメリカ大陸からヨーロッパにかけて軍需物資の輸送のため多数の船が行き来していました。

自然の良港で不凍港でもあるハリファックスは、南北に形成された細長い入り江で、北アメリカからイギリス・フランスへの最短距離でした。

そのため、北アメリカ中から輸送船が集結し、ドイツのUボートに備えてハリファックスで船団を組み、ヨーロッパへ向かうことになっていました。

ハリファックスの港は外洋船からフェリー、艀と大小さまざまな船が乱れあい、常に混雑状態で、あまりの船の多さに港の管理も行き届かず、船舶同士の小規模な衝突事故が頻繁に起こっていました。

火薬運搬船の衝突事故

引用:https://ja.wikipedia.org

ハリファックス大爆発の原因となったのは、ノルウェー船籍の貨物船イモと、フランス船籍の輸送船モンブランの衝突事故です。

イモは石炭を積んで前日に出港する予定でしたが、港が混雑していたため、翌日に見合わせていました。

一方のモンブランは前夜に到着したため入港できず、防潜網の外側で待機していました。

モンブランはニューヨークで火薬などの危険物を大量に積み込んでおり、その量はTNTをはじめとしてピクリン酸や綿花薬(ニトロセルロース)など3000t以上でした。

事故当日、イモは港の北の泊地から南下し、モンブランは防潜網が開くと同時に北上を始めました。

通常、水上交通では、右側通行が国際ルールです。

しかし、ハリファックスでは南から入港する船が埠頭に近い左側を通ることが多く、南下する船もそれに合わせて左側通行をするというローカルルールがありました。

それを知っていたイモの船長は左側を通行していましたが、モンブランのほうは通常通り右側を航行していました。

朝もやの中、2隻の船は互いの接近に気づいたときにはすでに回避不能となっていました。

モンブランではデッキに積んであったドラム缶が引火し、それが船倉の火薬に燃え移りました。

船の積み荷が爆発物であることを知っていた船員たちは、消火活動を早々に諦めて脱出し、ハリファックス対岸のダートマスに避難して、周囲の人々に逃げるよう叫びましたが、フランス語であったためほとんどの人には理解できませんでした。

モンブランがドイツ潜水艦の攻撃目標になることを避けるため、火災積載を示す国際信号旗を揚げていなかったことも事態を悪化させました。

大爆発

引用:http://www.svpproductions.com

衝突から25分後の9時4分35秒、集まっていた消防や救助隊、見物人や周囲の船などを巻き込んでモンブランは大爆発を起こしました。

凄まじい爆発によって、爆心地から2㎞四方が破壊され、上空7000メートルまで黒煙が上がり、その様子は遠くからでも見ることができたといいます。

粉々になったモンブランの船体は四散し、大砲が街を越えた4㎞先、0.5tの錨の破片が5㎞逆方向に飛ばされるほどでした。

爆発により約1500人が死亡し、その日から翌日にかけて到来した寒波と大雪のために凍死した人や生き埋めになって死亡した人が約400人、約200人が失明者になりました。

対岸のダートマスでも100人ほどの死者が出ています。

さらに多数の火災が発生し、爆発の影響で起きた高さ18mにもおよぶ津波により約13000の建物が壊され、6000人の市民が家を失いました。

港の周辺に発電所や駅、電話局に郵便局といった重要施設が集中していたハリファックスでは、一時的に都市の中枢機能が失われ、外部との連絡も途絶えました。

モンブランの船員たちは後に査問にかけられましたが、殺人罪には証拠不十分として釈放されています。

史上最大の炭塵爆発 本渓湖炭鉱爆発事件

引用:http://shisly.cocolog-nifty.com

炭塵爆発とは、粉塵爆発の一種で石炭を原因とするもののことです。

粉塵爆発とは、粉体爆発ともいい、可燃性の物質が微粒子となって空気中に飛散している状態で、火花などによって点火し、激しい爆発を引き起こす現象を指します。

炭塵とは、炭坑において採掘や石炭の運搬の際に発生する粉塵のことで、これが空気中に1~100μほどの炭塵が浮遊した状態で、一定以上の濃度になると電気火花や発破などによって簡単に着火し、爆発を起こすようになります。

