今や宇宙や深海にも人間は到達しています。
現在は到達しただけですが、今後の技術の進歩によってはそこに何があるのか詳細に明らかになる日も来るでしょう。
しかし一方で、様々な理由から世界には普通の人の入ることができない立ち入り禁止区域があるのです。
今回はそんな世界の立ち入り禁止区域をご紹介します。
北センチネル島
引用元:https://hyple.jp/smile-867.html
今日では、アフリカの部族や遊牧民などで伝統的な生活の中にITや科学技術を取り入れ、その恩恵を享受しています。
しかしセンチネル族はそうではありません。
センチネル族はインド洋に浮かぶ北センチネル島に代々暮らす部族で、その数はおよそ400人程度だと考えられています。
彼らは数千年もの間外界との接触を一切拒み、石器時代の生活を続けていると言われています。
2004年に発生したスマトラ島沖地震では北センチネル島も被害を受け、救援物資を持ったヘリコプターが派遣されましたが島から矢を射られて追い払われました。
2006年にはカニ漁をしていて北センチネル島へ流れ着いた2人のインド人が、センチネル族に殺されたこともありました。
インド政府は遺体の回収もできませんでした。
行政としてはインド連邦直轄のアンダマン・ニコバル諸島自治政府に属していますが、自治政府は北センチネル島への干渉する意向を持っていません。
そのため事実上、島民による主権が認められている状態です。
現在はセンチネル族が強力化したインフルエンザウイルスなどへの耐性を持っていない可能性があるため、北センチネル島への半径5キロメートルへの立ち入りが禁止されています。
メジゴーリエ
引用元:http://share-ranking.com/archives/3100/13
メジゴーリエはロシア連邦に属する都市で、ウラル山脈の南端に位置しています。
人口はおよそ18000人の小さな街ですが、実はこの街は1994年まで地図上に存在していませんでした。
なぜそうなってしまったのかは、第二次世界大戦後にまでさかのぼります。
1940年代の終わり、ソビエト連邦は核兵器の開発計画を始め、原子炉、原子爆弾の原料の生産工場、研究施設などを新しい都市と共に作ったのです。
都市はZATO(閉鎖行政領域体)と呼ばれ、暗号名で呼ばれていました。
地図に載ることもなく、許可証を持った人しか都市へ入ることを許されませんでした。
最初は核兵器の開発のためのZATOしかなかったのですが、次第に国防や宇宙開発を目的にしたZATOが作られるようになり、最終的には200万人もの人がZATOに暮らしていたと言われています。
ソビエト連邦崩壊後にZATOの多くは解放され、暗号名に代わって正式な都市名がつけられました。
しかし現在もZATOは存在しており、確認されているだけでも42、未確認のものが15もあると考えられています。
このメジゴーリエも閉鎖されていましたが1992年にアメリカ政府が衛星で発見したことをきっかけにその存在が明らかになりました。
非常用の食料品貯蔵庫、放射能物質の廃棄場、巨大な地下労働施設などメジゴーリエがどんな施設を持つ都市なのかは諸説ありますが、ロシア連邦はこの街に何があるのか、一切公表していません。
ヴァチカン秘密文書館
引用元:https://tabizine.jp/2016/07/17/82371/
世界最小の国・ヴァチカンはカトリックの総本山としてよく知られています。
その小さな敷地の中にサン・ピエトロ広場、サン・ピエトロ大聖堂、バチカン美術館など多くの観光名所や世界遺産がひしめいています。
しかしヴァチカンには一般人には立ち入りの許されない場所も数多くあり、その中でも厳重なものとしてヴァチカン秘密文書館が挙げられます。
ヴァチカン秘密文書館は1612年に当時の教皇だったパウルス5世によって、ヴァチカン図書館から分離する形で設立されました。
英語では「Vatican Secret Archives」と言い、日本語では直訳して「ヴァチカン秘密文書館」と呼びます。
