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【歴史ミステリー】世界の歴史上最大の謎7選

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人類最古のシュメール文明から始まった世界の歴史の中では未だによくわかっていない事件や出土品などが多く存在しています。

今回はそんな世界の歴史の謎の中でも未だに調査が続けられている世界最大の謎を紹介していきます。

聖骸布

聖骸布


引用 https://ja.wikipedia.org

聖骸布とはキリスト教でいう聖遺物の一つで、イエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺体を包んだとされる布です。

現在はトリノの聖ヨハネ大聖に保管されています。イエス・キリストの風貌を写したという布には、聖ヴェロニカの聖骸布やマンディリオンなど複数あったといわれています。

本体は、縦4.41m、横1.13mの杉綾織の亜麻布です。象牙色の布の上に、痩せた男性の全身像(身長180cm)がネガ状に転写されているように見えます。

布上に残された全身像の痕跡から、頭を中心に縦に二つ折りにして遺骸を包んだと見られ、頭部、手首、足、脇腹部分には血痕が残っています。

1532年にフランス・シャンベリの教会にて保管されていた際に火災に遭い、その一部を損傷しています。1534年、聖クララ修道会の4名の修道女によって損傷部分には継ぎ当てを、裏には当て布が縫いつけられました。

1978年の科学調査では、血は人間のものであり血液型もAB型と証明されています。2002年には継ぎ当てと当て布を外す作業が行われています。

聖骸布の裏側には人物の姿は見られず、血のしみ込みのみが見られました。

聖骸布の歴史

1353年、伝存の経緯は不明ですが、フランス・リレのシャルニー家が所有しているところを発見されたのが聖骸布の歴史の始まりです。

地元の司教から偽物と批判をうけたこともあるが、いくつかの所有者、保管場所の変遷などを経て、1453年に所有がサヴォイ家に移り、1578年にはトリノへ移動されました。

教皇クレメンス7世はこれを布に描いた絵だと宣言し、神聖物とされないよう展示にあたっては蠟燭を点けない、香を焚かないと条件をつけました。

1898年にイタリアの弁護士・アマチュア写真家セコンド・ピアが、初めて聖骸布の写真を撮影しています。1983年にサヴォイ家からローマ教皇に所有権が引き渡され、以降はトリノ大司教によって管理されています。

通常は一般に向けて常時公開されてはいませんが、聖骸布博物館にてレプリカを見ることができます。

カトリック教会の大聖年にあたる2000年に一般公開されましたが、その後2002年に修復作業が施された。2010年に修復後初めて一般公開され、2015年にも一般公開されています。

 

聖骸布の真偽

公開された聖骸布


引用 https://www.christiantoday.co.jp

聖骸布は、その発見時より詐欺的な作り物以来との非難も受けつつも、キリストの遺骸を包んだ布であるという言い伝えも信じられてきました。

その真偽については、これまでにも一般公開された機会などに合わせて専門家による科学的調査が進められています。

1988年の調査では、オックスフォード大学、アリゾナ大学、スイス連邦工科大学の3機関において、考古学などで資料年代推定に用いられる放射性炭素年代測定が行われ、その結果、この布自体の織布期は1260年から1390年の間の中世であることが判明し、聖骸布ではないことが明らかになりました。

しかし、この3機関が発表前にデータを交換し、生のデータの公開を拒否したことから、この結果はイエスの布だと信じる一派からは疑問視されており、カトリックの総本山バチカンは調査の1年後に、放射性炭素年代測定を無視すると発表しています。

放射性炭素年代測定の調査結果については、過去の修復作業時に付け足された部分や、一般公開の時に素手で触れられていた部分をサンプルとした測定であったことが、1995年にカリフォルニアのサン・アントニオ大学の科学調査で、聖骸布の糸の上に生存し続けているバクテリアによって生成されたプラスティックの膜が確認され、この膜が結果に大きな誤差を出した原因の1つだと言われています。

