飛行機による移動に生理的な恐怖感を覚える人が世の中にはいます。
例えば往年の読売巨人軍のスター選手であった江川卓選手はチームでの移動の際も飛行機へ乗ることを嫌い、陸路での移動に徹していたと言われています。
ですが実は飛行機事故が発生する確率は10万分の1未満、交通事故よりも少ないのです。
それでも飛行機に嫌悪感を抱いてしまうのは、やはり一度起きてしまった事故のインパクトによるものかもしれません。
今回は航空事故などのデータをまとめたウェブサイト『Aviation Safety Network』から、死亡者(地上犠牲者等を含む)ワースト10位の航空事故を紹介します。
10位 イラン航空655便撃墜事件(290人)
引用元:http://www.iranreview.org/
この不幸な事件が起きたのは1988年7月3日のことです。
ホルムズ海峡に停泊していたアメリカ海軍のミサイル巡洋艦ヴィンセンスが、イラン南西部の都市バンデル・アッセーブからアラブ首長国連邦のドバイへ向かうイラン航空のエアバスA300B2へ艦対空ミサイルを発射、撃墜してしまいました。
当時飛行機に乗っていたのは乗客275名、乗務員15名の計290名でしたが、全員死亡してしまいました。
この事件は地上犠牲者を含まない航空事故としては8番目に犠牲者の多いものとなり、特にペルシャ湾で起きたものとしては最多の犠牲者を記録しています。
事件発生当時、イランはイラクと戦争状態にあり(イラン・イラク戦争)、ホルムズ海峡を航行するタンカーを無差別に攻撃していました。
そこでアメリカ海軍は民間タンカーなどの護衛を目的に艦隊を派遣、ホルムズ海峡で軍事演習を行っていました。
加えて事件の発生する前にはイラン空軍のF-14がアメリカ海軍のミサイルフリゲート艦スタークを攻撃していたこともあり、アメリカとイランとの間で緊張状態が続いていたのです。
事件の原因となったのは655便が飛び立ったバンデル・アッセーブ国際空港が軍民両用空港であり、ヴィンセンスが655便の飛び立った直後に待機したF-14の信号を誤って受信したことで飛行中の機体を誤認、更にヴィンセンス側の不手際が重なったことです。
アメリカは犠牲者となった乗客の遺族へ補償費を支払いましたが、機体への補償は行っていません。
イラン航空は犠牲者を悼むためにテヘラン・ドバイ間に655便の名前を使い続けています。
9位 マレーシア航空17便撃墜事件(298人)
引用元:https://edition.cnn.com/
この事件は2014年7月17日に発生したもので、オランダ・アムステルダムのスキポール空港からマレーシア・クアラルンプールのクアラルンプール国際空港へ向かうマレーシア航空17便が、ウクライナ上空で地対空ミサイル「ブーク」によって撃墜された事件です。
ミサイルを被弾したマレーシア航空17便はウクライナ東部にあるフラボヴェ村に墜落、乗客乗員合わせて298名が全員死亡しました。
この事件は、撃墜による航空事故で最多の死者数を記録します。
事件の発生したウクライナ東部はウクライナ政府と「ドネツク人民共和国」や「ルガンスク人民共和国」といった親ロシア勢力との間で内戦が勃発しており、ウクライナ政府は事件を親ロシア勢力のテロリストによる犯行という声明を出し、親ロシア勢力はウクライナ空軍による犯行だという声明を出しています。
ロシア当局はウクライナ東部におけるロシア側の防空設備の発動を否定、自身の関与がなかったことを示しています。
この事件が何者かによる犯行かというのは不明です。
ただしこの事件の発生を受け、ヨーロッパの航空管制調整機関「ユーロコントロール」を始めとする世界の航空会社がウクライナ上空の飛行を取りやめています。
日本では日本航空や全日本空輸が声明を発表し、欧州線がウクライナ上空を飛行することはないため運行に影響を与えることはないとしました。
8位 サウジアラビア163便航空事故(301人)
引用元:https://newsrina.blogspot.com/
サウジアラビア163便航空事故は1980年8月19日にサウジアラビアのリヤド国際空港(現リヤド空軍基地)で発生した航空事故です。
パキスタンのカラチからサウジアラビアのリヤドを経由してジッダへ向かう途中機体の貨物室で火災が発生し、163便は航路を引き返してリヤドへ緊急着陸をしました。
緊急着陸には成功しましたが火災を軽視したことでエンジンと空調が停止したことで機内に有毒ガスが蔓延し、乗員乗客合わせて301名が死亡しました。