ただし英語の「Secret」の語源となったラテン語「Secretum」には「秘密」というよりも「個人的な」という意味合いが強く、あまり秘密主義を強調するよりは、教皇の個人的な文書を保存する文書館と言う方が実態には合うようです。
ヴァチカン秘密文書館は代々の教皇が保有し、公文書や書簡、教皇会計書を収蔵しています。
ヴァチカン図書館から分離独立する前からの資料も保存しており、最も古い文書は8世紀のものだと言われています。
設立当初はアクセス権が制限されていましたが、1881年に教皇レオ13世が一般の研究者に公開して以来、厳しいルールと制限のもと、資料の閲覧が可能になりました。
伊勢神宮
引用元:https://xn----626ay6jjqau34am2fhxopn9a.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/
伊勢神宮は日本を代表する神社です。
神社の格を表す旧社格においてはすべての神社の上に位置しているとして、格式の外に定められました。
しかし実はほかの神宮と違い、「伊勢神宮」という大きな神宮があるわけではありません。
まず「伊勢神宮」という名称は通称であり、正式名称は何もつかない「神宮」と言います。
他の神宮と区別をするために地名の伊勢をつけて呼んでいるのです。
伊勢神宮は125の社宮によって構成され、主に内宮、外宮を中心に参拝客を多く集めていますが、肝心の内宮、外宮に我々が入ることはできません。
内宮、外宮を合わせて正宮と呼ぶのですが、「三種の神器」を保管していると呼ばれている正宮は非常に警備が厳重です。
神主も代々皇族が務め、正宮の秘密をひとつの一族が引き継いでいるのです。
カラチャイ湖
引用元:http://share-ranking.com/
ロシア連邦、カラチャイ・チェルキス共和国にあるカラチャイ湖は一見非常に美しい湖ですが、非常に危険です。
1時間滞在するだけで死んでしまうため「死の湖」と言われています。
その原因は放射能汚染。
この湖に1時間いると、致死量を超える6000ミリシーベルトもの放射線を浴びてしまうのです。
カラチャイ湖のほとりには、かつてマヤークという、ソビエト連邦の核技術施設がありました。
当時のソビエト連邦では放射能の危険性が充分に認知されておらず、放射性廃棄物の扱いも今日では考えられないくらいお粗末なものでした。
マヤークで発生した放射性廃棄物も例外ではなく、なんと付近に流れるテチャ川やカラチャイ湖に廃棄していたのです。
更に後に「キシュテム事故」と呼ばれる爆発事故によって汚染が進み、現在のカラチャイ湖となりました。
カラチャイ湖の汚染は当時周辺に住んでいた人々に健康被害を与えたほか、1967年に発生した干ばつで湖底が干上がった際には砂や泥が飛散し広範囲を汚染しました。
マヤークで発生した放射能汚染は長く極秘とされていました。
ソビエト連邦を亡命した科学者ジョレス・A・メドベージェフが1976年に告発し、1989年にソ連の行ったグラスノスチ(情報公開)で正式に明らかとなり、「ウラル核惨事」と呼ばれるようになりました。
今日ではカラチャイ湖は調査が進み、高濃度の放射能汚染や、生物の奇形などが確認されたことから「世界一汚染された地域」に認定されています。
湖面はセメントで埋められ、完全に封鎖されています。
ラスコー洞窟
引用元:https://jp.france.fr/
ラスコー洞窟は歴史を勉強した人はおそらく最初に習うであろう「ラスコーの洞窟壁画」のある洞窟です。
「ラスコーの洞窟壁画」はスペインにある「アルタミラの洞窟壁画」と並ぶ先史時代の美術作品であり、20000年前の後期旧石器時代にクロマニョン人によって描かれました。
実はこの洞窟壁画の発見されたラスコー洞窟に、一般人は立ち入ることができません。
この洞窟は1940年に発見され、1948年に一般公開されました。
しかし1960年代に入ると、観光客の吐く二酸化炭素による壁画の劣化が明らかとなり、1963年に壁画を保護する目的で洞窟は閉鎖されたのです。
