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【凶悪】日本で最も有名な未解決事件10選

以前、世界の未解決事件10選をご紹介しましたが、凶悪な未解決事件は日本国内においても多数存在します。

【世界最恐】謎の未解決事件(海外)10選

元々日本国内における殺人罪・強盗殺人罪などの凶悪犯罪の時効は犯罪発生から15年でしたが、2004年に25年に延長され、さらに2010年には時効が廃止されました。

また、警視庁では2007年に捜査特別報奨金制度を導入、2010年には未解決事件の捜査専従班を警視庁と各道府県警察に設置する方針を固めるなど、凶悪未解決事件の全貌解明に向けて捜査体制の強化を行っています。

今回はそんな日本国内で発生し、未解決事件となっている最も有名な10の事件をご紹介していきます。

 

近江屋事件(坂本龍馬暗殺事件)


近江屋事件は、江戸時代末期(幕末)の慶応3年11月15日(1867年12月10日)に京都の近江屋で幕末の志士として有名な坂本龍馬らが暗殺された事件です。

日本の歴史上最も有名な未解決事件の一つであり、後の日本に大きな影響を及ぼした事件でもあります。

慶応2年1月21日(1866年3月7日)の薩長同盟、慶応3年10月14日(1867年11月9日)の大政奉還など幕末の日本において非常に大きな役割を果たした坂本龍馬は、新選組や見廻組、紀州藩など様々な組織に命を狙われていました。

京都の宿舎としていた寺田屋が江戸幕府に目をつけられ急襲されたことから、龍馬は慶応3年10月頃に近江屋へと移っていました。

そして慶応3年11月15日、坂本龍馬と、この日近江屋を訪れていた中岡慎太郎、元力士で龍馬の世話をしていた山田藤吉の3人は謎の刺客たちに襲われました。

龍馬は頭を深く切られほぼ即死、藤吉は後ろから切られ1日後に死亡、中岡は全身数十か所を切られ一時回復の兆しが見えたものの2日後に死亡しました。

中岡は生存中に土佐藩士らに暗殺時の状況を伝え、事件当初は新選組が実行犯だとの噂が流れましたが、事件後、幕府から取調べを受けた新選組局長の近藤勇は関与を否定。

1870年(明治3年)、見廻組隊士だった今井信郎が取調べ時に坂本・中岡暗殺に関与したと自白したことから、現在では見回組の佐々木只三郎らを実行犯とする説が通説となっています。

しかし、他の見回組隊士との供述と食い違う部分も多々あり、隊士の自供以外に確実な資料は確認されておらず、薩摩藩陰謀説・紀州藩士報復説・外国陰謀説など様々な説が未だ語られています。

 

三億円事件


日本犯罪史において最も有名な犯罪の一つにも数えられる三億円事件は、1968年12月10日に東京都府中市で発生した窃盗事件です。

現金輸送車に積まれた東京芝浦電気(現・東芝)従業員のボーナス約3億円(2億9430万7500円)が、偽の白バイ隊員に奪われるという事件が発生しました。

この事件は、殺人はおろか怪我をした人すらいなかったこと、海外の保険会社から補填され直接国内で金銭的損失を被った者がいなかったこと、さらに、被害金額2億9430万7500円の語呂から、「憎しみのない強盗」とも言われています。

警視庁捜査において容疑者リストに載った人数は実に11万人、捜査した警察官延べ17万人、捜査費用は7年間で9億円以上が投じられる空前の大捜査となりましたが、1975年12月10日に公訴時効が成立。そして、1988年12月10日には民事時効が成立し、日本犯罪史にその名を残す未解決事件となりました。

なお、被害額3億円は現在の貨幣価値になおすと10億~20億円ほどの価値があるとされています。

 

北関東連続幼女誘拐殺人事件(足利事件)


