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【都市伝説】エリア51の謎と真実10選

アメリカ・ネヴァダ州に存在する米国空軍の軍事施設、エリア51。核実験施設、宇宙人の遺体回収、人体実験施設など様々な極秘研究の舞台とも噂されたエリア51は、世界で最も有名な秘密基地です。

その実態が全く明かされなかったことから、多くの憶測と陰謀説を呼んだエリア51ですが、近年エリア51で勤務をしていた人物の証言が報道され、少しずつその実態が明らかになってきました。

実際にエリア51の内部ではどのようなことが行われていたのか、現在判明している情報を紹介していきます。

 

エリア51とは?

エリア51(グルーム・レイク空軍基地)は、ネヴァダ州南部の高地砂漠に位置する米国空軍が管轄する軍事基地です。周囲は山で囲まれており、近づくことさえ困難な場所にあります。

内部に入るには国家機密の取材許可証と、アメリカ軍の上層部、またはCIAの上級局員の招待状が必要とされます。また、エリア51を訪れる前には到着前に機密を漏らさないという誓約をしなければならず、この誓約には法的拘束力が伴います。

エリア51が初めて外部に門戸を開いたのは1955年の8月1日。CIAの開発した偵察機U-2偵察機のテスト飛行が行われた時でした。ちなみにこの4年前には、既にエリア51と呼ばれる領域が存在しており、CIAに先駆けて原子力委員会がこの秘密基地を訪れていたと言います。

本来、空軍と原子力委員会の任務内容が被ることはないため、この事実からだけでもエリア51が普通の軍事施設ではないことが、うかがえます。

 

エリア51の存在は何故知られた?

では、そのような極秘基地の存在が何故世界中に知られてしまったのでしょうか?

誕生から1980年代の終盤まで、エリア51の情報は一部の連邦機関と、国家偵察局や国家安全保障局といった機密政府組織にのみ明かされており、これらの組織がその機密を完璧に守り通していました。そのため、連邦職員であってもごく一部のエリートを除いて、エリア51の存在を知る者はいなかったと言います。

しかし1989年の11月、エリア51で働いていたというロバート・スコット・ラザーという科学者が『アイウィットネス・ニュース』内で、その存在を世界中に明かしたのです。

長年に及ぶエリア51の歴史の中で、これほど堂々と機密保持の誓いを破った人物はいません。

この告発を受けて、エリア51は世界的に存在を知られただけではなく、その内部で行われていることについても興味が集まるようになったのです。

 

ラザーはなぜエリア51の情報を漏らしたのか?

国家を相手に宣誓した機密保持誓約を破ってまで、ラザーがエリア51の存在を明かしたのには、理由がありました。

エリア51で勤務することになったラザーは“S-4”と呼ばれる施設で、厳重なセキュリティチェックを受け、自宅の電話の傍聴を許可する書類と、憲法で保障された権利を放棄することを承諾するという旨の書類にサインをしたと言います。

そして、その後なんと空飛ぶ円盤を見せられたというのです。円盤の半重力推進システムをリバースエンジニアリングするのが、ラザーに与えられた任務だったそうです。

任務の説明とともにラザーは、その円盤が地球外からやってきたことを記したマニュアルと、エイリアンのようなものを描いた絵も渡されました。

この時から、ラザーは自分の仕事を口外できないことに強い恐怖とプレッシャーを感じていたそうですが、1989年の3月の初めに、S-4の窓から信じられないような光景を見て、遂に重圧に耐えられなくなったと語っています。

彼は小窓の向こうに、大きな頭をした小柄な灰色の2足歩行の生物が、白衣を着た2人の男性に挟まれて立っているのを見たと言います。

これを機にいよいよエリア51での勤務に恐怖を感じたラザーは、遂に友人たちに円盤のテスト飛行のスケジュールをばらしてしまいます。しかし、それがエリア51にばれてしまい、彼は任務を解かれてしまいました。