炭塵爆発の場合は、爆発に加え、それに伴って一酸化炭素を主成分とする猛毒ガスが発生し、被害を拡大させます。

本渓湖炭鉱

引用:http://infoseek_rip.g.ribbon.to

本渓湖(ほんけいこ)炭鉱とは、かつて日本が進出していた満州にあった炭鉱で、日露戦争中から採掘が開始されました。

現在でもホテルオークラなどで有名な、当時の大倉財閥の投資により、1911年に日中合弁の本渓湖煤鉄公司(ほんけいこばいてつこんす)が設立されます。

本渓湖炭鉱は、40~50万t級の産出量を持ち、良質な鉄鉱石、原料炭、石灰石などが豊富に採れ、精密機械や大口径砲に使われる特殊鋼の原料である低燐銑(ていりんせん)を生産し、大倉財閥の大陸投資の中で唯一安定して利益を上げました。

本渓湖炭鉱は1945年にポツダム宣言により閉鎖されるまで、日本の重工業と軍需産業を支えました。

本渓湖炭鉱で爆発が起こったのは太平洋戦争中の1942年4月26日のこと。

鉱山内に滞留していた可燃性ガスと石炭の炭塵により激しい爆発が起き、当時、炭鉱にいた労働者の34%にあたる1549人が死亡し、史上最も多くの犠牲者を出した炭鉱事故とされます。

後にソ連によって行われた調査によると、爆発自体による死者よりも、直後に換気装置が閉じられたことによる有毒ガスの中毒者のほうが死亡の主原因になっていたとされます。

爆薬による史上最大の爆発 マイナースケール

引用:https://www.reddit.com

先ほど、火薬による最大の爆発を取り上げたので、「爆薬と火薬って同じものじゃないの?」と思われるかもしれません。

火薬も爆薬も爆発を引き起こすものという点では同じですが、厳密には少し違っていて、衝撃波が起きるかどうかで区別されます。

火薬の爆発は、花火の爆発と同じで、衝撃波を伴わず、爆炎と呼ばれます。

爆薬の爆発は、爆轟(ばくごう)と呼ばれ、衝撃波によって周囲に破壊をもたらします。

火薬には黒色火薬や無煙火薬、TNTとして知られるトリニトロトルエンなどがあり、爆薬には、ニトログリセンリンを主剤とするダイナマイトやアジ化鉛、DDNP(ジアゾジニトロフェノール)などがあります。

核爆発のシミュレーション

引用:https://ja.wikipedia.org

マイナースケールとは、アメリカ国防脅威削減局(DTRA:Defence Threat Reduction Agency)が1985年6月27日に行った、小型の核爆弾の爆発をシミュレートするための爆発実験です。

この実験は、核爆発が軍の装備品にどのような影響を及ぼすのかを調査するために行われ、爆心地のすぐ前にF-4ファントム戦闘機が置かれているのもそのためです。

特に、ミゼットマン弾道ミサイル用の新しい爆風発射装置に対する爆風の影響を調べることが目的でした。

マイナースケールには、数千tの通常爆薬が使われ、用いられたのはANFO(アンホ)爆薬と呼ばれるものです。

ANFO爆薬は210℃以上で爆発する硝酸アンモニウムと燃焼油から作られ、ダイナマイトよりも安価であるため、ダイナマイトの3倍のシェアを誇りますが、過去には大規模な爆発事故も引き起こしています。

マイナースケールではこのANFO爆薬4744tが使用され、TNT火薬4200tに相当する爆発が起き、「自由世界史上最大の計画的常用爆発」と報告されました。

当時、発表された資料に載せられていたQ&Aには、「将来のテストがマイナースケールより大きくなることはありません」、また、「メジャースケールと呼ばれる実験の計画はありません」と書かれていました。

地球史上最大の爆発 白亜紀の大爆発(K-Pg境界)