北関東連続幼女誘拐殺人事件は、1979年から1996年にかけて栃木県と群馬県の県境20km以内で発生している5件の誘拐殺人事件です。

この内の1つは足利事件と呼ばれる有名な冤罪事件でもあります。

【第一の事件】
1979年8月3日(金曜)、栃木県足利市の5歳女児が自宅近くで行方不明となる事件が発生し、数日後リュックサックに詰められた全裸の女児の遺体が発見されました。

【第二の事件】
1984年11月17日(土曜)、栃木県足利市の5歳女児がパチンコ店で行方不明となり、1986年3月8日に自宅から1.7km離れた場所で白骨死体として発見されました。

【第三の事件】
1987年9月15日(火曜、祝日)、群馬県太田市に住む小2女児(8歳)が自宅近くの公園へ遊びに出かけたまま行方不明になり、翌年11月27日、利根川河川敷で白骨死体の一部が発見されました。

【第四の事件(足利事件)】
1990年5月12日(土曜)、栃木県足利市の4歳女児が親と訪れていたパチンコ店から行方不明になり、5月13日に渡良瀬川河川敷で全裸のまま遺棄された女児の遺体が発見されました。

1991年12月2日、DNA型鑑定結果が犯人と同一人だったことを理由に、同市内に住む男性が逮捕され、無期懲役の判決を受けました。

しかし、当時のDNA鑑定の精度の低さを理由に2009年5月に再度実施されたDNA鑑定で「犯人と同一人物ではない」という結果が出たことから釈放され、2010年3月26日に再審で無罪が確定しました。

【第五の事件】
1996年7月7日(日曜)、群馬県太田市の4歳女児がパチンコ店から行方不明となる事件が発生しました。この女児は未だ発見されておりません。

これらの5つの事件では、いずれも4歳から8歳までの児童が被害にあっている点、パチンコ店で行方不明になっている点、死体が河川敷に遺棄されている点など、多くの類似点があり関連性が疑われています。

しかし、5件の全てが未解決事件であり、犯人の特定・逮捕には至っておりません。

 

グリコ・森永事件


グリコ・森永事件とは、1984年(昭和59年)と1985年(昭和60年)に、関西地方の食品会社が標的にされた一連の企業脅迫事件です。

犯人が「かい人21面相」と名乗ったことから、かい人21面相事件とも呼ばれています。

1984年3月18日、江崎グリコ社長宅に拳銃を持った2人組の男が侵入し、社長・江崎勝久を誘拐する事件が発生しました。

翌3月19日には、身代金として現金10億円と金塊100kgを要求する脅迫状が発見されましたが、江崎さんは、事件3日の3月21日に監禁されていた大阪府摂津市の倉庫から自力で逃げ出し、国鉄・大阪貨物ターミナル駅構内で保護されました。

同年4月2日、江崎氏に現金6000万円を要求する脅迫状が届き、続く4月10日には江崎グリコ本社が放火され、火元となった試作室約150m2が全焼しました。

その後も江崎グリコに対する脅迫は続いた他、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋など食品企業に次々と脅迫状が届きました。

しかし、いずれの事件も現金の引渡しに犯人は現れず、犯人と思われる人物が何度か目撃されたものの逃げられてしまい結局その正体は現在まで分かっておりません。

この事件は1984年4月12日に警察庁広域重要指定事件に指定されたものの、2000年2月13日に全ての事件で公訴時効が成立し、警察庁広域重要指定事件としては初めて犯人を検挙出来なかった未解決事件となりました。

 

悪魔の詩訳者殺人事件


1991年7月12日、筑波大学助教授の五十嵐一が大学構内のエレベーターホールで刺殺されているのが発見されました。

司法解剖の結果、五十嵐氏は前日に殺害されており、現場からは犯人のものと思われるO型の血痕や中国製カンフーシューズの足跡が見つかりました。

1989年2月にイランの最高指導者ルーホッラー・ホメイニーは、サルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を反イスラム的であり、関わった者に対して死刑宣告(ファトワー)を発令していました。