その後、ラザーは政府の諜報部員に尾行されていると感じるようになり、車のタイヤを狙撃されることもあったと言います。このため、身の危険を感じて『アイウィットネス・ニュース』で、エリア51の存在を公開したと話しています。

ラザーの公開を受けて、エリア51は地球外生命体の研究をしている施設というイメージが、アメリカ国民の中では定着していきました。証言がどこまで真実なのかは不明ですが、宇宙人の存在を信じているアメリカの国民にとって、彼の発言はとても魅力的なものであったようです。

ちなみに、このラザーという人物ですが、この発言の後にMITで学位を取得したと学歴を詐称していたことや、売春の仲介容疑で逮捕歴があることなどが明らかになっています。

 

冷戦下のエリア51で行われていたこと

エリア51の存在が明かされたのは1989年のことですが、CIAが公式にその存在を明かしたのは2013年のことです。そして、初期の情報が機密解除になったことで、米ソ冷戦下のエリア51では何が行われていたのかが明らかになったのです。

当時、世間から切り離された過酷な環境に置かれることから、皮肉を込めて『パラダイス牧場』とも呼ばれていたエリア51の内部では、何が行われていたのでしょうか?2019年現在の時点で分かっている事実を紹介していきます。

 

エリア51初の飛行実験・アクアトーン計画

1955年8月に行われた、初のエリア51での飛行実験。“アクアトーン計画”と呼ばれたこのテストは、空軍、CIA、そしてU-2偵察機を製造したロッキード社の立会いの下、行われたと言います。

U-2偵察機の開発は秘密裏に行われ、機体のパーツはバーバングにあるロッキード社からC-124輸送機の胴体部分に隠されて、エリア51まで輸送されました。

他の小型飛行機と比べて翼の部分があまりに長く、アルミニウム製の外板は厚さ0.5mmと紙のような装甲のU-2偵察機は、飛行実験の当日まで白いシーツに覆われた状態で格納庫に厳重に保管され、エリア51の内部の人間ですら、その姿を目にした者はほんの僅かだったそうです。

何故U-2偵察機がこのような奇妙な姿をしていたかというと、ソ連のレーダーに引っかからないようにするためです。“鉄のカーテン”の向こうでは、人間を使った諜報活動を行うことが困難を極めていた冷戦当時、空から行う諜報活動はCIAにとって頼みの綱であったとされます。

現在は黒い機体が主流のU-2偵察機ですが、1955年当時は銀色で、長大な翼が光を反射して飛行する様子は、遠方から見るとUFOのように見えたと言います。

更に一般的な飛行機が3000~6000mの高さを飛行していたのに対し、U-2偵察機は21,000mもの高さまで飛行することが可能でした。このことも相まって、カリフォルニア、ユタ、ネヴァダに住む人々はU-2偵察機をUFOと勘違いし、エリア51近辺でのUFO目撃情報が相次いで報告されました。

 

世界初のステルス機開発・オックスカート計画

1960年前には、既にソ連のミサイルにU-2偵察機が迎撃される危険性が高まっていました。そこで持ちあがったのが、新型の偵察機の開発計画“オックスカート計画”です。

世界初のステルス機として開発されたオックスカートの存在については、2007年まで公開されていませんでした。そのため、U-2の後継機としてはSR-71ブラックバードの方が圧倒的に有名です。オックスカートはマッハ3で飛びながら、地上の写真を撮影できる偵察機として、アメリカの切り札となりうる存在と期待されていました。

U-2偵察機同様に、A-12オックスカートも秘密裏のうちに開発がすすめられました。当時エリア51の上空では、しばしばソ連のスパイ衛星の姿が確認されたため、衛星の存在が分かるとオックスカートを格納庫にしまい、衛星がいなくなったら格納庫から出して組み立てるという工程がとられていたそうです。

しかし、赤外線カメラで影の形を探知するという方法で、ソ連はオックスカートの図面を作成したのです。技術者たちは、これを逆手にとってダンボールなどで作った飛行機を囮として用意しました。