現在では壁画の修復や保全が進められる一方、1日に数名の研究者が入ることを許可されるのみになっています。
一方、洞窟壁画を目的にラスコーを訪れる人は多く、ラスコー洞窟が閉鎖された20年後の1983年にラスコー洞窟を再現したレプリカの洞窟「ラスコー2」が作られたほか、世界中で巡回展を行うための移動式レプリカ「ラスコー3」が、更に2016年には最新のデジタル技術を用いて本物のラスコー洞窟を再現した「ラスコー4」が完成しています。
スヴァールバル世界種子貯蔵庫
引用元:https://www.newsweekjapan.jp/
大洪水に備えてすべての動物のつがいを乗せた「ノアの方舟」という話が『旧約聖書』にあります。
そんな現代の「ノアの方舟」と言える施設が「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」です。
スヴァールバル世界種子貯蔵庫は正式名称を「あらゆる危機に耐えうるように設計された終末の日に備える北極種子貯蔵庫」と言い、北極圏にあるノルウェー領スヴァ―ルバル諸島の最大の島であるスピッツベルゲン島にあります。
デンマークの学者であるベント・スコウマンが提唱し、ビル・ゲイツの主導によって2008年から操業を開始しました。
大規模な災害や気候変動、核戦争などに備えて世界中の種子、特に原種や貴重種を保存しており、施設には300万種以上保存できる準備がされ実際に88万種以上の種子サンプルが保存されています。
この施設は基本的に無人で、高度なセキュリティによって守られており、来訪者や種子が登録されるとき以外は固く閉ざされ立ち入ることはできません。
近年では地球温暖化による海水面の上昇が想定外の速度で進んだため、緊急の工事が行われているようです。
Googleデータセンター
引用元:http://ciekawe-i-ciekawsze.blogspot.com/
GoogleやGmailなど、Google社の提供するインターネットサービスは、Google社が世界中に展開するGoogleデータセンターによって支えられています。
GoogleデータセンターにはGoogleのサービスを支えるサーバーやストレージなどの設備があり、非常に重要な施設です。
そのため細かな所在地は公開されていません。
日本国内でも東京や大阪にデータセンターがありますが、場所は明らかにされていません。
現在ではデータセンターの内部を撮影した動画が公開されているほか、データセンターの内部を公開したウェブサイトも存在します。
データセンターのロケーションや働く人々の姿、最新の設備などを見ることができます。
ヴォズロジデニヤ島
引用元:https://haikyo.info/
ヴォズロジデニヤ島は、中央アジアのアラル海にある島です。
現在はアラル海の水位が減少したことで半島になっています。
かつては島の全土がウズベキスタン領でしたが、今は島の北部がカザフスタン領、南部がウズベキスタン領となっています。
この島にはソビエト連邦の大規模な実験研究所があり、1930年代から細菌兵器の研究が始められました。
研究所では炭疽菌、天然痘、ペストやブルセラ症など40種類以上の細菌が実験され、1971年には実験の影響で島民10人に天然痘が感染し、うち3人が死亡しています。
1988年には化学兵器禁止条約を恐れて数トンの炭疽菌を島内に埋め、1992年にソビエト連邦の崩壊と共に関係者はすべて島を去りました。
911テロ以後、島に残存する炭疽菌を重く見たアメリカ政府は島を管理するウズベキスタン政府と共に、島の細菌兵器の処理に関する協定を結び、2002年に埋めた現場の除染を行いました。
しかし2003年、当時ヴォズロジデニヤ島で研究をしていた学者は島のげっ歯類が細菌兵器に感染し、ノミなどを介して島内全土に次々と伝染させた可能性を示しました。
現在ヴォズロジデニヤ島は「アスベスト島」とも呼ばれ、立ち入りのできない廃墟となっています。