そのため検査方法の有効性や結果の信憑性を疑う批判もあります。

これを受けてアメリカのロスアラモス国立研究所の調査が行われ、1988年に調査された布の箇所にはバニリンという物質が含まれていることが判明しています。

またこの物質が含まれている場所は火災によって補修された箇所であることが明らかになりました。

また、バニリンが含まれていない箇所に対しての調査では、1300年から3000年前の布ではないかということが明らかになりました。

布は杉綾織りの亜麻布であり、縫い方も死海のほとりにあるマサダの遺跡で発見された生地と同様の、独特の縫い方であると判明しました。

聖骸布が偽物であると主張する根拠は、

聖書に「遺骸をくるんだ布に像が映りこんだ」といった記述がないことを始め、

頭と胴体を別の布で包むという聖書時代のユダヤの埋葬慣習に反する。

キリストと同時代の遺跡から発掘された布の単純な織り方とは違って複雑な織り方をしている。

といったことがあります。

また、像の人物には白人の特徴があり、聖書時代のパレスチナ人の顔立ちではないという指摘もあります。

さらに、テンプル騎士団最後の総長であったジャック・ド・モレーの肖像と顔立ちが似ているという指摘もあり、布を発見したシャルニー家がド・モレーとゆかりの深い家柄であったこと、年代測定と時代的に矛盾しない、ド・モレーの処刑も火刑ではなかったとの説もあることなどから、キリストの物だと言う説よりも説得力があります。

また、法医学的な調査の結果、死体をそのまま包んだにしては血痕の付き方があり得ないという結論もだされています。つまり、用いられた技法はともかく、布に描いた絵である可能性が高いとされています。

ネガ状の全身像についても、どのような過程でそこに付着したのか、もし後年作成されたものであったとしてもどのような材料や方法でそれを作成したのか、などまだ不明な点が多くあります。

本物の人間や彫刻に塗料を塗れば聖骸布の再現は可能であると様々な仮説が生まれ実験が行われましたが、完全に詳細な複製は再現されていません。

偽物という批判者は聖骸布特有の色の濃淡、画像の表層性などの多くの詳細な情報を説明できていません。イタリア・ENEA フラスカディ研究所では、最新のレーザー技術を使い、聖骸布の表面の変色を再現する実験が行われています。

しかし、ようやく作り上げた画像も聖骸布には程遠いものであるため、現在も現象の解明には至っていません。

 

ヴォイニッチ手稿

ヴォイニッチ手稿

ヴォイニッチ手稿とは、1912年にイタリアで発見された古文書です。

未解読の文字が記され、多数の奇妙な絵が描かれています。大きさは23.5 cm × 16.2 cm × 5 cmで、左から右読み、現存する分で約240ページの羊皮紙でできています。

未解読の文字で書かれた文章の他、大半のページに様々な彩色された生物を思わせる挿絵が描かれています。

文章に使用されている言語は多くの歴史研究者および言語学者によって何度も解読の試みが行われているが、現在でも解明されていません。

名称は発見者であるポーランド系アメリカ人の革命家で古書収集家のウィルフリッド・ヴォイニッチに因んでつけられました。

また全ページインターネットに公開されています。

ヴォイニッチ手稿の内容

ヴォイニッチ手稿

手稿には一定の規則に従っていると見られる特殊な文字によって何かの詳細な説明らしき文章が多数並んでいます。

ページの上部や左右にはかなり緻密な植物や花を思わせる彩色画が描かれています。

植物の絵が多いが、それ以外にも、銀河や星雲などの天体図に見える絵や、精子のように見える絵、複雑な給水配管のような絵、プールや浴槽に浸かった女性の絵などの不可解な挿絵が多数描かれています。

文章を言語学の統計的手法で解析した結果、でたらめな文字列ではなく、自然言語か人工言語のように確かな意味を持つ文章列であると判断されたものの、現在に至るまで解読できていません。