そして、その隙にオックスカートの飛行実験を開始したのですが、これが近隣住民に目撃されて、再びUFOが飛んでいると騒がれるようになってしまったのです。

オックスカートの存在を知られるわけにはいかなかったため、空軍は飛行物体は米軍のものではないと発表。この件の対応は、空軍と政府のUFO調査機関“ブルーブック”が引き継ぐことになりました。ブルーブックの関係者が、辻褄合わせのためにお茶を濁す発言をしたことが、後にエリア51と宇宙人は繋がっているという印象を一層国民に根付かせてしまったのです。

 

無人偵察機・D-21の開発

1965年頃、CIAでは“タグボート計画”と呼ばれるプロジェクトが進行していました。背面にマッハ3で飛ぶことができる無人機を搭載したオックスカートを開発する計画で、母体となるオックスカートはM-21(マザーのM)、無人機・ドローンはD-21(ドーターのD)と命名されました。

D-21は有人偵察機が行うには危険とされる、核兵器や生物兵器がかかわる現場や、ソ連や北朝鮮、中国などの敵国の領空を調査する時のために造られました。

D-21は任務中に撮影したフィルムや無線センサーを容器に入れてパラシュートを落とし、それを待機していた航空機が回収。その後、海を目がけて急降下していき、本体は海底深くに沈むという方法で運用される予定でした。

しかし、実践でD-21が任務を完遂できたことはなく、1969年に中国上空の偵察に出た際には針路を外れてシベリアに迷い込んで墜落。1970年の作戦では、撮影までは行えたもののハッチが開かずに情報を入れた容器が排出できず、1971年には帰還中に中国上空で姿を消すと言った結末を迎え、これをもってD-21の運用は中止されました。

 

ミグ21のリバースエンジニアリング

CIAの存在を暴露したラザーの証言内容も手伝って、エリア51内ではUFOを解体し、その技術を応用する研究がされていると噂されるようになりました。実際にエリア51内でUFOのリバースエンジニアリングを行っていたという証拠はないのですが、ソ連のミグ21のリバースエンジニアリングを行っていたことは公開されています。

1966年8月、イラク空軍大佐レドファは自機のミグ21に乗り込むと、管制塔からの指示も聞かずにトルコ上空を飛び、敵国のイスラエルに姿を消しました。そしてその後、レドファの預金口座には米ドルで100万ドルが振り込まれていたと言います。

レドファ大佐のミグ21はイスラエルで解析をされた後、消息が不明になっていました。しかし、実際はCIAの手によってエリア51に運び込まれていたのです。これは当時のエリア51の司令官であったスレーター大佐によって、証言されています。

ミグ21はアメリカにとって、ベトナム戦争で多くのパイロットの命を奪ってきた悪魔のような存在でした。そのため、その技術を手中に収めることは、アメリカの悲願でもあったと言います。

 

ダーティ・ボムの爆発実験・プロジェクト57

エリア51のような秘密基地の利点として挙げられるのが、マスコミや他の機関などの目を気にせずに、危険な実験を行えることです。エリア51の歴史の中では、そのような実験の犠牲となった人物は相当数いると言います。

このような実験の中で、最も危険なものの一つが、エリア51付近にあるグルーム湖の北西8kmの地点にある“エリア13”という小さな区画で行われた“プロジェクト57”です。

当時、エリア51内では“ダーティ・ボム(汚い爆弾)”と呼ばれる、放射性物質を拡散する爆弾の実験が行われていました。エリア13では度々、プロジェクト57と称してダーティ・ボムを爆発させる実験が行われていたのですが、原子力委員会はこの実験の後始末をしませんでした。

原子力委員会はダーティ・ボムを炸裂させた後、その区画に有刺鉄線を張り巡らせて「核物質あり」という看板を立てると、次の場所で実験を行っていたと言います。

エリア13の8km風下には、多くの人が出入りするCIAの施設がありました。そして、その隣にはエリア51の一般職員の宿泊施設がありました。

しかし、エリア51内では厳格な守秘義務があったため、当然ここに出入りしていた人々はプロジェクト57のことを知らされておらず、有刺鉄線の張られた区域について疑問に感じることがあっても、誰一人として口には出しませんでした。