スルツェイ島
引用元:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/
スルツェイ島はアイスランドの南にある無人島で、1963年に海底火山の噴火によって出現しました。
火山活動によって作られ、完成後もたびたび噴火を繰り返したことから北欧神話に出てくる火の巨人「スルト」の島という意味で「スルツェイ」と名付けられました。
スルツェイ島は周囲から隔絶されているため、進化の過程や生態系の形成を観察するのに最適の環境です。
そのため1965年にはアイスランドがスルツェイ島を「聖域」として扱うことを宣言し、入島を許可制にしました。
そしてスルツェイ島研究学会が設立され、島におけるすべてのことを監督しています。
島に上陸した人間は島に建てられたプレハブ小屋に滞在し、一切の有機物の持ち込みを禁止されています。
トマトやジャガイモを持ち込んだ例もありましたがすぐに排除され、生態系は自然のままに保たれています。
スルツェイ島は2008年にユネスコの自然遺産に認定されました。
パイン・ギャップ基地
引用元:http://www.davidicke.jp/
パイン・ギャップ基地はオーストラリアの中心部にある街アリス・スプリングスから南西におよそ18㎞離れた場所にある軍事基地です。
ちょうど砂漠のど真ん中に位置するこの基地は、アメリカとオーストラリアが共同で使用している軍事情報通信施設であり、1960年代に作られて以来、アジア諸国の各種通信を傍受しています。
冷戦終結後も基地機能は強化され、人工衛星からの通信の送受信基地であったり、ドローンによる攻撃のための拠点としての機能も備えるようになりました。
しかしこの基地は周辺55000キロメートルへの立ち入りが禁止となっており、単なる軍事情報通信施設を超えた役割を果たしているのではないかという疑惑が持たれています。
この基地はアメリカとオーストラリアの共同管理というのが表向きの顔となっていますが、実際はCIA(アメリカ合衆国中央情報局)によって管理されており、エシュロン監視システムを用いてあらゆる通信を傍受しているという噂や、果てにはUFOと関係しているなどという噂もありますが、実際のところは明らかにされていません。
ポヴェリア島
引用元:http://news.livedoor.com/
ポヴェリア島は、イタリア・ヴェネツィアの潟に浮かぶ島です。
「呪われた島」、「地獄」などと呼ばれ、地球上でもっとも幽霊の出る島として知られており、現在はイタリア政府によって立ち入り禁止となっています。
この島が呪われるに至る経緯は、18世紀にさかのぼります。
1776年、当時ポヴェリア島を管理していたヴェネツィア共和国は、この島を公衆衛生局が管轄する、船の関所に定めました。
そこでヴェネツィア共和国を訪れる船や人、荷物をチェックしていたのですが、1793年に2隻の船からペスト患者が発見されたことをきっかけにポヴェリア島は感染症患者の隔離収容施設としても使われるようになります。
ナポレオン統治下の1805年には軍の病院として使われましたが、20世紀には再び検疫所として使われ、1922年には精神病院が建てられますが1968年には閉鎖されてしまいます。
18世紀以後100年以上も隔離収容施設として使われ、死者を数多く出し、その幽霊が出るという噂や、精神病院が建てられた際には医師が幽霊を見て気がふれ、ロボトミー技術をした挙句に投身自殺を図ったなどという噂が立つようになりました。
長く立ち入り禁止にされていましたが2014年には、イタリア政府が財政難から99年貸与の契約でポヴェリア島をオークションにかけましたが、競売価格が安く、売却を断念しました。
コカ・コーラのレシピが収められた地下金庫
引用元:https://3pun-qk.com/
コカ・コーラは世界的に人気で、1日におよそ18億杯も飲まれています。