挿し絵の分析から内容を推測する試みもなされたが、これも解読成功していません。

描かれている植物の絵などは実在する植物の精緻なスケッチのようにも見えるが、現存する資料を基に詳細に調べたにもかかわらず描かれているもしくは類似する植物は実在せず、何のためにこれほど詳細な架空の植物の挿し絵が入っているのか、詳細は全くわかっていません。

また、描かれた人物が全裸であることから、服飾に基づく文化や時代の判定も困難となっています。つまりは何もわかっていないに等しいということになります。

解読に挑んだ人々

1.ウィリアム・フリードマン
ウィリアム・フリードマンは暗号の天才と呼ばれ、第二次世界大戦時に数々の暗号を解読しました。日本軍のパープルコードを解読したことでも知られています。彼は1945年に解読に挑戦しましたが、解読はできませんでした。フリードマン自身はこれは暗号というよりも人工言語の類ではないかという旨の発言をしています。

2.レオ・レヴィトフ
彼はは1987年に出版した著書で、浴槽に浸った女性の絵は12世紀から13世紀頃に南フランスで栄えたカタリ派の「耐忍礼(endura)」の儀式を表しており、また言葉はフラマン語を基にしたクレオール言語で書かれていると主張しました。

手稿全体もカタリ派の教義書か関連文書であると主張しましたが、彼のカタリ派に関する主張には謝りがあることが指摘され、また解読の方法も非常に不自然で恣意的に原文を再構成できるような方法であったため、誤りに過ぎなかったということが確認されています。

3.スティーブン・バックス
彼はベッドフォードシャー大学の言語学者です。2014年に彼は手稿に描かれている挿し絵の植物のアラビア語名およびヘブライ語名、またその他の中東の言語における呼称を手稿中の文字の出現パターンに当てはめる手法によってヴォイニッチ手稿の一部解読に成功したという論文を発表しました。

それによれば印欧語族に属する言語ではなくセム語族あるいはコーカサス諸語に属する言語、またはさらに東のアジア人の言語で記されているといいます。

その他にも2017年9月、イギリスのテレビ作家のニコラス・ギブズは、この書物が婦人の健康に関する医学書であるとする説を発表しました。

彼はヴォイニッチ手稿の文字はラテン語の単語の略号であると主張し、また中世の医学書とヴォイニッチ手稿の類似性について考察しています。

またこの説はかなりの批判を浴びています。さらに2018年、カナダ在住の電気技師・アメット・アーディックがトルコ古語に似ているという説をジョンズ・ホプキンス大学のデジタルジャーナルに論文として投稿し、2018年3月現在査読を受けています。

この手稿は一種のアウトサイダー・アート(西洋の芸術の伝統的な訓練を受けていない人が制作した作品であるが、アートとして扱われているもの)であり、解読しようとする試みそのものが無意味であるとの意見も存在するが、仮説の域を出るものではありません。

アトランティス大陸

大西洋の中央にアトランティスが描かれたアタナシウス・キルヒャーによる地図

アトランティス大陸とは古代ギリシアの哲学者プラトンが著書『ティマイオス』及び『クリティアス』の中で記述した伝説上の広大な島とそこに繁栄したとされる帝国のことです。

プラトンの時代の9000年前に海中に没したと記述されています。

書の中でプラトンは、アトランティスが近代的な都市であり、強大な軍事力を誇っていたことを具体的な描写と共に記しています。

しかしアトランティスは神を崇めることを忘れて堕落したため、ゼウスの怒りに触れ海に沈められた、と記されています。

アトランティス大陸の謎

有名な哲学者プラトンの文章であるということ、島の中や街の様子などがかなり具体的に描かれていることなどから、信憑性はそれなりにあるとされ、昔から多くの人々がアトランティス大陸はどこなのかと調査を続けていました。