五十嵐氏は、1990年に小説『悪魔の詩』の和訳を担当した人物だったため、事件直後からイランと事件との関係が取り沙汰されていました。

入国管理局は筑波大学に短期留学していて、遺体発見当日に帰国したバングラデシュ人学生を容疑者としてマークしていましたが、イスラム諸国との関係悪化を恐れた日本政府の意向により捜査は打ち切られました。

また、CIAの元職員ケネス・ポラックは、イスラム革命防衛隊の対外工作・テロ活動などを行う特殊部隊「ゴドス軍」による犯行を示唆しています。

外国人犯人説が有力なこの事件は、事件発生から15年後の2006年7月11日、真相が明らかにならないまま殺人罪の公訴時効が成立しています。

 

井の頭公園バラバラ殺人事件


1994年4月23日、東京都三鷹市の井の頭恩賜公園のゴミ箱にポリ袋に入った人間の足首が捨てられているのを清掃員の女性が発見しました。

駆けつけた警察官らが公園一帯を捜索したところ、計27個に切断された手足・胴体の一部が袋に入って7か所のゴミ箱から発見されました。

切断された遺体は、関節や臓器などを無視して20cm間隔に切り揃えられており、血液が一滴残らず抜き取られていました。

また、発見された遺体は体全体の1/3ほどで、頭部や胴体の大部分は未だ見つかっておらず、発見された手足については指紋はほぼ全て削り取られていました。

警察はわずかに残っていた指紋とDNAから、被害者は公園の近くに住む一級建築士の男性(当時35歳)と特定しました。

遺体をバラバラに切断してゴミ箱に入れるという残虐な事件であることから事件発生直後はマスコミの注目を集めましたが、事件3日後の4月26日に中華航空140便墜落事故(死者264名)が発生したことで、この事件に関する報道は激減しました。

さらに、約11ヶ月後にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きたことから、この事件を捜査していた警視庁捜査一課の捜査本部は解散し、その後本件を捜査一課が担当することはありませんでした。

その後の捜査は三鷹署が単独で担当し、目撃証言などから怨恨説や事故遭遇説、遺体の状態が複数人による組織的な犯行や異常性を匂わすことから宗教団体関与説など様々な説が錯綜しました。

案の定、犯人に結びつく物証や有力な情報を得ることは出来ず、その後の捜査は難航し、2009年4月23日に公訴時効が成立しました。

しかし、時効から6年後、この事件には思いもよらない展開が待っていました。

当時吉祥寺では、地元露天商と外国人露天商の間で縄張り争いによるトラブルが発生していました。

その地元露天商の元締めAは、何と被害者男性と顔も背格好も瓜二つで年齢も同じでした。

さらに、外国人露天商だと思っていた人物は、実は某国の工作員であり、結果的に元締めAは諜報活動を妨害してしまったため、逆に彼らに命を狙われていたというのです。

そんな元締めAが、都内数箇所のビジネスホテルを転々とする逃亡生活を送っている最中にこの事件が発生しました。

被害者宅は、元締めAの倉庫の近くにあり、元締めAは以前から被害者と間違えられることが度々あったそうで、被害者はもしかすると元締めAと間違えられて外国人工作員に殺害された可能性が指摘されています。

そして、事件発生から数年後、「人違い殺人説」が、さらに真実味を帯びる事件が発生します。

今度は元締めAの家族が殺害されるという殺人事件が発生し、こちらも容疑者は逮捕されておらず、未解決事件となっているというのです。

この2件の事件に因果関係があるのかはハッキリしていませんが、はたしてこの2件の事件は偶然なのでしょうか?