原子力員会がダーティ・ボムを爆発させた後の除染作業についても、きちんと研究していればよかったと痛感させられる事件が、1966年に起こります。

1966年1月17日、スペインのパロマレス上空で、水素爆弾4基を搭載したアメリカ空軍の爆撃機が、同じくアメリカの空中空輸器と衝突しました。この衝突で4発の水素爆弾のうち、2発が地面に衝突、中からプルトニウムが空中に漏れ出したのです。

当時の米大統領であったジョンソンは、慌てて寄せ集め部隊の第十六原子力災害班を結成し、パロマレスに向かわせました。しかし、第十六原子力災害班は大した知識も持ち合わせていない集団であったため、限られた範囲の放射線量を測定することしかできなかったと言います。

後に指摘されるのですが、プロジェクト57で原子力委員会が行っていた実験は、パロマレスの惨劇に酷似した内容であり、地理条件も乾燥した無風の砂漠地帯と似通っていました。

つまり、原子力委員会がきちんと除染まで行ってこれを記録していれば、パロマレスの除染と安全の確保は迅速に行われていたのです。ちなみにパロマレスの土壌からは、2000年代の半ばに入っても政府の安全基準を上回る放射線が検出されています。

 

エリア51とロズウェル事件

エリア51にまつわる陰謀論や噂は数多くありますが、中でも最も有名なのがロズウェル事件との関係でしょう。ロズウェル事件とは、1947年にニューメキシコ州のロズウェル近郊の牧場主の敷地内に何らかの物体が墜落した事件です。

当初は気象観測気球の墜落とされていた墜落物ですが、実際にこれを目撃したロズウェルの人々が、後になって墜落してきたのは気球ではなく円盤の形をしたものであったことを証言をしました。

そして、独自に聞き込みをしたこれらの証言を1980年にUFO研究家のスタントン・フリードマンが公開したことで、ロズウェル事件はアメリカ全土から注目を集めるようになったのです。

ロズウェル陸軍飛行場の職員によると、墜落現場にあったのは機体だけではなく、墜落現場は2ヶ所あったうえに機体の脇には複数の遺体があったそうです。

また、エリア51の工学計画に携わったEG&Gの技術者の証言では、この遺体は150cmにも満たない小柄なもので、巨大な頭部と巨大な眼球を持つ、異様な形相をしていたと言います。

EG&Gは、原子力委員会とともにロズウェル事件の後始末を一任されていたとされ、第二次大戦中にはローズヴェルト大統領お抱えの科学顧問であった、ヴァネヴァー・ブッシュがロズウェル関連のプロジェクトの指揮を執ったそうです。

このEG&Gの技術者であった男性の証言によると、UFOと考えられていたものはソ連が開発した円盤型の機体だと言います。更に驚くべきことに、彼は異様な形相の遺体は、ソ連によって人体実験を受けた子供達だと言うのです。

ロズウェル事件で回収された遺体は、子供に対して非道な人体実験を行ったことで知られるナチの医学者、ヨーゼフ・メンゲレがスターリンと取引をした末に生まれたもので、スターリンはメンゲレがこの異様な姿のパイロット達を作り出せば、彼をソ連でかくまい、研究を続けさせると約束したと言います。

何故スターリンがそのような取引をメンゲレとしたのかについては、謎の飛行隊から異形の子供たちが降りてくれば、アメリカ国民はパニックになるとスターリンが考えたからだとされます。そして混乱は軍などの中枢機関にも及び、レーダー・システムに写ったソ連の偵察機などもUFOと疑って混乱が生じると予想したと言うのです。