その後も、多くの研究者たちによって研究が重ねられ、小説や映画などの創作物の題材にもなっていきました。

最終的にアトランティスは沈んでしまっているので、悪しき国の例えとして引用しただけで、プラトンの創作であるという説もありますが、アトランティスの存在を信じる人々は世界中に数多くいます。

しかしその正確な位置や正体は未だに謎のままです。

大西洋の海底に沈んだという説もあれば、地中海クレタ島のミノア文明などエーゲ海の文明のことではないかという見方もあります。

ピーリー・レイースの地図

ピーリー・レイースの地図

ピーリー・レイースの地図とは1929年にイスタンブールのトプカプ宮殿博物館に収蔵された写本類の中から発見された当時知られていた1513年の最新の地理知識を使ったと考えられる航海地図です。

インド洋を描いていたと思われる右半分は失われてしまっており、現存する部分は大西洋を中心に描いた左半分の断片のみです。

大西洋を描く残存断片はこの海域の航海図になっており、陸地としてイベリア半島とアフリカ大陸北西部、南北アメリカの東海岸、および南アメリカから伸びる陸地が描かれており、南アメリカから伸びた陸地には、周辺を航行する船と、動物が描かれています。

この地図は、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を「発見」し、アメリゴ・ヴェスプッチが南アメリカを調査してから間もない時期に描かれているにもかかわらず、アメリカ大陸を非常に詳細に描いており、コロンブスやヴェスプッチの原図が失われた現在では、アメリカ大陸を描いた史上最古の地図といわれています。

この地図には、南アメリカの南から伸びた陸地がさらに東に伸び、大西洋の南へアフリカ大陸の下に回り込むように地図中に書き込まれているという不可解な点があります。

この陸地は、地図が描かれた時代よりもかなり後の19世紀に発見された南極大陸の北岸とも思われることから、南極大陸は14世紀には既に発見されてたのではないかという謎を呼び起こし、世界中で多くの議論を巻き起こしています。

ピーリー・レイースの地図の謎

1.南極大陸は、発見が1818年、全陸地の地形の地図化成功が1920年とされていますが、14世紀に作られたこの地図には南極大陸の陸地の完全な描写がなされており、不合理です。

2. コロンブスのアメリカ大陸到達は1492年ですが、それから20年少々しか経っていない1513年に海岸線の調査が進んでいるとするのは無理があり、南北アメリカ大陸の海岸線が描かれていの不合理です。

この二点から何らかの方法で14世紀には既に南極や新大陸が発見されていたとされています。

コロンビアの黄金スペースシャトル

黄金スペースシャトル


引用 https://ameblo.jp

黄金スペースシャトルとは、コロンビアのシヌー地方の古代遺跡から発掘された、飛行機を思わせる黄金細工です。

シヌー文化(紀元500年 - 800年)時代のものという説と、更に古いプレ・インカ文明のものという説がありますが、どちらにせよ、この時代に航空機は存在せず、太古に古代文明があったのではないという謎を呼んでいます。

現在、コロンビアの首都ボゴタにある、国立銀行付属黄金博物館に展示されています。大きさは幅5センチメートル、高さ1センチメートルほどの、手に乗る大きさで、ペンダントなどの装飾品の類であったと思われています。

黄金スペースシャトルに対する科学的見解

これを鑑定した動物学者のアイヴァン・T・サンダーソン博士は、他のどの生物とも似ておらず、三角翼と垂直尾翼がありジェット機やスペースシャトルにも見えるといったことから、「ベル・ヘリコプター」の設計者として知られるアーサー・ヤングに検証を依頼しました。

彼の検証結果は、航空力学の理にかなった形状をしているというものでした。

同種の黄金細工はいくつもあり、これ以外にも、垂直尾翼のないもの、翼の大きく湾曲しているもの、目のあるもの、ヒレや羽などの模様のついているものなどがあり、一般には魚や鳥などを模したものという説明がなされています。