そんなコカ・コーラだけに、「コークロア」と呼ばれる都市伝説が数多くあり、その中でも著名なものとして「コカ・コーラの原液のレシピは本社の金庫で厳重に管理されており、その内容は重役2名しか知らない」と言うものがあります。
この噂は半分以上が嘘で、実際にはレシピはコカ・コーラ本社の数人が知っているものの、誰が知っているか明らかにされていません。
またコカ・コーラの原液のレシピは現在コカ・コーラ社の本社があるジョージア州アトランタの「ワールド・オブ・コカ・コーラ」という博物館の地下金庫の中に厳重に保管され、一般公開はされていません。
現在の地下金庫に移されたのは2011年のことで、それ以前にはアトランタの信用金庫の中に収められていました。
猿ヶ森砂丘
引用元:http://www.shimokita-geopark.com/
日本で砂丘と言えば、鳥取県の有名な観光地である「鳥取砂丘」がまず挙げられますが、青森県にはこの鳥取砂丘のおよそ30倍の面積となる、約15000haもの広さを有する「猿ヶ森砂丘」という砂丘があります。
この猿ヶ森砂丘には琴引浜などで知られる「鳴き砂」のある一帯があるほか、砂の層に立ち木が埋もれて化石化した「埋没林」や大小20もの「砂丘湖」と呼ばれる沼が見られます。
しかしこの猿ヶ森砂丘に一般人が立ち入ることはできません。
猿ヶ森砂丘は砂丘だけあってまとまった敷地面積の中に立ち木がないために、防衛装備庁管轄で下北試験場という弾道試験場が置かれているのです。
戦車や自走砲などが砲撃訓練を行っており、一般人の立ち入りは非常に危険です。
シオンの聖マリア教会
引用元:https://4travel.jp/
シオンの聖マリア教会は、エチオピア北部のアクスムという街にあるエチオピア正教会の教会です。
現在の教会は17世紀に建造されたものですが、最初に建てられたのは4世紀のころであると考えられています。
エチオピア正教会の伝説によるとこの教会のチャペルには、エチオピアの最初の王であるメネリク1世が、古代イスラエルの王ソロモンから授かった、「モーセの十戒」の刻まれた石板を収めた「契約の箱」が保管されていると言われています。
しかしこの「契約の箱」は教会の選んだ番人のみが見ることを許され、一般の人はチャペルへの立ち入りを許されません。
番人は生涯を「契約の箱」を守ることに費やし、死ぬ前に自身の後継者を定めます。
江蘇国家安全教育館
引用元:http://www.gigamen.com/
江蘇国家安全教育館は、中国・南京市にある博物館です。
その展示内容は20世紀初頭から始まる、中国のスパイに関する歴史です。
中国国民党と中国共産党の内戦である「国共内戦」において中国共産党がいかにゲリラ戦で国民党にダメージを与えたのかというものや、中国共産党が政権を握った後にいかに外敵からの国家転覆や破壊工作を防いできたのかというものを展示しています。
ほかにもタバコなどの小物に偽装した拳銃など、スパイ道具も展示しています。
この博物館は一般の中国人には無料で開放されていますが、外国人には一切公開されていません。
博物館は外国人に展示内容を公開しないことについて「展示内容は国家の安全に関わり、非常に敏感であり、外国人に公開するには適さないものだ」とその理由を説明しています。
メトロ2
ロシア・モスクワには地下シェルターや地下鉄に関する都市伝説が多くありますが、「メトロ2」はその中でも代表的なものです。
「メトロ2」とは核戦争に備え、政府や軍の高官レベルを保護するための強固なシェルターや、クレムリンから郊外にあるスターリンの別荘へつながるトンネルがモスクワの地下にあるという都市伝説です。
この噂話には、部分的にですが真実が存在しています。
モスクワの地下には高官を逃がすための特別なシェルターが作られ、シェルターと地下の指令拠点を繋ぐ「第二の地下鉄」が作られ、「メトロ2」と呼ばれていたというのはどうやら事実のようなのです。
その証拠としてモスクワ市内には地下鉄の線路を敷設するために用いる「立坑」と呼ばれる穴が、地下鉄の通っていない場所に空けられている点や、モスクワ地下鉄内に点在するどこにも繋がっていないような扉などを挙げることができます。