引用:http://zapzapjp.com

K-Pg境界とは、約6600万年前の中生代白亜紀と新生代古第三紀の境目に相当する地質年代区分のことで、この時期に地球上では恐竜などの大型爬虫類やアンモナイトをはじめとして、種のレベルで75%、個体数で99%以上が死滅するという大量絶滅が起きました。

中生代は海においても陸においても巨大爬虫類の天下でした。

恐竜をはじめ、空には翼竜、海にはモササウルスや首長竜、古生代から存在するアンモナイトなど、今では化石でしか存在を知ることのできない生物たちが黄金時代を築いていたのです。

超巨大隕石の激突

引用:https://netlifehack.com

彼らの栄華を終わらせたのは、巨大隕石の落下といわれています。

チクシュルーブ衝突体と呼ばれる直径10㎞という大きさの隕石が、秒速20㎞の速さでメキシコのユカタン半島付近に落下し、直径160㎞という巨大なチクシュルーブ・クレーターという衝突跡を残しました。

衝突のエネルギーはTNT96兆tというすさまじいもので、マグニチュード13の地震を起こし、周囲では高さ300mの大津波が発生しました。

舞い上がった大量のススやチリはその後数年~数十年に渡って地球を覆って暗黒時代が到来し、光合成のできなくなった多くの植物を枯らし、北アメリカでは植物種の79%が絶滅しました。

植物が大量に絶滅したことで、植物を餌にしていた小動物も絶滅していき、小動物を捕食していた恐竜たちも絶滅の道を辿ります。

その他にも大量のプランクトンや淡水サメ類、原生鳥類など多くの生物にも同様に絶滅の運命が訪れました。

哺乳類は比較的被害が軽微でしたが、それでも種の35%が絶滅しました。

体長1m以上で恐竜の子供などを捕食していた大型の肉食哺乳類はこの時にほぼすべて絶滅したとされます。

小型の哺乳類は体が小さいため、地下の穴などに逃げ込むことができ、昆虫など小型の生物を食べて生きていられたのが、生存できた理由といわれます。

この時に絶滅を免れた中・小型哺乳類と鳥類が、現在に続くその後の地球生態系を築いていきました。

史上最大のエネルギーを放った爆発 ペプコン大爆発

引用:http://www.fredsakademiet.dk

ペプコン大爆発とは、1988年5月4日にアメリカのネヴァダ州ヘンダーソン市のThe Pacific Engineering Production Company of Nevada (PEPCON:ペプコン)の工場で起こった工場災害で、NASAによれば核爆発を除いて人類史上最大級のエネルギーを放った爆発とされています。

この工場は、スペースシャトルや固体燃料ロケットエンジンのブースターに使われる酸化剤である過塩素酸アンモニウムを生産していました。

その日の午前11時30分ごろ、工場の一角で暴風のために壊れた壁や天井を修理していた従業員が、誤って溶接トーチからガラス繊維の部材に出火させてしまい、現場にあった過塩素酸アンモニウムにも引火し、炎はさらに勢いを増しました。

過塩素酸アンモニウムは、熱や衝撃、摩擦によって分解し、非常に激しい燃焼を起こす物質で、さらに、分解時には大量のガスを発生させるため危険です。

従業員たちは必死に消化活動を行いましたが、火が過塩素アンモニウム製品の入った200ℓのドラム缶に燃え移ると逃げ出しました。

出火から約20分後、ドラム缶の保管区域で4回におよぶ爆発が起こり、巨大な火球が発生しました。

工場の直下には直径41㎝の高圧天然ガスのパイプラインが通っていて、破裂して大きな火柱を上げました。

爆発により、燃料のほとんどが消費されたため、やがて炎は急速に沈下に向かいました。

ペプコンの工場と近くにあったマシュマロ工場が破壊され、半径2.4㎞ので深刻な被害をもたらし、被害範囲は半径16kmとヘンダーソン市全域に及びました。

数百枚のガラスが割れ、送電線が倒れたり、建物の壁に亀裂が入り、飛散したガラスや破片で多くの人々が負傷しました。

約11㎞離れたラスベガスのマッカラン空港でも窓ガラスに亀裂が入るほどだったといいます。

この爆発のエネルギーにより、コロラド州の国立地震情報センターでは、マグニチュード3.0~3.5の規模に相当する地震が観測され、3600t以上の製品が爆発によって燃え、爆心地には直径60m、深さ5mの巨大なクレーターができました。