機体も貨物室から出火し、主翼より下と後部を除いて全焼してしまっています。
単なる火災事故が全員死亡につながった原因としては、乗客のパニックなどによって緊急脱出が行われなかったこと、救助隊の練度が低く、613便の機種であるロッキード・トライスターのドアの開閉に不慣れであったことなどが挙げられます。
また613便の機長、副操縦士、航空機関士も訓練段階から技量に疑問視が付けられていたとも言われ、様々な要因が複合したことで些細な火災事故が大惨事へとつながったと言えそうです。
火災の原因は特定されていませんが、乗客の手荷物であるマッチや灯油ランプ、カセットガスストーブなどが引火したことによるものだと考えられています。
7位 ニューデリー空中衝突事故(312人)
引用元:https://commons.wikimedia.org/
ニューデリー空中衝突事故は1996年11月12日にインド・ニューデリーのインディラ・ガンディー国際空港発サウジアラビア・ダ-ラン経由ジッダ行きのサウジアラビア航空763便と、カザフスタンのシムケント国際空港発インド・ニューデリー行きのカザフスタン航空1907便が衝突した事故です。
サウジアラビア航空763便の乗員乗客312名、カザフスタン航空1907便の乗員乗客37名が全員死亡したこの事故は航空機の事故としては世界で3番目に多くの死者を記録し、民間航空機同士の衝突事故としては世界で最も多くの死者を記録しました。
普通、航空機同士は衝突しないよう管制塔からの案内に従って飛行します。
サウジアラビア763便は事故の発生する直前まで、管制塔の指示に従って高度4300mを維持していました。
一方カザフスタン航空1907便は衝突する前に高度7000mから4600mへの降下を指示されていたのですが、衝突の直前には4290mにまで降下しており、回避が間に合わずに衝突してしまいました。
事故の発生した原因はカザフスタン航空1907便の機長や操縦士が航空国際言語である英語に不得手であり、「高度4300mに763便がいるため高度4600mで航行せよ」という管制塔の指示を「高度4600mに763便がいるため高度4300mで航行せよ」という指示と誤認したことがまず挙げられます。
また事故発生当時は雲が出ており、衝突寸前までお互いの機影を確認することができなかったことや、インディラ・ガンディー国際空港周辺の空域はインド空軍が管理しており、民間機の飛ぶことができる空域が狭く、常に混雑していたことも遠因として存在します。
6位 エア・インディア182便爆破事件(329人)
引用元:https://scroll.in/
この事件は1985年6月23日に発生したテロ事件で、犠牲者329名というのは2001年にアメリカ同時多発テロが起きるまで、テロ事件の死者としては最多のものでした。
事件が起きたのはカナダのモントリオール・ミラベル空港からインドのインディラ・ガンディー国際空港へ向かうエア・インディア182便が北大西洋のアイルランドのコーク沖290㎞へさしかかったときのことです。
貨物室の手荷物の中に潜んでいた爆弾が爆発し、墜落させてしまったのです。
大西洋へ投げ出された乗員329名は全員死亡、遺体も131名分しか救助されませんでした。
この手荷物はモントリオール・ミラベル空港側の不手際で載せてしまった、実際には搭乗していなかった乗客のものでした。
この事件を引き起こしたのはシーク教徒の過激派です。
当時のインド国内ではヒンドゥー教徒とシーク教徒が対立しており、1984年にはインド軍がシーク教徒の聖地である「黄金寺院」を襲撃する「ブルースター作戦」が発生し、シーク教の指導者が死亡していました。
エア・インディアへのテロはこの「ブルースター作戦」への報復であり、シーク教徒はこのテロのほかにも当時の首相であったインディラ・ガンディーを暗殺しています。
シーク教徒のエア・インディアへのテロはこの一件だけでなく、成田空港でカナダ太平洋航空3便からエア・インディア301便へ積み替えようとした手荷物が爆発する「成田空港手荷物爆発事件」も発生させています。
ちなみにこのテロ事件で逮捕された唯一の人物であるインデリジット=シン・レヤットは2017年1月26日にカナダの更生訓練施設から釈放され、自由の身となりました。
5位 テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故(335人)
引用元:https://www.baaa-acro.com/