 

住友銀行名古屋支店長射殺事件

1994年(平成6年)9月14日早朝、住友銀行(現・三井住友銀行)名古屋支店長が何者かに射殺されるという殺人事件が発生しました。

事件現場は名古屋市千種区のマンション10階。

被害者は裸足にパジャマという姿で、銃弾が右目上から左後頭部を貫通しており、壁に寄りかかって座るような格好で死亡していました。

正面玄関はオートロック式で、支店長自宅の室内には接客したり荒らされたような形跡はありませんでした。

住友グループ関係者によると、被害者は

  • パチンコ業者や水商売との取引が多い梅田北口支店
  • 平和相互銀行がらみの不正融資案件を多数抱えた京都・四条支店
  • 山口組系フロント企業の口座が圧倒的に多い大阪駅前支店
  • 闇金融業者などが多く利用する船場支店
  • 戦後最大の経済事件と言われるイトマン事件関連を含め巨額の不良債権を抱えていた名古屋支店

と、闇社会と深いつながりがある支店の支店長を歴任していたそうです。

同年11月11日、短銃を持って本店を訪れた男が銃刀法違反で逮捕される事件が発生。

逮捕された男は「自分が住友銀行名古屋支店長を殺した」と供述し、男が所持していた短銃の短銃の弾丸の線条痕が支店長射殺事件のものと一致しました。

しかし、男の供述は犯行現場の物証と矛盾しており、捜査当局は身代わり出頭の可能性が大きいと判断し、男に対して依頼人を自供するよう追及したものの真相を得ることは出来ませんでした。

結局、男は銃刀法違反容疑で起訴され懲役7年の判決を受けるにとどまり、その後の捜査は難航を極め、述べ15万3000人の捜査員を投入した殺人事件捜査は2009年9月14日に公訴時効が成立しました。

 

八王子スーパー強盗殺人事件


1995年7月30日、東京都八王子市のスーパー「ナンペイ大和田店」で、閉店後の2階事務所で女性スタッフ3人が射殺されるという殺人事件が発生しました。

被害者はパートの47歳女性A、アルバイトの17歳の女子高生Bと16歳の女子高生Cの3人で、女子高生2人は粘着テープで口を塞がれた上で互いの右手と左手を縛られており、至近距離から後頭部に1発ずつ発砲され、即死の状態でした。

パートの女性は銃の持ち手で殴られたのち金庫の前に突き飛ばされたとみられ、女子高生殺害後に額に銃口を押し付けられ、射殺されていました。

2010年7月に公訴時効が迫っていましたが、殺人罪等の公訴時効を廃止する改正刑法が同年4月27日に施行され、以降長期捜査が続けられており、捜査特別報奨金対象事件の中で捜査機関が犯人を特定していない事件としては、最も発生時期が古い事件です。

事件は強盗説と怨恨説の両面が考えられ、特別捜査本部では強盗説を重視して捜査していましたが、犯人は犯行後には何も奪わずに逃走しており、金銭目的の犯行ではない可能性もあると言われています。(金庫を開けようとした形跡はなく、貴金属類も盗まれていない)

警察の捜査により以下の事実が判明しています。

  • 事務所内で犯人のものと思われる足跡が採取され、実行犯は1人で、靴のサイズは26センチ。
  • 足跡の付着物から、微細な鉄粉などが採取されており、溶接作業や鉄工所などに出入りしていた可能性がある
  • 犯人が履いていた靴は、広島県のゴムメーカー製の靴底のもので、パルコ吉祥寺店・調布店などで1万数千円ほどで販売されていたもの。
  • 粘着テープからは犯人のものと思われる指紋の一部とDNAが採取されている
  • 使用された拳銃はフィリピン製のスカイヤーズビンガムで、犯人は銃の扱いに詳しく撃ちなれている人物。

この事件は、2010年の法改正による時効廃止の影響を大きく受けた事件であり、メディアでも大きく取り上げられました。

2009年、日本で資産家宅を狙った計17件の強盗事件(被害額は約6億円)を犯した日中混成強盗団のリーダー格だった日本人死刑囚が「日本で一緒の強盗団にいた中国人の男が八王子の事件が話題に上った際に詳細を知っていた」と証言したと報じられました。
※この日本人死刑囚は、中国・大連刑務所にて2010年4月9日に死刑が執行された。

その中国人の男は、2006年に難民としてカナダに移住し、永住権を取得して妻子とトロントで暮らしていました。

2012年、カナダ政府は日本政府への身柄引渡しに応じましたが、男からは八王子事件に関する供述を得ることは出来ないまま、2014年9月に旅券法違反で懲役2年・執行猶予5年の判決が下され、カナダに強制送還されました。

