社会

【衝撃実話】野生動物に育てられた人間15選


アニメーション作品の中には、「ターザン」や「ジャングルブック」、日本の「もののけ姫」などのように、動物と一緒に生活をする人間を描いている作品が存在します。

これらはあくまでもアニメ作品として視聴者を楽しませるために作られたフィクション作品であり、世界中で放映されていますが、世界には本当に野生動物に育てられた子供たちが存在します。

そして、その人生はアニメ作品のように、とても楽しいものとは言えるものではありません。

今回は有名なオオカミ少年のほかにもヒョウ、ダチョウ、サルなど様々な動物に育てられた15人の人間の記録をご紹介します。

1845年 オオカミに育てられた少女(メキシコ)

1845年、メキシコのデビルズリバーの近くで、ヤギの群れを襲ったオオカミの群れの中に、四つん這いで走り回る10歳前後の少女が目撃されました。

その一年後、2頭のオオカミと一緒にヤギの肉を食べている少女が再び目撃されました。

すぐに少女は逃げ出しましたが、ハンターによる捜索開始から3日後、散々暴れた末、少女は取り押さえられ、近くの牧場の納屋に保護されました。

すると彼女は遠吠えのような声をあげ始めました。すると突然オオカミの群れが牧場に現れ、家畜を襲いはじめました。

驚いたハンター達が銃で応戦している最中、少女は混乱に乗じて逃げてしまったそうです。

1852年には2匹のオオカミの子供に授乳している少女が発見されましたが、人間に気づいた彼女はすぐに森の奥深くに逃げ込み、その後二度と人前に姿を現すことはありませんでした。

彼女は1835年5月に、デビルリバーで産まれたデント夫婦の子と推測されています。夫婦は不慮の事故で亡くなり、娘はオオカミに襲われて死亡したとされていました。

 

1867年 オオカミに育てられた少年(インド)

インドのオオカミ少年、ダイナ・サニチャーは、記録が残っている中でもっとも古い時代の野生児の一人としてしられています。

彼は、1867年にインド北部のウッタル・プラデーシュ州ブランドシャール近郊の山で狩りをしていたハンターが、洞窟の中でオオカミの群と共に暮らしていたところを発見されました。

当時6歳前後とみられる少年は、サニチャーと命名され、シカンドラ孤児院で生肉を食べたり、服をはぎ取ったり、地面から食べ物を食べたりするような動物的行為をやめるよう教育されました。

発見当時は四つん這いでしたが、まもなく直立で歩行できるようになり、怒りや喜びの表現や、仕事もいくらか出来るようにななりましたが、何年たっても言葉を話すことはできず、1894年に死亡しました。

一説によると、彼はラドヤード・キップリングの小説「ジャングル・ブック」に登場する狼少年「モーグリ」のモデルになったそうです。

 

1912年 ヒョウに育てられた少年(インド)

1912年、メスのヒョウに2歳の少年がさらわれました。その3年後、ハンターがヒョウを仕留めると、傍らにいた3頭の子供の中に5歳になった少年を発見し保護しました。

少年はインドの小さな村に住む家族のもとに帰されましたが、発見時の少年は野生化してしまって手がつけられない状態でした。

近づく者には誰かれかまわず飛びかかって噛みつき、村で飼っている鳥の肉を生で食べ、しゃべることはできず、唸り声しか出せなかったそうです。

少年は2足歩行の大人と同じくらい速く四つん這いで走ることができました。

膝には固いたこができていて、爪先は甲に対してほぼ直角に曲がっており、手のひらと足の爪先、親指のはらは固い皮膚で覆われていました。

後に少年は言葉と二足歩行を覚えましたが、白内障で目が見えなくなってしまいました。これはジャングルでの生活が原因ではなく、遺伝的なものが原因ということです。

 

1920年 オオカミに育てられた2人の少女(インド)