この事件は1977年3月27日に発生したもので、衝突した2機を合わせての犠牲者数は世界最悪の事件となりました。
当時、パンアメリカン航空1736便はロサンゼルス国際空港からジョン・F・ケネディ国際空港を経由して大西洋のリゾート地であるグラン・カナリア島のグラン・カナリア空港を目指していました。
ですがグラン・カナリア空港が爆弾テロの予告によって臨時閉鎖をしてしまったため、テネリフェ島のテネリフェ・ノルタ空港へ代替着陸します。
一方、チャーター機であるKLMオランダ航空4805便はアムステルダムのスキポール国際空港から同じくグラン・カナリア空港を目指し、同様にテネリフェ・ノルタ空港へ代替着陸をしました。
しかしパンアメリカン航空1736便が着陸して2時間後、爆弾テロが虚偽であったことが判明します。
そのため離陸しようとしたのですが、折悪くちょうど同じ滑走路の上でKLMオランダ航空4805便が給油をしていたのです。
テネリフェ・ノルタ空港は小さな空港で滑走路が1本しかなく他にも代替着陸した航空機が滑走路に数多く停まっていました。
そして両機が立ち往生をする中、給油を終えたKLMオランダ航空4805便が離陸をしようとし、パンアメリカン航空1736便と衝突し、事故が発生してしまいました。
事故の原因としてはKLMオランダ航空側が離陸準備の許可と離陸の許可を聞き間違えたこと、更には管制の通信が混信したことによる連絡の伝達ミスなどが挙げられます。
この事故によってKLMオランダ航空4805便は乗員乗客248名が全員死亡、パンアメリカン航空1736便は乗員乗客合わせて396名のうち335名が死亡しました。
死者数も多く、この事故は「テネリフェの悲劇」、「テネリフェの惨事」と言われるようになりました。
4位 トルコ航空DC-10パリ墜落事故(346人)
引用元:https://www.nydailynews.com/
この事故は1974年3月3日にトルコ航空981便のマクダネル・ダグラスDC-10がパリ近郊で墜落した事故です。
事件発生当時、トルコ航空981便はトルコのイスタンブール国際空港からフランスのオルリー国際空港を経由してイギリスのヒースロー空港へ向かっていました。
オルリー国際空港を離陸した10分後、突然トルコ航空981便の貨物室のドアが外れます。
乗客6名が吸い出され、操縦系統が故障、機体が操作不能へ陥りました。
そして間もなく機体は時速796㎞でパリ近郊の森林へ墜落、機体も四散し、乗員乗客346名は全員死亡しました。
遺体は全員損傷が激しく、遺族には遺品のみが戻ってきた例も数多くありました。
実はマクダネル・ダグラスDC-10にはこの事故の2年前にも同様に後部の貨物室のドアが外れ、操縦不能へ陥った事故が発生していました。
ですがDC-10の貨物室のドアが外れやすい欠陥は当時のアメリカ大統領のニクソンがマクダネル・ダグラス社による資金提供という政治的な意図を持って握りつぶしていたのです。
トルコ航空の事故後、DC-10の欠陥が明らかとなり、改修されることとなりました。
3位 日本航空123便墜落事故(520人)
引用元:http://jal123.blog99.fc2.com/blog-category-13.html
日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日、羽田発伊丹行の定期便である日本航空123便が群馬県の高天原山の尾根、通称「御巣鷹の尾根」へ墜落した事故です。
「日航機墜落事故」、「日航ジャンボ機墜落事故」とも言われています。
乗員乗客524名のうち520名が死亡したこの事故は日本最悪の航空事故であるだけでなく、飛行機単独の事故として、そして墜落事故として世界最悪の事故となりました。
事故当日、日本航空123便は相模湾上空を飛行中に突然垂直尾翼が下半分を残して破壊、補助動力装置と油圧操縦システムも損傷などで操作不能へ陥り、必死の操縦もむなしく墜落してしまいました。
墜落後も、この機体が放射性物質を積んでいたことや自衛隊の連携のミスなどによって救助活動が遅れ、結果として520名の死者が発生してしまいます。
事故の原因は同機が以前機体尾部を事故で破損したときの修理が不完全で、後部圧力隔壁に欠陥が残されたためではないかと言われています。
事故発生当時、この機体には歌手の坂本九などの著名人が多く乗っており、その多くが死亡しました。