2015年2月に「10年程前に死亡した男性の指紋が、犯人の指紋とほぼ一致していたことが判明」と一部メディアが報道しました。

捜査機関が特殊な方法で指紋の一部を採取し、警視庁のデータベースと照合したところ、8点の特徴点の一致を確認しましたが、証拠採用基準の12点には足りず、完全な証拠としては採用することは出来なかったということです。(8点が一致する確率は1億人に1人)

この男性は、60代で病死した日本人の元運送業関係者で、事件当時多摩地区に住んでおり、現場で目撃された車種と同じ車を所持していたため、参考人として事情聴取もされていました。

しかし、勤務先のタイムカードの記録からアリバイが成立する可能性が高いこと、親族から採取したDNA鑑定の不一致などから実行犯ではないものと見られています。

この事件は、有力情報に300万円の懸賞金がかけられており、未だ捜査は続いております。

 

世田谷一家殺害事件


世田谷一家殺害事件は、2000年12月30日午後11時頃から翌31日の未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員宅で、被害者男性(当時44歳)・妻(当時41歳)・長女(当時8歳)・長男(当時6歳)の4人が殺害された殺人事件です。

事件から20年近く経つ事件であるにも関わらず、未だにメディアで取り上げられることも多く、非常に注目されている未解決事件であり、日本で起こった殺人事件の中でも特に有名な事件の一つでもあります。

 

2000年12月31日午前10時40分頃、隣に住む妻の実母が、何度も内線をかけても誰も出ないことを不審に思い、合鍵を使って被害者宅に入ったところ、一家4人が殺害されているのを発見しました。

犯行時に手を負傷した犯人は、犯行後も現場に長時間留まって家中を物色し、パソコンを操作し、冷蔵庫にあったアイスクリームを食べ、トイレで大便をしたことまで分かっています。

現場には犯人の指紋、血液、足跡など多くの証拠が残っており、犯人逮捕は時間の問題かと思われました。

警察は物的証拠から、犯人を「日本人の若者もしくは精神障害者」による単独での犯行と決めつけ、事件直後には「怪獣シャツ男」や「塗装業関係者」が容疑者としてしぼりこみましたが、いずれも現場の物証と一致せず逮捕には至りませんでした。

しかし、実は犯行現場には「日本人犯行説」を覆す多くの物証が存在していました。

  • 犯行現場に残されていた足跡は、韓国で限定販売されていていた靴のもの
  • 犯人が身に着けていた帽子やヒップバックも韓国製
  • DNA鑑定の結果『総合的にみた犯人像は、第1にアジア系外国人、第2に日本人でも、母親や祖母の代の比較的近い時期に外国人との婚姻があった混血』

そのため多くのメディアでは「韓国人犯行説」が有力とされています。

『世田谷一家殺人事件 15年目の新事実』の著者である事件ジャーナリストの一橋文哉氏によると、

事業失敗により多額の資金を必要としていた元宗教団体幹部の男が、実行犯の元韓国軍人と結託し、被害者宅に隣接する都立祖師谷公園の拡張に伴う移転補償金1億数千万円を狙って犯行を計画したということです。

実際、事件当時、被害者宅の周辺では複数の不動産ブローカーや暴力団系地上げ業者が、土地売却を持ち掛け、応じないと嫌がらせや圧力をかけるという事がありました。

更に、一橋氏が韓国マフィアの元ボスを通じて、元韓国軍人の男の指紋をこっそりと採取し、警察関係者を介して非公式ながら世田谷事件の遺留指紋と照合した結果、不鮮明な指紋だったが、ほぼ一致するとの結論を得ているというのです。

ここまで決定的と言える証拠があるにも関わらず、捜査当局は「韓国人犯行説」を否定。

現時点で犯人は逮捕されておらず、未解決事件として現在も捜査が続いております。

なお、世田谷一家殺人事件の犯人逮捕につながる有力な情報には最大2000万円の懸賞金が付けられています。

 