ロズウェル事件に関しては、そもそも飛行物体が落下したという事実すらなかったという証言も存在しており、フリードマンの聞き込みに対して「円盤を見た」と答えている人の大半が、実際は自分の目で見たわけではなく伝聞であることなど、事件そのものに対して懐疑的な意見も多く存在します。

また、このEG&Gの男性の証言も、公式に公開された情報ではなく『ロサンゼルス・タイムス・マガジン』にジャーナリストのアニー・ジェイコブセンが寄稿した記事内でのみ見られるものです。そのため、この情報がロズウェル事件の真実と考えるにはいささか無理があるでしょう。

 

エリア51と9.11

エリア51が暗躍していたのは冷戦中だけではありません。9.11の9ヶ月前、CIAが無人機を使用してオサマ・ビン・ラディンを暗殺しようとしていた際にも、エリア51では飛行テストが行われていました。

CIAは、プレデターという無人偵察機に対戦車ミサイルのヘルファイアを搭載し、これを用いたビンラディンの暗殺を画策していました。プレデターの飛行実験は民間人殺傷の可能性が無い場所で行う必要があり、白羽の矢が立ったのがエリア51だったのです。

しかし、作業が始まってほどなくして、この作戦は頓挫します。この計画では、ビンラディン以外の屋敷にいる人々も巻き添えになってしまう可能性が高かったのです。

そしてその後、9.11の同時多発テロが発生しました。これを受けて、やはり対テロ戦争では無人機による偵察は不可欠だという結論に至った空軍とCIAは、協力してヘルファイアを搭載したプレデターを中東に送り込みました。

2002年にはイエメン北部でプレデターを使ってアルカイダの幹部であったアル・ハラシーの爆撃に成功。これを機にエリア51では偵察のためではなく、戦闘機として、無人機のテスト飛行がフルスピードで進められていきます。

アメリカはこの後も“カンダハルの野獣”と呼ばれるRQ-170 を開発するなど、無人機の製造に力を入れています。21世紀の戦争の場では、無人機とそれに接続する人工衛星の開発こそが鍵になると考えられているのです。

 

エリア51には地下が存在する?

エリア51にまつわる陰謀論や都市伝説は多く、その舞台が秘密基地の更に下、外からは見ることがかなわない地下施設とされることも多くあります。

中でもエリア51の地下にはトンネルがあり、国中の軍事施設や政府機関と繋がっているという噂は、米国ではよく聞かれるものだそうです。

数十年前に、エリア51の付近ではNトンネル、Pトンネル、Tトンネルという3本のトンネルが掘られています。これらはネヴァダ核実験施設に通じており、技術者たちが移動をする際などに使用されたと言います。

この他にもエリア51付近にはトンネルや地下壕がいくつか存在しましたが、それらの内部で行われていたことは、宇宙人の解剖やUFOの調査ではなく、原子力委員会と国防総省による核実験であったそうです。エリア51周辺の地下空間で両組織が、少なくとも67発の核爆弾を爆発させたことが分かっています。

特に国防総省は、地下壕の中で保管された核兵器が、どの程度の核爆発に耐えられるかという実験まで行っていたと言います。

このような核実験の実施については、機密情報となっていたため外部に知られることはありませんでした。しかし、現地から約100km離れたラスヴェガスで地震のような揺れがあると予報が出た場合、これは核実験の余波によるものでした。

こうして1990年代後半には、エリア51には更に秘密の地下施設があって、そこでは極秘実験が行われているという噂がたつようになり、陰謀論や都市伝説の舞台として幻の地下施設が登場するようになっていったのです。

 

まとめ

2013年にCIAと、当時の大統領であったオバマ氏がその存在を認めて以降、元職員の証言も公開されるようになり、少しずつエリア51の実態が明らかになってきました。

しかし、かつてエリア51で働いていた職員であっても現在は何が行われているかを知る術はなく、CIAが公開した情報も冷戦下のものなど現在では重要性の低いものばかりだと言われています。

存在は認められたエリア51ですが、元職員たちの間では、その全貌が明かされることは未来永劫ないとも考えられているようです。

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