しかし「メトロ2」は、実際にロシア政府の高官であっても知らされていない者がいるなどセキュリティクリアランスが非常に厳重に管理されているらしく、仮に存在していたとしても一般人にはその場所を知ることすら困難でしょう。
沖ノ島
引用元:https://bumblebees.at.webry.info/
沖ノ島は福岡県宗像市に属する島で、九州本土からおよそ60キロ離れた、玄界灘に浮かんでいます。
2017年には「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産として、ユネスコの世界遺産に登録されています。
沖ノ島は「神の島」と呼ばれ、「失われた4世紀」とも呼ばれる3世紀前半から5世紀の間のおよそ150年の間に作られた祭祀遺構や正倉院にもあるような多くの遺物、1000年来の信仰と独自のしきたりが今でも残されています。
しかし一般人はこの島へ立ち入ることはできません。
沖ノ島は女人禁制であり、女性は一切立ち入ることはできません。
また男性であっても年に1度、現地で大祭が行われる際に宗像大社の許可を得て200人ほどが上陸を許されるのみです。
有名人などの特別枠は一切なく、上陸した人は御前浜で禊を行わねばなりません。
更に島へ上陸した者には、島で見聞きした者を漏らしてはいけない「お言わずさま」というしきたりがあるほか草木を持ち帰ることも許されません。
ちなみに宗像市では「海の道むなかた館」で、そんな沖ノ島の様子を3D映像で見ることができます。
朝鮮労働党39号室
北朝鮮という国には、そもそも私達は正規のルートではなかなか行くことができませんが、中でもこの「朝鮮労働党39号室」には絶対に入ることができないでしょう。
朝鮮労働党39号室とは、1974年に外貨を稼ぐことを目的に金正日が設立した機関です。
名前の「39号室」とは朝鮮労働党の3号庁舎9号室にあることを意味していると言われています。
朝鮮労働党39号室は金の生産を行う「金剛総局」、海産物の取引を行う「大興総局」、貿易資金を管理する「大聖銀行」などが管轄機関として構成しており、その下部機関の数はおよそ120にも及びます。
麻薬や偽造貨幣、偽造タバコなど非合法な活動をしているとも言われていますが、朝鮮労働党39号室の元職員は39号室のイメージダウンに繋がるような非合法な活動は行っていないと証言しています。
現在では国連が北朝鮮の外貨獲得手段を奪う形で経済制裁を行っており、外貨の獲得を目的とした朝鮮労働党39号室は苦境に立たされているのではないでしょうか。
エリア51
エリア51は、アメリカ空軍が管理するネバダ州南部の地区です。
正式名称を「グルーム・レイク空軍基地」と呼びます。
機密事項が多く、基地への立ち入りはおろか上空を飛ぶことも禁止されています。
そのため「墜落したUFOが運び込まれているのではないか」、「ロズウェル事件と関係しているのではないか」、「宇宙人がいるのではないか」と主に宇宙に関連させた憶測が飛び交いました。
アメリカは国家機密を50年守ると言われており、50年経った情報は開示請求に基づいて開示されます。
その一環で2013年に、エリア51に関する情報が公開されました。
公開された情報によるとエリア51では偵察機の試験飛行が行われており、1955年にはU2という偵察機の試験飛行が行われたほか1964年にはD21という無人偵察機の試験飛行も行われています。
またほかにもエリア51では敵対勢力、つまり東側諸国の軍用機を検証・調査する目的でも使われていたようです。
近年の情報開示で、エリア51の実態は数多く明らかとされてきました。
しかし依然として謎の多い基地であることは間違いありません。
おわりに
この記事では世界の立ち入り禁止区域を紹介しました。
立ち入り禁止と言われると入りたくなりますが、どこも生易しい好奇心で行けるような場所ではありません。
ただ、不謹慎ではありますがやはりロマンを感じますよね。