この2人の少女はオオカミ少女として世界で最も有名な事例と言われています。

当時、少女たちは地元の村人に「ベンガルのジャングルでオオカミと一緒にいる2人の幽霊」と恐れられていました。

そんな時、この村に立ち寄ったのがキリスト教伝導の旅の途中だったキリスト教伝道師ジョセフ・シングでした。

村人からお払いを依頼されたジョセフがオオカミの棲むという洞窟を調べてみると、とても人間とは思えない姿の2人を発見しました。

後に彼は洞窟で見たものを「人間のような姿形をしているが、恐ろしいもの」と記録しています。

2人は体を丸めて一緒に眠り、服を着せても引き裂いてしまい、生肉以外は口にしませんでしたし、遠吠えのような声をあげ、手足の腱や関節が硬く、四足で走り、立って歩くこともできませんでした。

人間との関係にはまったく興味を示さず、聴覚や視覚、臭覚はかなり鋭かったということです。

翌年アマラは重い腎臓炎のため死んでしまいました。姉の死を知ったカマラは両目から涙を流し、アマラの亡骸のもとを離れようとしませんでしたが、シング夫人がつきっきりで世話し次第に元気を取り戻しました。

その後、カマラは二本足で歩くことや、多少言葉も覚えたものの、1929年に腎不全のため死亡しました。

 

19xx年 ダチョウに育てられた少年

20世紀初頭、当時2歳の少年ハダラはサハラ砂漠で両親と離ればなれになってしまいました。

砂漠の真ん中で呆然と立ちつくしていたハダラを助けたのは、なんとダチョウだったということです。

過去にダチョウが人間の子を育てたという事例はなく、ハダラのケースは非常に貴重なものとなりました。

彼は12歳で救助されるまで、10年にも及ぶ長い期間をダチョウと共に暮らしていたそうです。

その後ハダラは結婚し、子どもたちに自身の奇妙な体験を伝えながら生活を送りました。

2000年にはハダラの息子アフマドゥが語った父の物語を、スウェーデンの作家モニカ・ザックが執筆し出版しています。

 

1959年 サルに育てられた少女(コロンビア)

南米ジャングルに近い村に住んでいた少女マリーナ・チャップマンは5歳のときに誘拐され、ジャングルの中に置き去りにされてしまいました。

そんなマリーナを助けたのはノドジロオマキザルの家族でした。

それから彼女は、ベリーや木の根、サルが落としたバナナを食べ、木の洞で眠り、四つん這いになって歩きました。

さらに、食べ物にあたったときには年長のサルに水を飲まされて助けられたり、若いサルたちと仲良くなって、木登りや安全な食べ物について学んだり、木の上で一緒になって座り、遊んだり、毛づくろいもしたそうです。

それから5年程が経ち、彼女はハンターによって発見されました。発見されたときには、完全に言葉を忘れてしまっていて、風俗のお店に売られてしまったそうです。

彼女はそこを逃げ出してストリートチルドレンになり、さらにマフィアの家族の奴隷にもなりました。

その後、隣人によって助け出された彼女はボゴタへ連れて行かれ、そこで隣人の娘夫婦に引き取られ、5人の実子とともに育てられたということです。

マリーナが十代半ばのとき、家政婦と乳母の仕事の話が舞い込み、1977年にその家族と共にイギリスのヨークシャー、ブラッドフォードに引っ越しました。

彼女は現在もそこに住んでいて、結婚して子どももできたそうです。マリーナは次女のヴァネッサ・ジェームズと共同で、自身の野生生活をつづった本『失われた名前 サルとともに生きた少女の真実の物語』を出版しています。

 

1965年 オオカミに育てられた少年(スペイン)

スペインのマルコス・ロドリゲス・パンソヤはヤギ飼いとして牧場主に売却されました。

その後、7歳の時に主人が死んでしまい、一人になったマルコスは、それから10年以上の年月をオオカミと一緒に暮らしていたということです。

マルコスは19歳で保護されましたが、長い年月をオオカミと共にしていたため、社会に戻るのは非常に難しかったそうです。

彼の人生は映画『Entrelobos』にて描かれています。

 

1972年 オオカミに育てられた少年(インド)

1972年、インドの森の中で4歳くらいの少年が発見されました。

少年はオオカミの子どもと遊んでいて、皮膚は真っ黒で、歯は鋭く、爪は長い鉤のようになっており、髪はからまっていて、手のひらや肘、膝には固いたこができていました。

保護された少年は当初、鶏を狩るのが好きで、土を食べ、血を飲みたがり、犬と仲良くなったそうです。その後、生肉を食べるのはやめるようになり、手話をいくつか学びましたが、話すことはできませんでした。