またお笑い芸人の明石家さんまや怪談で有名なタレントの稲川淳二、コラムニストの勝谷誠彦なども搭乗予定でしたが回避して難を逃れています。
この事故を題材に作家の山崎豊子が2001年に『沈まぬ太陽』を発表し、2009年に映画化を果たしたほか2003年には横山秀夫がこの事故の報道をする上毛新聞社の苦悩を描く『クライマーズ・ハイ』を発表し、2005年にドラマ化しました。
2位 ユナイテッド航空175便テロ事件(965人)
引用元:https://www.jiji.com/
ユナイテッド航空175便テロ事件は、2001年9月11日に発生したいわゆる「アメリカ同時多発テロ事件」のひとつです。
ローガン国際空港からロサンゼルス国際空港へ向かっていたユナイテッド航空175便がイスラム系テロ組織アルカイダのメンバーによってハイジャックされ、針路をニューヨークのワールドトレードセンターへ変更、ワールドトレードセンター南棟81階へ衝突した事件です。
乗員乗客65名に加え、崩壊した南棟、さらに地上の被害者も合わせると965名もの人が死亡しました。
1位 アメリカン航空11便テロ事件(1692人)
引用元:http://gipj.net/
この事件はユナイテッド航空175便テロ事件とアメリカン航空77便テロ事件、ユナイテッド航空93便テロ事件と共に「アメリカ同時多発テロ」と言われるテロ事件のひとつです。
マサチューセッツ州のジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン空港からロサンゼルス国際空港へ向かうアメリカン航空11便が、アメリカ同時多発テロの首謀者であるモハメド・アタら、アルカイダのメンバーによってハイジャックされ、ニューヨークのワールドトレード北棟へ衝突しました。
当時コクピットは施錠されていましたがアタが客室乗務員を襲撃するなどの手段で鍵を奪ってコクピットへ侵入、無理やり針路を変更しています。
このテロ事件によってアメリカン航空11便の乗員乗客92名は全員死亡、ワールドトレードセンター北棟へ衝突した際のものを合わせると1692名もの犠牲者を記録します。
ユナイテッド航空175便による南棟の犠牲者も合わせればワールドトレードセンター全体でおよそ2500名死亡したと言われ、アメリカ同時多発テロ全体では2966名が死亡、6291名が負傷することとなりました。
現在ワールドトレードセンター跡地にはこの事件を後世に伝えるための施設である「国立9.11博物館」が建てられています。
このテロ事件以後アメリカ政府はテロリズムとの対立路線を強め、テロを首謀したアルカイダを攻撃、更にアルカイダを支援したとして中東へ侵攻、アフガニスタン紛争やイラク戦争を引き起こすこととなります。
番外編 クリティカル・イレブンミニッツ
どうしても航空機での事故を恐れている場合には、乗り換えを減らすのが効果的だと言われています。
航空機事故が最も発生しやすい時間帯は航空機の離陸後3分以内と、着陸前8分の計11分間です。
この時間帯はバードストライクなどの偶発的な事故や、マニュアル運転や低空域の飛行などのヒューマンエラーが起きやすい時間であり、「クリティカル・イレブンミニッツ」と呼ばれます。
万全を期すために、クリティカル・イレブンミニッツの間客室乗務員がコクピットへ連絡を取ることができない「ステライルコクピット」という原則も存在しています。
現状航空機で移動するリスクは微々たるものですが、離着陸の際のリスクは通常飛行時よりも高いものです。
乗り継ぎをすることで離着陸の回数が増えるため、ほんの少しでも安全なフライトを楽しみたいと思うのなら、同じ距離でも直行便を選んだほうが事故に遭う確率を減らすことが可能です。
実際に2013年7月6日にはアメリカのサンフランシスコ国際空港でアシアナ航空の旅客機がクリティカル・イレブンミニッツの間である着陸時に着陸へ失敗、乗客2人を死亡させた事例も存在します。
まとめ
今回は世界の死亡者数の多い航空機事故を紹介しました。
航空機は非常に安全な移動手段ですが、事故の規模も大きく、また悪意や不作為によって簡単に大惨事につながってしまうものでもあります。
とは言えこれらの事故によって安全対策が進み、オペレーションも改善されているのも確かであり、日本では日本航空123便墜落事故以来大きな航空機事故が発生していないのもまた事実です。
今回紹介した事故や事件の被害者が今日の私たちの安全な空の旅の礎になっていると考え、追悼の意を頭の片隅に置きながら移動するといいかもしれません。