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【移住する?】日本一金持ちの村・飛島村の真実!

世界には金持ちの国があります。

アラブ首長国連邦やブルネイ・ダルサラーム国のような産油国では、オイルマネーによって財政が潤っているために、その分税制や福祉面などで国民に還元しています。

地下資源に恵まれない日本では夢のような話に聞こえるかもしれませんが、実は日本にもその豊かな財政を村民に還元するような村があるのです。

それが日本一金持ちの村・飛島村です。

 

日本一金持ちの村・飛島村とは?


引用元:https://www.doboku-watching.com/

飛島村は愛知県海部郡に属する村で伊勢湾の最北部に位置しています。

人口は推計4535人、面積は22.42㎢の小さな村(東京都品川区とほぼ同等)で、名古屋市と弥富市、そして同じく海部郡を構成する蟹江町と隣接しています。

愛知県は県内に村が2つありますが、飛島村はそのひとつです(もうひとつは北設楽郡豊根村)。

飛島村が「日本一金持ちの村」と呼ばれる所以は、自治体の決算カードから導き出される「財政力指数」にあります。

財政力指数とは

財政力指数とは自治体の財政力を示す指標で、基準となる収入額を支出額で割ることで求められます。

財政力指数が1.00を超える自治体は収支のバランスが取れているため地方交付税交付金の支給されない不交付団体となり、逆に1.00を下回る自治体は地方交付税交付金の支給される交付団体となります。

都道府県単位では長く東京都と愛知県が1.00を超えていましたが、平成22年を最後に東京都や愛知県も1.00を下回る年が多くなっています。

市町村別に見ると、平成28年度は政令指定都市である神奈川県横浜市が0.97、北海道札幌市が0.73、愛知県名古屋市が0.99と、1.00をやや下回っています。

一方で長野県軽井沢町(1.52)、神奈川県箱根町(1.41)、福島県大熊町(1.61)、北海道泊村(1.71)などは大きなプラスを出しています。

これはその市が多額の税収を得ている証であり、軽井沢町は別荘地が、箱根町は観光地が、大熊町は福島第一原子力発電所が、泊村には泊発電所がそれぞれ多額の税収をもたらしています。

そしてその中でも2018年度の飛島村の財政力指数はなんと2.11と脅威の2超えを記録しました。

全市町村平均で0.50、1を超えれば健全な財政を営めていることを示す指標で、2.00を超えるのは全国でも飛島村だけです。

そのため「日本で一番金持ちの村」と呼ばれるようになったのです。

飛島村ではどのような行政サービスがあるのか

財政力指数が2.00を超え、収入が収支を大きく上回る飛島村は、その分を村民へとしっかり還元しています。

まず飛島村で子どもを出産して1年経った世帯、子どもが小学校・中学校へ進学した世帯には、村からそれぞれ10万円ずつ支給されます。

しかも中学校卒業まで子どもの医療費は無料となります。

村には唯一の学校である小中高一貫校である「村立飛島学園」が2010年に開校しており、中学2年生になると旅費と宿泊費を村が全額負担する形でアメリカ合衆国サンフランシスコへ1週間もの修学旅行が実施されます。

このように飛島村は若い世代の教育や福祉に投資することで、村民に豊富な収入を還元しているのです。

また飛島村は若い世代同様に、高齢者にも手厚い行政サービスを展開しています。

飛島村は90歳になると20万円、95歳になると50万円、100歳になるとなんと100万円が支給されます。

一人暮らしのお年寄りには定期的に乳酸菌飲料を配布することで、その安否を確認しています。

ほかにも温水プールやウォーキング専用プール、トレーニングルーム、図書館などを備えた複合施設「飛島村すこやかセンター」を作り、スポーツや生涯学習の機会を提供しています。

更に村内のイベントの中心となる中央公民館の大ホールは人口4535人に対して座席数1100と非常に大規模です。

ユニークなところでは村の創立を記念して『飛島音頭』という曲を作った際に『大利根無情』や『東京五輪音頭』で知られる演歌歌手、作詞家の三波春夫に歌を依頼したという話もあります。

『飛島音頭』は今も飛島村内のイベントで使われるなど、飛島村の新しいシンボルとなっています。

このように飛島村は豊富な税収を背景に、子どもからお年寄りにまで他の自治体では考えられないような幅広い行政サービスを提供することができているのです。

 

飛島村はなぜ金持ちになったのか


引用元:https://www.sankei.com/

ではなぜ飛島村は日本一金持ちの村へと至ったのでしょうか。

その特殊な事情は、飛島村の歴史を紐解くことで明らかになります。

他の同規模の自治体同様、決して経済的に恵まれていたわけではなかった飛島村がどうして日本一金持ちの村へと変わったのかを紹介します。

飛島村のはじまり

飛島村は江戸時代の新田開発に起源を持つ、比較的歴史の新しい村です。

1692年、当時の尾張藩で長尾重幸という人が尾張藩主徳川光友の許しを得て新田開発を始め、翌1693年に大宝新田を完成させました。

1800年には尾張藩で熱田奉行と船奉行を務めた津金文左衛門が、耕作地を広げ藩の財源とするために新田開発を計画、翌1801年に767ヘクタールもの広大な面積を有する飛島新田を完成させます。