当然、魚や鳥がモデルであれば流体力学的に「理にかなった」形状をしていても不思議ではありません。

またモデルとして有力視されている生物に、同じ南米に生息するナマズの一種であるプレコが挙げられています。この付近に生息するプレコは華やかな色彩のものが多いため、黄金細工のモチーフとして選ばれたと考えられています。

しかし決定的な証拠というわけではないため、真相は今でも謎のままです。

また一説によるとこの黄金スペースシャトルとナスカの地上絵が作成された年代は同時期であり、ナスカの地上絵を滑走路としてこの黄金の スペースシャトルが発着していたという説もありますが真偽は不明のままです。

 

バクダッド電池

バクダッド電池

バグダッド電池とは、現在のイラク、バグダッドで製造されたとされる土器の壺です。

電池であるという意見と、そうではないとする意見が存在し、電池であれば、従来、電池の発明は1800年頃とされている通説に反しており、2000年近く前に発明されていたことになります。

大きさは高さ約10cm、直径約3cm程度です。粘土を焼いて作った素焼きの土器の中にアスファルトで固定された銅の筒が入っており、その中にアスファルトで塞がれたシリンダーの中に鉄製の棒が差し込まれており、底に何らかの液体が入っていた痕跡が残っていました。

電池説をめぐる論争

中に銅の筒と鉄の棒が固定されているという2種類の異なる金属を用いた構造は電池と基本的に同じです。発見時に失われていた電解液が壺の中にあれば2つの金属の間に電位差が生じて電流が発生し、電池として機能したはずです。

そこで1938年、ドイツの研究者で、当時、バグダッド博物館で研究を行っていたウィルヘルム・ケーニッヒが、フユート・ラッブーアで発見された遺物について電池説を主張しました。

その後、アメリカのゼネラル・エレクトリック社高圧研究所の電気技師ウィラード・グレイによって模型を使った再現実験が行われ、電解液として硫酸銅溶液を用いれば、2ボルトほど得られることがわかりました。

しかしこのバクダッド電池が電池として何らかの方法で使われていたとしても、それが何のために使われていたのかは謎です。

バクダッド電池に対する諸説

電気メッキ説

電気を使ってメッキをほどこしていたという説です。電池説の中では筆頭にあげられることも多く、最も知られた説です。

メッキ説を最初に提唱したのは前出のウィルヘルム・ケーニッヒで、彼はパルティアの金細工職人が、普通の金属に貴金属のメッキをすることでその価値を高めたのではないかと考えました。

しかしこの説には欠点も多く、

単独では得られる電圧が低いためワイヤーなどで複数の電池をつなぐ必要が出てきますが、そのために必要なワイヤー類が見つかっていない。

ササン朝時代、バグダッドで使われていたメッキ法は従来の水銀メッキによる方法が使われており、電気メッキの記録がない。

といった点から疑問視されています。

宗教用途説

これは偶像の中に入れる、もしくはつなげた状態で、さわった人に電気的なショックを与えていたのではないかという説です。

巻物収納説

呪文を書いたパピルスなどの巻物を収納していたという説です。

考古学者のエメリッヒ・パーストリが提唱し、電池説懐疑論者の間では比較的支持されています。

パーストリによれば、古代メソポタミアでは「銅」には魔術的な力に対する防御の意味があり、「鉄」にはさらに強力な破邪の意味があったといいます。

その上で彼は、呪文や祈祷文を書いたパピルスの巻物をそれらの金属と一緒に封入し、建物の下などに埋めることで、お祓いや魔術的な防御の意味合いを強めていたのではないかと論じています。

その他電気治療のために使われたとする医療用途説といったものなど数多くの説が唱えられていますが、確証となるものがないため真相は謎とされています。

まとめ

今回は世界史に残る不可解な謎を紹介してきました。

科学がここまで発達してきた現代でも再現できない技術があることは驚きです。

また今となっては確認しようもない事実があるのも現実ですが、いつかこれらの謎が解決されることを期待しています。




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