1978年、インド、ラクナウにあるマザーテレサの家に入ることができ、そこでパーセルと名づけられ生活しましたが1985年2月に亡くなりました。

 

1990年 ヤギに育てられた少年(ペルー)

1990年ペルーのアンデス山脈で、野生のヤギの群れと共に生活をする少年が発見されました。

彼はヤギの乳を飲み、草木の根や木の実を食しながら8年もの間生き延びていたと考えられています。

少年はヤギ同様、山々の岩場や丘陵地帯を四足歩行で器用に駆け登っていたため、両手の皮膚は非常に硬くなっており、手で物をつかむ事も難しいほどでした。

保護された少年は、米国カンザス州にある州立大学の研究チームの下へと送還され、そこでダニエルという名が与えられました。

調査チームの発表によると、ダニエルには人間としての言語能力は全く備わっていないものの、家族同様に暮らしていたヤギとの会話は可能だったということです。

 

1991年 猿に育てられた少年(ウガンダ)

ウガンダニ住む少年ジョン・セブンヤは3歳のときに父親が母親を殺すのを目撃してしまい、家を飛び出しました。

そしてジャングルの中に逃げ込み、それ以降アフリカミドリザルに育てられたと言われています。

1991年、6歳だったジョンは木に隠れているところを地元の女性に発見されました。

女性は村に戻って男たちにこのことを伝え、男たちがジョンを捕えようと捜索に乗り出すと、ジョンはサルたちと共に抵抗しました。

しかし、ついに捕獲され村へ連れて行かれました。

当時ジョンの全身は毛に覆われており、いわゆる多毛症でした。全身傷だらけで、サルのような歩き方をするせいか、特に膝には硬いたこができていました。

サルとの暮らしでは主な食料は木の根、ナッツ、サツマイモ、キャッサバで、野生で暮らしていたせいか、腸内の寄生虫が異常に発達していて、50センチ以上もの長さの寄生虫が発見されたそうです。

ジョンは児院を経営しているポールとモリー・ワスワ夫妻に預けられました。

そこで読み書きや人間らしい行動を学び、動物的な行動はほとんど見られなくなりました。

さらにすばらしい声をもっていたため、アフリカの子どもたちの聖歌隊に所属し、イギリスツアーも行ったことで有名になりました。

 

1996年 チンパンジーに育てられた少年(ナイジェリア)

ナイジェリアのチンパンジーボーイこと、ベロは1996年に森の中で発見されました。正確な年齢はわかりませんが発見された当時2~3歳くらいだったと言われています。

ベロは生後6ヶ月ほどで森に捨てられ、本来であれば森で生きていくことが出来るはずがないベロをチンパンジーが拾って育てていたそうです。

発見された当時ベロはチンパンジーのように歩いたり、物を投げつけたり、夜に飛んだり跳ねたり、他にもチンパンジーの仕草を多く見せました。

ベロの発見は1996年当時発表されませんでしたが、2002年になって初めてマスコミがこの事実を知り、本人がナイジェリアのカノにある孤児院に住んでいることを突き止めました。

発見から6年も経過しているため、発見当時ほどではありませんでしたが、チンパンジーのような行動を見せ続けていたそうです。

ベロはしゃべることは出来るようになりませんでしたが、孤児院での人間関係が少しずつ出来てきたと思った矢先の2005年に死亡しました。死亡原因は不明とされています。

 

1998年 野良犬の群れのリーダーとなった少年(ロシア)

1998年に発見されたイヴァン・ミシュコフは、4歳の時に家族からの虐待に耐えられず家を逃げ出しました。

それからはストリートチルドレンとして物乞いをして生活していましたそうです。

そして、野良犬にエサを与えはじめたことから、徐々に野良犬の群れと信頼関係を築いていき、ついにイヴァンは群れのリーダーになりました。

イヴァンは野良犬と共に2年間生活ましたが、警察に捕まって児童保護施設に送られました。

保護当時ある程度言葉を話す事ができたことと、犬との生活が短かったことから、比較的早く人間性を回復し、その後は普通の生活を送っているそうです。

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