板橋資産家夫婦放火殺人事件


板橋資産家夫婦放火殺人事件は、2009年5月に東京都板橋区で発生した殺人放火事件です。

2009年5月25日午前0時半ごろ、東京都板橋区弥生町の民家から出火し全焼。現場からこの家に住む74歳男性と69歳女性の夫婦2人の殺害された遺体が発見されました。

被害者夫婦の遺体には防御創がほとんどなく、頭を鈍器のようなもので執拗に殴られ、刃物で胸や腹を刺されて殺害されていました。

殺害された男性は、個人でアパートや土地など約80件にも上る物件を所有しており、地元では特に有名な資産家として知られていました。

当時、自宅には数千万円の現金が保管されており、現金は手付かずの状態でしたが、居間にあったキャビネットは鍵が壊されて中身が空になっていました。

親族の話によると、キャビネットには被害者男性が保有していた多数の不動産の権利証や貴金属類が入っていたと見られ、犯人が持ち去った可能性が浮上しています。

事件前、男性は土地売買などを巡って多くのトラブルを抱えており、その中に暴力団関係者も含まれていました。

その為、男性は普段から常に用心深く、常に敷地の4カ所すべての出入り口を施錠し、他人を敷地内に入れることは滅多にありませんでした。

出入り口には赤外線センサーが張り巡らせ、人が出入りすれば、すぐ室内にいる人間が分かる仕組みになっていました。

こうした事からこの事件は被害者の家の事情に詳しい犯人による計画的な犯行も疑われています。

警視庁がいまだに情報提供を求めるチラシを配るなか、一部では「日中混成の犯罪グループ」による犯行が疑われています。

その犯罪グループとかつて仕事をしたことがあるという情報屋の男は、メディアに対して「犯行前にメンバーの一人から『一緒にやらないか』と持ちかけられた。その時は聞き流しましたが、事件後にメンバーの一人が電話で『10億円はあった。それ以上は持ちきれないから置いてきた』と行っていた。」と答えています。

しかし、捜査当局はいまだ決定的な証拠をつかめておらず、未解決事件として今も捜査が続いています。

 

王将社長射殺事件


2013年12月19日早朝、京都市山科区の王将本社前にて王将フードサービスで当時社長であった大東隆行氏が自身で運転していた自動車付近に倒れているのを発見されました。

大東社長は、午前5時半頃に自家用車で出勤し、午前5時45分頃に駐車場で車を止めて降りたところを、待ち伏せていた犯人に射殺されたものとみられています。

犯行には小型の25口径の自動式拳銃が使われ、4発の銃弾全てが急所に命中していました。

その後、捜査本部などへは300件を超える多くの情報提供がありましたが、犯人に結びつく有力情報を得ることは出来ませんでした。

警察は、現場周辺の防犯カメラなどの映像を解析し、犯人が逃走に使った盗難バイクのナンバーを割り出し、バイクを押収。

2015年12月には事件現場の近くで発見された遺留品から検出されたDNA型が九州の暴力団組員のものと一致したため、警察は九州方面を集中捜査しましたが、犯人特定には至りませんでした。

一方、2016年3月には同社が九州の暴力団組織幹部と、長年にわたり不適切な不動産取引や貸し付け行為を行っておりその総額は10年間で約260億円に上り、更に176億円もの資金が回収不能に陥っていたことが第三者委員会の調査により判明しました。

この事実が事件と直結していたのかは不明ですが、同社をめぐる何らかのトラブルにより社長が殺害された可能性が浮上しています。

事件の謎の解明と犯人逮捕に向け、現在も捜査は続いています。

 
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まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回ご紹介した以外にも未解決とされる事件は多々存在します。

平和に暮らしている私たちの身近に、未解決事件の真犯人がいるかもしれないと思うと怖いですよね。

一刻も早く犯人が逮捕され、事件が解決することが望まれます。

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