飛島新田を開拓した津金文左衛門はその功績を称えられ、1900年に行われた「飛島新田開発百年祭」で飛島村内の神社に石碑が建てられました。

明治時代に入った1879年には政成新田が開発され、1889年には飛島、政成、服岡という3つの新田が合併して海西郡飛島村となります。

更に1906年に大宝、八島、重宝という3つの新田が合併されることで新田地域での農業が主な産業となる飛島村ができあがります。

度重なる災害

ですが成立後の飛島村には災害が相次ぎます。

1944年12月7日、熊野灘を震央とするマグニチュード7.9もの大地震「昭和東南海地震」が発生し、飛島村は甚大な被害を受けました。

太平洋戦争が終わった後、1959年には伊勢湾台風が紀伊半島から東海地方に上陸し、伊勢湾に高潮を引き起こします。

飛島村を始め、名古屋市南部、蟹江町、弥富町(現・弥富市)、上野町(現・東海市)と言った地域には江戸時代に開拓した新田が数多く存在しました。

これらの新田はほとんどが海抜0m以下と非常に土地が低く、伊勢湾台風の引き起こした高潮が堤防を決壊させるとたちまち水没してしまいます。

新田が合併する形で成立した飛島村は高潮によって当時の村域の大半が水没し、死者132名、722戸が全半壊・流出しました。

浸水した地域では汲み取り式便所の汚水が溢れ、排泄物も流せなくなるなど公衆衛生が悪化し、市内の小中学生は一宮市、稲沢市へおよそ3か月もの間疎開することを余儀なくされました。

伊勢湾台風が過ぎた後も、飛島村では人口流出が相次ぎ、財政が悪化します。

1960年当時では財政力指数が0.22と、飛島村は非常に貧しい自治体のひとつとなりました。

「日本一金持ちの村」へ

そんな飛島村が転機を迎えたのは1971年のことです。

当時の愛知県知事・桑原幹根の発案で、伊勢湾台風を被災した伊勢湾岸地域に、臨海工業地域を作る計画が持ち上がります。

この計画によって整備された名古屋港西部臨海地区の西2区・4区が飛島村へ編入されたことを機に、飛島村の南部が日本でも有数の港湾流通拠点へと変貌したのです。

現在では飛島村南部は名古屋港の一角として「福山冷蔵」、「中部資材」、「王子埠頭」など数多くの企業が本社を置くほか「中部電力西火力発電所」や「川崎重工業航空宇宙システムカンパニー 名古屋第二工場」、H2Aロケットを組み立てた「三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所 飛島工場」など、名だたる企業の大規模な営業所も多く存在します。

これらの企業や事業所が多額の法人税や固定資産税を支払うことで、村の財政を一挙に潤し、飛島村を「日本一金持ちの村」へ変えたのです。

 

飛島村の抱える問題


引用元:http://www.vill.tobishima.aichi.jp/

「日本一金持ちの村」である飛島村の手厚い行政サービスなどを見ると「飛島村に引っ越したい、移住したい」と思われるかもしれません。

ですがこの10年の間、飛島村の人口推移はほぼ横ばいとなっています。

新たに人口を流入させることが難しい点が、飛島村の抱える問題となっているのです。

村の南部に臨海工業地帯が建設された都合上、飛島村の市街地のほとんどは「市街化を抑制すべき地域」である「市街化調整区域」に設定され、住宅やアパートを新たに建設することが非常に困難となっています。

飛島村の中には不動産業者が3軒しかなく、住宅関係の取引をすることはほとんどないと言われています。

村内にはいくつかアパートはありますが、大規模な高層マンションなどはなく、外から移住してきた人が住居を探すのは難しくなっています。

一方北部は干拓によって開発された地域であり、新たに住宅を作る余裕はありません。

もしあっても海抜が低く、災害時に非常に危険なので建設は容易ではありません。

そのためもし飛島村へ移住しようと思ったら結婚や養子縁組などの手段を用いて飛島村の住人の家庭に入るしか手段はありません。

飛島村の村議も「人口が増えないと活力につながらない。多くの人が感じている不満です」も発言しており、今後の対策が求められています。

また伊勢湾台風以来、風水害への対策も永遠の課題とされています。

1962年には8250mもの高潮堤防が完成したほか、村内には避難所も作られました。

 

まとめ

今回は「日本一金持ちの村」飛島村の行政サービスや歴史、飛島村の抱える問題について紹介しました。

飛島村は貧しい自治体がいわば大逆転を果たした稀有な例です。

高い税収と少ない人口によって、充実した行政サービスを提供することができています。

2002年には合併問題も持ち上がりましたが、行政サービスの悪化を恐れる声が多く、現在も小さな村のままでいます。

ただそれ故に人口を増やす余地がないと言った問題もあり、今後は今いる人だけでなく、新たな人を村へ呼び込むための努力が求められることでしょう。

人口減から財政破綻をしてしまった夕張市のようには現状なりませんが、今後10年、20年を見据えて飛島村がどのようなかじ取りをしていくのかは、注目に値するでしょう。

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