史上最大の爆発 ビッグバン

引用:http://spase.blog.jp

私たちの存在するこの宇宙が生まれたのは今からおよそ約138億年という途方もない昔の出来事です。

宇宙の誕生から現在までに起きた一番大きな爆発は、宇宙そのものが誕生したときの爆発で、ビッグバンの名で知られる大爆発です。

多くの人もこの名前は聞いたことがあると思いますが、実はビッグバンとは、一般に思われているように爆発ではなく、宇宙自体の膨張と呼ぶべき現象です。

誕生したときの宇宙は非常に高温高密度の状態にありました。

ここから、一気にエネルギーが解放されて、宇宙が一気に膨張し、それによって温度が下がり、低温低密度の状態になること、これがビッグバンの正体です。

膨張の過程で、陽子と中性子からできた原子核が生まれ、このときにできた最も単純な元素が水素、ヘリウム、リチウムで、こうした軽い元素は現在の宇宙にも大量に存在しています。

宇宙がこうして誕生したと考える学説を膨張宇宙論(ビッグバン理論)といいます。

1929年、アメリカの天文学者エドウィン・ハッブルは銀河が地球に対してあらゆる方向に遠ざかっているということを発見し、宇宙は膨張しているという説を提唱しました。

20世紀初頭まで、宇宙に始まりという概念はなく、定常的なものであると考えられており、アインシュタインや発見者のハッブル自身でさえ、ビッグバン理論に否定的でした。

科学界では、その後も定常宇宙論と膨張宇宙論による論争が続きましたが、1964年に見つかった宇宙マイクロ波背景放射によって、ビッグバン理論が確からしいということが証明され、定説となっていきました。

宇宙マイクロ波背景放射とは、宇宙が誕生したときの発熱の残りカスのようなものです。

モノを加熱すると、しばらくは熱を発しますが、やがて冷めてしまいます。

しかし、ビッグバンは強大な爆発であったため、そのときに放射されていた熱の波長が、現在でも微弱なマイクロ波として存在しているのです。

地球の大気は一部を除いてマイクロ波を吸収してしまうため、宇宙マイクロ波を正確に測定するためには、大気圏外の人工衛星を使う必要があります。

2001年に打ち上げられたウィルキンソン・マイクロ波異方性探査衛星(WMAP)によって、観測が行われ、このデータによりビッグバンの正しさが証明されるとともに、宇宙の年齢を137億8000万年と特定することができました。

ところで、ハッブルによって観測された宇宙の膨張は宇宙があらゆる方向に向かって遠ざかっているというもので、一見すると、我々の住むこの銀河が宇宙の中心に位置しているように思われます。

これはどのように考えればいいのかというと、宇宙全体が膨張しているということは、私たちの銀河もまた宇宙全体の膨張に流され、他の銀河から遠ざかっているということです。

私たちからは周囲がどんどん離れていっているように見えますが、同時に私たちも周囲からどんどん離れていっているわけです。

ですから、私たちが宇宙の中心にいるというわけではなく、宇宙のどこから観測をしても、自分が宇宙の中心にいるように見えるというわけです。

まとめ

以上、史上最大の爆発を紹介してきました。

自分が遭遇するのは嫌ですが、最大と呼ばれる爆発のもたらす巨大なエネルギーと破壊力は見る者を圧倒し、驚きとともに感心すらしてしまいそうです。

この宇宙でさえも爆発によって誕生しているのですから、私たちの暮らす世界にとって爆発という現象は切っても切れない関係にあるようです。

もしかすると、今後もどこかで、ここに紹介した爆発を凌ぐような、史上最大の爆発が起こるかもしれません。



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